例えば、本を書こうとしている人物を思い浮かべてほしい。最初は「ついに本を出版する著者になるのだ」というアイオンに突き動かされ、アイデアの緊急性に駆られて、夜や週末にノートを埋め尽くしていく。
3カ月目になると、ビジョンだけでは動けなくなるため、代わりにクロノスの仕組みを構築する。週5日、朝食前に500語を執筆し、例外は認めない。このスケジュールが、初期の興奮がすっかり冷めてしまった後の、単調で苦しい中盤戦を支えてくれる。
そこに、不測の事態が発生する。例えば、原稿が不採用になったり、ある章の構成が破綻して一から書き直す必要が生じたりしたとする。クロノスに固執する人は、これを単に「ノルマを達成できなかった」と捉え、喜びのないスケジュールのまま無理に作業を進めようとし、なぜ日々仕事が重苦しくなっていくのかと悩む。一方で、カイロスに切り替えられる人は、数日間はショックを和らげるために時間を置き、次の真のアイデアが浮かび上がってくるのを待つ。そして、アイデアが新鮮なうちに、一気にその章を書き直すのだ。
本が完成するのは、特定のモードだけが正しかったからではない。執筆者が、その作業が今本当に求めている「時間の種類」へと、常に仕事のやり方を翻訳し続けたからである。
このように捉えれば、途中で挫折することは、個人の性格的な問題ではなく「翻訳」の失敗に近いと言える。仕事の側が必要とする時間の種類を変えたにもかかわらず、本人は自分が知っている唯一の言葉(時間のモード)を話し続けてしまったのだ。
したがって、何かが停滞したときに本当に問いかけるべきなのは、「自分の何が悪いのか」ではない。「この仕事は今、どの時間を求めているのか」なのだ。


