リーダーシップ

2026.08.27 17:51

MBAよりAIスキル──静かに崩れる「学位」という梯子

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市場は、これまで口にしなかった本音を語り始めている。PwCが実施した、金融サービス分野のエグゼクティブ1000人以上を対象にした新たな調査によると、86%が多くの新規採用者において、MBAよりもAIスキルのトレーニングのほうが価値があると見なしていることがわかった。91%がAI能力を持つ従業員の報酬を引き上げており、過半数がそのスキルにプレミアム(割増賃金)を支払う意向を示している。エリートビジネススクールもこれに対応しており、MBAへの出願数が低迷し、初任給が下落傾向にあるなかでも、ウォートン・スクールやマサチューセッツ工科大学(MIT)は現在、学位取得費用のごく一部の価格で、短期のAIリーダーシップ修了証プログラムを提供している。

1世紀にわたり、名門大学や大学院の学位は、野心的な人々が名声と収入を手にするための最も確実な梯子(はしご)だった。それが機能していたのは、高コストで偽装が困難な「シグナル(信号)」だったからだ。入学選考によって能力が選別され、卒業によってその能力が磨き上げられ、実戦に投入できる状態にあることが証明された。しかし現在、その互恵関係は両端から同時に攻撃を受けている。需要側(雇用主)は、成績証明書には表れないスキルを重視し、学位という証明書を軽視する傾向を強めている。そして供給側(大学)では、証明書を内部から偽造することが容易になりつつある。

後者の証拠は、プロビデンスにある。

ブラウン大学での生々しい実験

昨年の春、厚生経済学と社会的選択理論を20年近く教えてきたブラウン大学の経済学教授ロベルト・セラーノは、新たな試みを行った。持ち帰り方式の中間試験だ。数カ月前にキャンパス内で発生した銃撃事件の動揺が冷めやらぬなか、学生たちは混雑した教室を避けたがっていた。セラーノはそれに応じ、柔軟な環境であればより深い分析が可能になるはずだと考え、試験問題を通常よりも難しくした。

通常、彼の中間試験の平均点は65%から80%の間で推移する。しかし今回は、クラスの平均点が96%に達した。40人の学生が100点満点を獲得した。厳密さを重視する講義において、この数字は快挙ではなかった。警戒すべき危険信号だった。

セラーノと採点助手たちは、試験問題をChatGPTに通してみた。AIの回答は、内容においても文体においても、多くの学生の提出物と酷似していた。ある証明問題は、直接証明法を用いるのが最もスマートだった。しかし、ChatGPTとクラスの大部分の学生は、あえて複雑な背理法を用いていた。技術的には正しかったが、人間の脳が自然に問題を解くアプローチではなかった。

数十人の学生がAIに頼ったと確信したセラーノは、中間試験を即座に無効にはしなかった。代わりに、自らの判断が誤りであることを証明する機会をクラスに与えた。対面で行う期末試験の成績分布が中間試験と一致すれば、双方の試験を評価対象とする。一致しなければ、中間試験を無効とし、期末試験の配重を増やすという条件を提示した。

そして期末試験の日がやってきた。18人の学生が履修を取り消した。9人は履修を継続したものの、試験を欠席した。試験を受けた学生の平均点は48.6%にまで急落した。これは同講義の歴史上、最低の記録である。これまでの期末試験の平均点が65%を下回ることはなかった。3人の学生が0点を取り、19人がこの講義で単位を落とした。

ブラウン大学の対応は手続き的なものだった。学則委員会はセラーノに対し、疑いのある学生一人ひとりについて個別に申し立てを行うよう求めた。一方、同大学の「教育・学習における生成AI委員会」は、AIを「重大なディスラプター(破壊者)」と呼び、学則の更新を促す報告書を発表した。

組織の歯車は回っているが、その根底にある本質的な問いは無視されている。買い手(企業)から求められなくなり、同時に偽造が容易になったシグナルは、一夜にして崩壊することはない。ただ静かに、学費を支払う価値を失っていくだけだ。セラーノの成績表とPwCの調査は、同じ物語を両極端から語っているにすぎない。

テクノロジーが遍在する世界で、何が「不正」となるのか

新たなテクノロジーが登場するたびに、教育現場は何をもって「本人の成果」とするかの再定義を迫られてきた。電卓は算術を代替し、スペルチェックは綴りの正しさを代替し、検索エンジンは記憶の想起を代替した。その都度、大学は境界線を引き直し、人間が貢献すべきレベルを一段引き上げてきた。計算する必要はなくなったが、論理的に考えることは依然として求められた。

しかし生成AIは、程度の問題ではなく、本質的に異なる。それは思考の一部を自動化するだけにとどまらない。構成、組み立て、議論の流れ、証明の戦略そのものを自動化する。まさに試験が測定しようとするそのものを、AIが代替してしまうのだ。盗用を想定して作られた倫理規定は、テストされる側の頭脳と、利用が禁止されている補助手段との間に明確な境界線があることを前提としている。だが、AIはその境界線そのものを融解させる。すべてのノートPCにそのツールが搭載され、すべてのインターンシップでその活用が評価されるとき、学生たちは試験室に不正なものを持ち込んでいるわけではない。彼らは、試験室の外の世界がすでに「有能さ」と定義している行為を行っているにすぎないのだ。

セラーノが突きつけた最後通牒がもたらした結果を、もう一度見てほしい。18人が履修を撤回し、9人が姿を見せなかった。アイビーリーグの学生27人が、自力での習得度を示す機会を与えられたにもかかわらず、挑戦することすら拒んだのだ。これを単なる「罪の告白」と片付けるのは容易い。しかし、より不穏な解釈をするならば、これは学生たちによる無言の国民投票であり、試験という前提そのものに対する静かな拒絶反応なのだ。

なぜなら、その行動の背景には一つの主張が存在するからだ。そして、大学側は学生がそれを口にしなくても、そう考えていると想定すべきである。現在、実力とは「手元にあるツールを使って何を成し遂げられるか」を意味する。これは、キャリアのあり方そのものを広く変えつつある変化と同じだ。この視点に立てば、試験会場の入り口で学生にAIスキルの使用を禁じることは、彼らの思考力を測定しているのではなく、むしろ思考力を削ぎ落としているように映る。機械がすでに処理できる内容を習得するために努力することは、理不尽な重税のように感じられる。特に、雇用主がまさにその倫理規定で違反とされるスキルに対してプレミアムを支払っている現状においてはなおさらだ。AIを使って96点を取り、使わずに48点を取る学生は、後者の数字が測定しているのは「ますます時代遅れになっていく自分自身の姿」であると結論づけるかもしれない。

大学はこの主張を、現在よりもはるかに真剣に受け止める必要がある。なぜなら、学生たちはすでにその前提に従って生きているからだ。しかし、この主張には2つの致命的な欠陥がある。憤慨するよりも、その欠陥を正確に指摘することのほうが重要だ。

第一に、ブラウン大学での問題はAIツールの使用自体ではない。不実表示だ。学生たちは、自力の理解度を証明するための試験において、AIの推論を自分自身のものとして提出した。試験が間違ったものを測定していると考える学生には、異議を唱える権利も履修を取り消す選択肢もある。しかし、他人の成果を自分のものとして偽ることは、認識論的な立場などではない。それは単なる欺瞞であり、その学生たちが将来進むいかなる職場においても欺瞞と見なされる行為だ。

第二に、この主張は、AI支援によるパフォーマンスが真に「拡張された能力」を反映しているという前提に立っている。しかし期末試験の結果は、そうではないことを示している。PwCのエグゼクティブが対価を支払うような本物のAIスキルとは、機械に指示を与え、その出力を検証し、エラーを検出し、その結果に責任を持つ能力のことだ。それには、平均点48.6%という結果が「欠如している」と証明した、まさにその領域における専門知識が必要となる。パイロットが手動飛行のテストを受けるのは、自動操縦が不正だからではない。自動操縦が機能しなくなった際の最後の砦となるためだ。あの持ち帰り用中間試験が測定したのは、拡張された頭脳ではない。ただの学生が接続された、機械そのものだったのだ。

不安定な均衡

こうして高等教育は、いまだ噛み合わない3つの力の間で不安定な妥協点へと漂流している。自力での思考を証明するために構築されたレガシーなシステム、AI登場以前の世界で書かれた倫理規定、およびその倫理規定が禁じるツールそのものの習熟を求める労働市場だ。大学や個々の教授が、AIを武器にする学生を適切に評価できる体制を整えているかどうかは未知数であり、現在の率直な答えは、大半が「ノー」である。その現実から目を背けているからこそ、委員会が一人の教授に何十件もの個別申し立てを行うよう求めるような事態が発生するのだ。

より安定した均衡に達するためには、どの思考プロセスを学生自身のものとして残し、どのプロセスを機械の同席のもとで試験すべきかを、明確に決定しなければならない。基礎が確立されて初めて能力の拡張が可能になるため、一部のカリキュラムでは口頭試問や対面での問題解決を通じて、AIに頼らない推論力をテストすべきだ。また別のカリキュラムでは、AIの使用を必須とし、学生がどのように指示を与え、監査し、修正したかに基づいて評価を行うべきである。そうすれば、雇用主が求めるスキルを隠れて使うのではなく、目に見える形で誠実に証明できるようになる。そして教員には、組織的な不正行為の疑いを、前時代の遺物のような煩雑な手続きではなく、一つのシステム上の問題として一括して報告できる仕組みが必要だ。

セラーノは厳しく指摘する。「最も優秀で若い頭脳の少なからぬ割合が、不正を働いても問題ないと考えるような社会を、私たちは容認するわけにはいかない。それは社会の衰退、ひいては社会の崩壊につながる」。彼の成績表を見れば、彼にはそう主張する権利がある。しかし、学生たちの無言の反論、すなわち「壊れているのは頭脳ではなく、評価基準のほうだ」という主張もまた、傾聴に値する。これら双方の問いに対して、カリキュラムを通じて誠実に答える機関こそが、10年後も学位の価値を維持し続けられるだろう。そうでない機関は、市場がすでに別の階へと移ってしまった建物のなかで、存在しない階へと続く梯子を売り続けることになる。

forbes.com 原文

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