ビジネス

2026.08.28 13:16

イノベーションが宿る場所は組織図ではない、日々の仕事の中だ

stock.adobe.com

stock.adobe.com

昨年、大企業の約4分の1に最高AI責任者が置かれていた。今年は、その割合は4分の3近くに達している。それにもかかわらず、この役職を設けている企業のAI投資に対するリターンは、平均してわずか5%高いにすぎない。

この採用ブームの背景にある本能は、古くからあるものだ。ビジネスに欠けている能力に直面したとき、リーダーは責任者を指名し、組織図に新しい枠を描き、人材と予算を集中させ、その人物に責任を負わせる。イノベーションは何十年もの間、これと同じ方法で運営されてきた。そして、それをどう運営すべきかという議論は、「1つの中央研究所に集約するか、それとも各事業部門に分散させるか」という単一の軸にとどまり続けている。

だが、それは誤った軸だ。中央集権か地方分権か、どちらの答えも、イノベーションを「どこかの部門が所有する機能」として扱っている点では同じである。

私が学んだのは、より有用な考え方は「普及(ディフュージョン)」だということだ。研究所でも、事業部ごとの研究所の分散でもなく、問題解決の能力を組織そのものに、つまり個々の具体的な業務レベルにまで浸透させることである。それは報告ラインではなく成果に整合し、解決策が従業員によって構築されたか、スタートアップから購入したか、外部ネットワークから調達したか、あるいはマシンによって生成されたかを問わないものだ。

普及は、オープンイノベーションが20年間にわたり熱望してきたことだ。変化したのは、あらゆる業務のすぐそばに問題解決能力を配置するためのコストが劇的に低下したため、それが今や現実的になったことである。

変革を伴わない導入

マッキンゼーの2025年AI現状調査によると、88%の組織が少なくとも1つの機能でAIを使用しているが、EBIT(利払い前・税引き前利益)の5%以上がAIによるものだとする「ハイパフォーマー」に該当するのは約6%にすぎない。企業レベルで利益への影響を報告しているのはわずか39%だ。影響を示す最も強力な兆候の1つは、組織がワークフローを根本的に再設計したかどうかである。価値は、組織図の枠がある場所ではなく、仕事が変わる場所に現れるのだ。

MITのNANDAイニシアチブは、2025年により率直な見解を示した。約300件の企業AI導入事例のうち、約95%が測定可能な利益をもたらしていなかった。この調査結果については、手法に基づき異論を唱える声もある。予備的な自己申告データに基づいているからだ。しかし、その傾向はマッキンゼーのものと一致している。すなわち、「導入率は高いが変革率は低い」ということだ。同研究者らは、リターンを得られた企業を分けた要因についても率直に述べている。それらの企業は、中央研究所からではなく現場のマネージャーからAIの取り組みを調達し、実行権限を外部(現場)に押し出す一方で、説明責任を課していたのだ。

こうした普及は、意図せずしてすでに起きている。同MIT NANDAの調査によると、公式なAIサブスクリプションを購入していた企業は約40%にすぎなかったのに対し、90%以上の企業の従業員がすでに私的なツールを使って仕事をこなしていた。人々は支給されるのを待っているのではない。彼らは中央部門を迂回し、目の前にある課題を、手元にあるあらゆる手段で解決している。これは混沌としており、ガバナンス上のリスクを伴う。しかし同時に、需要が研究所ではなく業務レベルに存在していることを示す最も明確なシグナルでもある。

議論の後半は、解決策がどこからもたらされるかという点だ。2010年の学術誌『Organization Science』で、ラース・ボー・イェッペセンとカリム・R・ラカーニは、1万2000人以上の解決者が参加した166の科学的課題を分析した。その結果、優れた解決策が生み出される確率は、解決者の専門分野と課題の分野との距離が離れるほど高まることがわかった。このデータセットは、私の会社が2020年に買収したオープンイノベーション・ネットワークに由来している。重要なのは成果であり、出所ではないのだ。

エージェントの時代は、その経済性を一変させる。個々の業務内の課題は、今や安価かつ迅速に、それを最も解決できそうな人やモノへとルーティングできる。他部門の同僚、外部の専門家、すでに製品が存在しているスタートアップ、あるいはその実務を遂行できるエージェントなどだ。問うべき唯一の問いは、どのルートが成果をもたらすか、ということである。

サイロではなく、背骨となるもの

ここで、深刻な反論が冒頭で示したのと同じデータから生じる。最高AI責任者を置く企業の方が高いリターンを得ているのであれば、それは権限の集中を支持する議論になるのではないか。もし普及というものが、すべてのチームが他から孤立して独自のスタックを構築することを意味するのであれば、そうかもしれない。しかし、実際はそうではない。

シュナイダーエレクトリックでは、中央チームが標準規格とツール群を管理し、実行は各事業部門に組み込まれている。IBM自体には最高AI責任者は存在しない。同社の社員がそれに最も近い存在として挙げるエグゼクティブは、自身の仕事を「AIを所有すること」ではなく、「各チームがAIを導入できるように摩擦を取り除くこと」だと説明している。IBMの調査の共同執筆者の一人が表現したように、AIは「所有」されるものではなく、「導かれる(シェパードされる)」べきものなのだ。(開示事項:筆者はクライアントとしてシュナイダーエレクトリックと、パートナーとしてIBMと協働した経験がある)

これは、研究所が能力をため込むのではなく、基準を設定し、問題をルーティングし、成果に対する責任を負うという「薄い結合層」の役割を果たし、実行自体はそれ以外のあらゆる場所に普及させている状態である。リターンをもたらすのは、サイロ(孤立した部門)ではなく、こうした背骨(共通の軸)なのだ。

さらに厄介な反論は、一貫性(コヒーレンス)に関するものだ。イノベーションが「全員の仕事」になれば、それは「誰の仕事でもない」ものになり、組織は四半期ごとのプレッシャーから保護されるべき、忍耐を要する未知の賭けをする能力を失ってしまうという指摘だ。歴史上最大のブレイクスルーのいくつか(ベル研究所やゼロックスのパロアルト研究所[PARC]など)は、普及によって運営されていたわけではない。それは特定の種類の問題については正しい。普及が、長期的な研究の必要性を否定するものではない。しかし、多くの組織における価値の大部分は、別の場所にある。それは、中央研究所の議題に上ることのない、日常業務における無数の限られた課題のなかに存在するのだ。そして、批評家が求める一貫性こそが、成果に基づいたルーティングによって提供される。普及されるすべての課題には、明確に定義された結果と指名された責任者が存在しなければならず、そうでなければ普及されること自体がないからだ。

最高AI責任者は、多くの企業にとって適切な任命であるかもしれない。だが、試金石は、その採用によってイノベーションを組織図上のどこかもっともらしい場所に置けるかどうかではない。その人物が権限を使って、イノベーション能力を自分の管理する機能の内側に引き込むのではなく、仕事の中へ、そして企業の外にあるネットワークへと押し出しているかどうかである。

今後、他社をリードしていく組織は、イノベーションを配置するのに最適な場所を見つけた組織ではない。イノベーションを配置する場所を必要としなくなった組織だろう、と私は考えている。

(forbes.com 原文)

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事