ここで重要な点をはっきりさせておくと、チチュウカイベニクラゲは、現実的ないかなる意味においても、不死というわけではない。捕食されてしまうこともある。逆転を阻むほどの深刻な病気や汚染や負傷で死ぬこともある。研究室の環境でこの種を生かし続けるためには、毎日の手厚い世話が必要だ。長期にわたってそれに成功しおおせた研究者はほとんどいない。
むしろ、生物学によって実際に裏づけられているのは、もっと厳密な主張だ――死につながる外部からの圧力がない状況では、どうやらチチュウカイベニクラゲは、生活史を際限なく繰り返せるらしい。自然な生息環境でそれを達成する個体がいるかどうかについては、議論の余地がある。この不老不死は理論上のものだ。しかし、それを支える生物学的メカニズムは、紛れもない事実だ。
不老不死のクラゲが、老化について教えてくれること
「この知見は、人間の老化に関してどんな意味を持つのか」という問いに対する正直な答えは、「まだわからない」というものだ。チチュウカイベニクラゲは、創薬のヒントにはなってはいない。近い将来に、このクラゲの生態が治療法に生かされることはないだろう(それとは違うことを約束する人がいたら、その人は何かを売りつけようとしているのだ)。
とはいえ、チチュウカイベニクラゲは一つの疑問を提起している。それは、これまでの老化研究では、答えを求められたことのなかった類いの疑問だ。細胞老化を逆転させることができる――つまり、完全に分化していた成体の細胞を、そのアイデンティティを捨て、一からやり直すように誘導できる――のなら、老化とは、単なるダメージの蓄積ではないことになるし、生物の仕組みが、それに対応する手段を欠いているわけでもない、ということになる。進化は、すでに少なくとも一度、少なくとも一つの系統で、この問題を解決しているのだ。
科学の観点から言えば、チチュウカイベニクラゲが提起している最重要の謎は、逆転そのものではなく、その逆転を、制御不能な細胞増殖を引き起こさずに達成する仕組みだ。ヒトの細胞において、ベニクラゲが日常的に行っているような細胞リプログラミングは、まさにがん化(腫瘍形成)のプロセスと関係しているのだ。
細胞リプログラミング自体は、困難なことではない。例えば「がん」も、細胞リプログラミングを絶え間なく起こしている。しかし本当に難しいのは、それを制御された秩序ある形で、しかも個体全体にわたって行い、腫瘍ではなく『機能する生命』として再構成することだ。チチュウカイベニクラゲは、この難題に対する答えを持っている。ただ、それが何なのかを私たちはまだ解明できていない。
この謎は、人間の不老不死に関するいかなる約束をも超えて、チチュウカイベニクラゲを研究する価値のある存在にしている。この生物は、現代生物学の3大重要研究分野である「老化、再生、がん」が交わる点に位置する、生物学上の問題を解く道しるべになる。しかも、それに関係するゲノムは、いまや完全に解読可能だ。
チチュウカイベニクラゲ研究は、永遠に生きる方法を教えてはくれないかもしれない。しかし、DNA塩基配列解析技術が向上し、この種を確実に培養できる研究室が増えるのに伴い、この先10年の研究は、それよりも役に立つことを教えてくれるかもしれない。つまり、私たちはなぜ老化するのか、という問いに対する答えだ。


