「Do it for the plot(ストーリーのためにやる)」という言葉はもともとネット上のジョークとして生まれ、今でもたいていはジョークとして使われている。現実的な観点からは正当化できない選択をしようとしているとき、その状況を「後で語る価値のある物語になる」と再解釈するためにこの言葉を持ち出す。そう考えると、これはおそらく賢明とは言えない決断に対する責任を回避するための単なる言い訳に過ぎない。
だが、実際にこの言葉を口にしている人に耳を傾けると、その傾向はさらに興味深いものになる。この言葉を最も自然に使う人たちは、必ずしも極めて衝動的な人たちではない。自分の人生について慎重に考える人であることが多く、彼らにとってこの言葉は許しとして機能しているわけではない。これから起ころうとしていることに対して自分の立ち位置を変えているのだ。
心理学では、2人の人間が同じような経験をし、その経験に対する見方が全く異なってしまうのはなぜなのか、という疑問が長年研究されてきた。繰り返し浮かび上がってくる答えは、「何が起きたか」よりもその人が最終的に「それをどのように語るようになったか」に関係している。
出来事より意味付けが大きな働きをする理由
人は自分の人生を単なる出来事の寄せ集めとして捉えているわけではない。ある形を持った物語として捉えており、その物語は常に静かに書き換えられている。
学術誌『Psychological Science』に2024年に掲載された、成人の被験者を9年間追跡した研究が一貫して示しているのは、ウェルビーイングが物語の内容よりもその「形」と関連しているということだ。
困難な時期について、何かにつながったもの、あるいは明確に説明できるような形で自分を変えてくれたものとして語る人は、同じような困難な時期を単に自分の身に起こり、すでに終わった出来事として語る人よりも、その経験に意味や目的を見出す傾向がある。
これは困難な出来事が実は良いものだったという主張ではない。その出来事をどう位置づけるかという話だ。困難な一章は、それが物語の展開の中に位置づけられているのか、それとも孤立して存在しているのかによって心理的な重みが異なってくる。「ストーリーのためにやる」という言葉は、その章がどう展開するのか本人にもまだわからない段階で、あらかじめその位置づけを決めるものであり、そこがこの言葉の独特なところだ。



