自分自身の買い物を振り返っても、これは理解しやすい。毎回の買い物で、原材料の生産地、労働環境、温室効果ガス排出量、企業の人権方針まで調べ、そのうえで最も社会的に望ましい商品を選ぶことは難しい。それでも、「消費者が変われば企業が変わる」という話はわかりやすい。問題のある企業から買わず、よりよい企業の商品を選ぶ。そうすれば市場が企業に変化を促す。しかし、SSIRの別の記事「買い物だけでは、サステナビリティを実現できない」は、その考え方をさらに問い直す。
社会を変える責任を、財布に背負わせていないか
この記事が問いかけるのは、サステナビリティの実現を、あまりにも消費者一人ひとりの選択に委ねてきたのではないか、ということだ。環境にやさしい商品を選ぼう。使い捨ての商品を避けよう。倫理的につくられた商品を買おう。もちろん、こうした行動を否定しているわけではない。問題は、本来は企業や政府、制度が引き受けるべき問題まで、「正しい買い物をする消費者」の責任にしてしまうことである。
たとえば、環境負荷の低い商品が高く、そうでない商品が安ければ、消費者には「高くても環境にいい商品を買う」という選択が求められる。しかし、そこで問えるのは消費者の倫理だけではない。なぜ環境に大きな負荷をかける商品を安く販売できるのか。環境や社会に生じるコストが、商品の価格に十分反映されていないのではないか。企業や市場のルール、政策の側にも変えるべきものがあるのではないか。
「よい消費者」を増やすだけでは、そこまでは変わらない。さらに言えば、社会的に望ましい商品を選べるかどうかは、所得や居住地域、手に入る情報にも左右される。「正しい消費」を社会変革の中心に据えすぎれば、社会の仕組みの問題が、個人の良心や購買力の問題に置き換えられてしまう。
これは企業について考えるときにも似ている。企業が社会にいい商品を一つ出したからといって、その企業全体が持続可能になるわけではない。問うべき対象を、商品から企業へ。そして企業から、市場や制度へと広げていく。この視点の移動に、SSIRらしさがある。
私たちは「消費者」でしかないのか
では、システムの問題なのだから、一人ひとりにできることはほとんどないのだろうか。ここで興味深いのが、「無力ではない、私たちには力がある——大規模な行動への新たなアプローチ」というSSIRの記事だ。この記事が描くのは、多くの人が持つ資金、時間、知識、行動を束ねることで、一人では難しい変化を生み出す取り組みである。一人ひとりの力は小さくても、それを組み合わせれば、企業や政策、社会の仕組みに働きかける力になりうる。
ここには、消費をめぐる議論のもう一つの盲点がある。私たちは「消費者」であるだけではない。会社では社員や管理職であり、意思決定に関わっているかもしれない。投資家になることもある。地域の住民であり、有権者であり、誰かと協働する市民でもある。社会に影響を与える方法を「何を買うか」だけに限定してしまえば、私たちが持っている力のかなりの部分を使わないことになる。


