直感の背景には、「専門性」が隠れていることがある。しかし同時に「偏見」「恐怖」「願望」が隠れている可能性もある。厄介なのは、内側から見ると、この4つが驚くほど似て見えることだ。
他人は「あなたが切り取って伝えた情報」に基づいてアドバイスしている
自分がどうすべきかを他人に尋ねることには、もう一つの限界がある。彼らは、あなたが伝えたことしか知らないということだ。
社会的評価の高い役職(ポジション)を辞めるべきか迷っているとしよう。条件面では、留まることが完全に理にかなっている。給与は素晴らしく、組織は高い評価を得ており、昇進の可能性も高い。友人は当然のように「築き上げたキャリアを捨てるべきではない」と言うかもしれない。メンターは「あと2年残れば、他では得がたい機会が得られるだろう」と指摘するかもしれない。
しかし彼らは、「月曜の朝の憂鬱さ」までを体感できるわけではない。彼らは、あなたを精神的に疲弊させる会議に同席しているわけでも、その役職のどの部分が徐々に楽しくなくなっていったかを知っているわけでも、個別に説明すれば些細に見える小さな不満の蓄積を感じているわけでもない。そうした経験を説明することはできても、人生を描写することと、実際に生きることは異なるのだ。
将来の感情変化を予測する心理学概念である「感情予測(アフェクティブ・フォーキャスティング)」の研究では、人は将来の状況が自分をどのような気持ちにさせるかを予測するのが驚くほど苦手であることが示されている。アドバイスを与える側は、さらに厄介な問題に直面する。ある決定が他者にどのような影響を与えるかを予測しなければならないからだ。彼らのアドバイスは、彼らが重要だと考える基準に照らせば完全に合理的かもしれないが、あなたにとって最も重要な基準を見落としている可能性がある。
だからといって、外部のアドバイスが役に立たないわけではない。むしろその逆だ。一歩引いた場所にいる人々は、感情のせいで自分では認識できないパターンを見抜けることが多い。しかし、アドバイスは「指示」ではなく「証拠」として扱うべきだ。あなたが下した決断の結果を引き受けて、日々を過ごさなければならないのは、他の誰でもないあなた自身なのだから。
自分の直感が「自分の望み」と常に一致しているときは注意せよ
「自分の直感を信じる」ということには危険な側面もある。それは、直感が「単なる好み」を正当化するための都合の良い言葉になってしまっている場合だ。特定の決断を下したいがために、誰かが納得してくれるまで他人に意見を求め続ける。都合の悪い証拠は「ネガティブな意見」として片付ける。自分の選択を支持してくれる人は洞察力があるとし、それに異議を唱える人は状況を理解していないとみなす。
確証バイアス(Confirmation Bias)に関する研究は、人がすでに抱いている信念を支持する情報を、いかに容易に探し、解釈し、記憶するかを繰り返し実証している。ある結果に対して感情的にのめり込んでしまうと、別の方向を示す証拠を無視すべき理由について、驚くほど洗練された議論を組み立ててしまう。つまり、直感はそれが最も説得力があると感じられるときにこそ、精査されるべきなのだ。


