高等教育へのアクセスを求めて学生たちが街頭に出たインドの最近のニュースを追ううちに、同国を訪れるなかで何度も目にしてきた光景を思い出した。学ぶことへの意欲こそが、世界で最も強力な原動力の一つであるということだ。
抗議活動を取り巻く事情はインドとその教育制度に固有のものだが、そこから見えてくるものはより普遍的だ。文化や世代を超えて、人々は教育を可能性への投資と見なし続けている。その需要の規模は目を見張るものがある。最新の全インド高等教育調査によれば、高等教育の在籍者数は2023〜24年度に4500万人に達し、過去10年で31.5%増加した。
米国は、幅広さ、質、受け入れ能力において並外れた高等教育制度を築いてきた。米国の大学は、卓越した教員、高度な研究、専門的なネットワーク、そして教室をはるかに超えて広がる学びへのアクセスを提供している。多くの教育機関には、より多くの学生を迎え入れる余地もある。世界の多くの地域で若者たちが高等教育へのより大きなアクセスを求めている今、私たちには門戸をさらに広げる機会がある。
国際教育は常に交流であり続けてきた。学生たちは学ぶために米国に来るが、同時に自らの考え、経験、志、視点を私たちの教室にもたらす。彼らは私たちの教育機関をより強くする。そして卒業後には、彼らが築いた関係と得た知識が、米国の高等教育の影響力をキャンパスの外へと大きく広げていく。
しかし国内の学生をめぐっては、私たちはほぼ逆の課題に直面している。
大学進学の機会を求めて学生たちが競い合う姿を見るどころか、多くの大学は高等教育が投資に値するものであることを学生に納得させようと、かつてないほど苦心している。人口動態の変化、学費負担への懸念、そして長期的な価値への疑問が、大学をめぐる議論の前提を変えてしまったのだ。
そうした懸念には、慎重で思慮深い対応が必要である。大学には、価値を示し、コストを抑え、学生を意義あるキャリアへと導く責務がある。しかし、そうした課題に応えるなかで、より大きな真実を見失わないよう注意すべきだ。米国の高等教育は今なお、この国の最大の強みの一つである。
何世代にもわたり、米国の大学は発見、経済成長、社会的流動性を促してきた。科学者、起業家、アーティスト、教師、ビジネスリーダー、公務に携わる人材を育ててきた。人々の生活を改善し、産業を強化する研究を生み出してきた。世界のあらゆる地域から才能ある学生を迎え入れ、米国を学びの目的地であるだけでなく、アイデアが試され、問い直され、実践に移される場所にしてきた。
その評価は十分に得られたものであり、米国ならではの高等教育モデルを形づくった。探究を促し、革新を評価し、学生に新しいアイデアを追求する自由を与えながら、地域社会や専門分野に貢献できるよう備えさせるモデルである。
しかし私たちは、大学の価値をあまりにも狭く定義しがちだ。卒業後の初任給や、最初の名刺に記される肩書きへと矮小化してしまう。そうした成果も重要だが、それは物語の一部にすぎない。その狭い経済的尺度で測ったとしても、大学教育の価値を示す証拠は極めて明確だ。経済協力開発機構(OECD)によれば、学士号を持つ25〜34歳の米国人は、大学教育を受けていない同世代に比べておよそ57%多く稼いでいる。
大学教育は、卒業後も長く持続する思考の習慣を学生に授けてくれる。深く考えられた問いを立て、証拠を吟味し、明確に伝え、自分とは異なる経験を持つ人々と協働し、未知の課題に自信を持って向き合うことを教えてくれるのだ。これらこそが、職場、地域社会、そして民主主義を強くする資質にほかならない。
ペース大学では、学びは教室の枠をはるかに超えて広がるべきだと考えている。実践的な学びを重視する私たちの取り組みにより、学生はインターンシップ、臨床実習、学部生による研究、海外留学、地域との連携、雇用主との緊密な協働を通じて、学んでいることを実践する機会を得ている。そうした機会は、学生がどこで最も大きな貢献ができるのかを見いだす助けとなり、教育をより深いものにする。
私がインドから得た教訓は、米国が自国の教育制度を他国の制度と比較すべきだということではない。ある国が別の国よりも高等教育を重視しているということでもない。むしろ、学びたいという欲求が世界で最も強力な力の一つであり続けていることを思い起こさせるものだ。文化や世代を超えて、人々は教育を可能性への投資と見なし続けている。
それは、持ち続ける価値のある視点である。
米国における高等教育をめぐる議論は、懐疑論や短期的な計算だけによって動かされるべきではない。大学が日々もたらし続けている貢献への信頼も反映すべきである。大学は、経済を支える専門人材を育てている。人々の生活を改善する発見を生み出している。地域社会を強くし、視野を広げ、学生が自分自身では気づいていなかった可能性を実現する手助けをしている。
高等教育は米国の至宝の一つである。それは今なお、この国の最大の競争優位の一つであり、最も重要な輸出品の一つでもある。学生たちは、米国の教育機関で学ぶために何千マイルも移動し続けている。米国の大学が提供する質、機会、探究の精神を認めているからだ。彼らの米国制度への信頼は、私たち自身が自信を失ってはならないことを思い起こさせるはずである。
インドでの抗議活動は、私にその教訓をより鮮明に示した。世界の他の地域で教育への需要がこれほど可視化されている時代に、米国の高等教育には、その影響力を広げると同時に、国内でその価値をより強く訴える機会がある。
私たちには、提供できる並外れたものがある。今の課題は、どこに暮らしていようとも、より多くの学生がそこから恩恵を受ける機会を得られるようにすることだ。



