教育の世界におけるテクノロジー導入の歴史を振り返ると、浮き彫りになることがある。この世には、手っ取り早い解決策などない、という事実だ。電子計算機が最初に登場した時には、自分の頭で考えることの代替手段として使われるのではないかと、多くの人が危惧した。最近も、スマートフォンの使用に関して同様の懸念が生じている。
しかし、歴史のサイクルで見ると、新たなテクノロジーが登場するたびに教育にプラスの効果がある、とは言えないものの、悪影響を与えているようにも見えない。現実問題として、テクノロジーが果たしているのは、既に存在している生徒個人間の格差を拡大する役割だ。
ジャーナリストのローズ・ホロウィッチは2026年7月、「The end of reading is here(読書の終焉がすぐそこに迫っている)」と題した記事を『ジ・アトランティック』に掲載し、多くの人に読まれた。さらに8月には、ローカル紙の「サンフランシスコ・スタンダード」に、カリフォルニア大学の学生たちに関して、全員が一流大学に合格しているにもかかわらず、数学の知識レベルに大きな差があることを問題視する論説記事が掲載された。
人々の読書量が落ちているのだとしたら、これは良い兆候とは言えない。先人が遺した偉大な作品を読むことは、文章力の向上に重要であり、文章を書く行為は往々にして思考の反映だと、筆者は考えているからだ。
教育の現場でAI(人工知能)がますます使われるようになっている今、我々は一体どこに向かっているのだろうか? 教育学者のジェームズ・フリンは1990年代、社会や我々を取り巻く環境が複雑化することが、知能指数(IQ)の継続的な上昇を招いていると指摘した(この現象は、同氏の名を取って「フリン効果」と呼ばれる)。同氏は、日増しに複雑になる生活のなかで、我々の脳は「メンタル・ジム」で日々鍛えられており、そのため人間はますます賢くなっていると主張した。
しかしAIは、我々が自分の脳を鍛える後押しをしてくれるのだろうか? それとも、我々をさらに怠け者にするだけなのだろうか?
SF作家のテッド・チャンは、『ニューヨーカー』誌に寄稿した「Why A.I. isn’t going to make art(AIが芸術を作ることがない理由)」という文章のなかで、こう述べている。「ChatGPTに宿題をやってもらうのは、ウェイトトレーニング室にフォークリフトを持ち込むようなものだ。そのようなことをしても、認知能力を向上させることは絶対にできないだろう」
最近発表された論文のうち少なくとも2本が、チャンの主張を裏付けている。



