エグゼクティブ・サーチ(役員スカウト)の担当者にとって、それはあまりにも見慣れた光景だ。CEOの選考開始から数カ月が経ち、プロセスが慎重に管理・進行されていないと、選考委員会のメンバーは徐々にエネルギーを失い、選考段階が停滞し始める。大抵の場合、こうしたタイミングで2人の最終候補者が浮上する。1人は、履歴書に誰もが知る有名企業の名前が並ぶ「素性の確かな」人物であり、採用側の組織をさらに大きくしたような企業での経験を持つ。もう1人の候補者は、今後直面する具体的な課題に対してより鋭い見識を持っているが、名門ブランドの経歴はない。最初の候補者が責任ある選択肢に思えるため、全員が安堵の息をもらす。
その18カ月後、取締役会は再び後任探しに追われることになる。
筆者はこれまで、非常に多くの選考でこのパターンが繰り返されるのを見てきた。これは決して不運のせいではない。問題は、取締役会がまさに最も重要性の高い局面において、最悪の決断を下しがちだという点にある。プレッシャーにさらされると、意思決定者たちは密かに目的をすり替えてしまう。最善の結果を出すことではなく、最も「言い訳の立つ(正当化しやすい)」決断を下すことを目指し始めるのだ。そして、長いプロセスの末に多くの人が集まる会議室の中では、「無難」と「言い訳が立つ」は同じことのように感じられてしまう。実際には全く異なるにもかかわらず。
「言い訳の立ちやすさ」は組織ではなく、選ぶ側を守る
知名度の高い候補者は、定義上「言い訳が立ち」やすい。誰もが知っている人物を採用したことに対して、取締役会の判断を疑う者などいないからだ。仮にそのリーダーが失敗したとしても、取締役会は「やるべきことはすべてやった」と釈明できる。知名度の低い候補者には、そのような盾はない。その人物を選ぶことは、選考委員会が自らの判断に対して個人的に責任を負うことを意味する。そのため、口に出して議論されることこそないものの、意思決定者たちの心理は、自分たちを守ってくれる選択肢へと傾いていく。
これは人間的な欠陥ではなく、重大な決断がフィードバック・ループのない中で下されるときに起こる現象だ。
滅多にない決断では、判断力は養われない
大半の取締役会がCEOを採用するのは5年に1回、あるいはそれ以上の頻度であり、これほど稀にしか下されない決断において専門性を養うことは不可能だ。そのため、取締役会は代理の指標を借りてくることになる。最も利用しやすいのが「評判(レピュテーション)」だ。これは、履歴書に記載された企業ブランド、直近で率いていた組織の規模、そして推薦人の名前といった要素に焦点を当てたものである。評判は過去の実績を示す有効なシグナルではあるが、将来の成功を保証するものと誤解されがちだ。適合性を判断するための自社独自の基準がない場合、本来は洞察力をもって判断すべきプロセスが、他社のブランドロゴに取って代わられてしまう。
そこに選考委員会という集団の力学が加わると、この傾向はさらに強まる。合意形成を目指す人々が集まる会議室において、知名度の高い候補者は「最も摩擦の少ない道」となる。意見の対立は摩擦を生むため、最も合意しやすい選択肢が、最も職務に適した選択肢を打ち負かしてしまうのだ。
その代償は軽くない
エグゼクティブ採用の失敗の多くは、能力の不足ではなく、相性(アライメント)の不一致が原因である。そして、組織はその代償を2度にわたって支払うことになる。
1つ目の代償は「時間」だ。筆者の経験では、適切に運営されたエグゼクティブ・サーチには、開始からオファー締結まで約23週間かかる。採用に失敗すれば、この期間をもう一度費やすことを意味し、1つの役職に半年近くを2度、加えて空席期間や暫定期間も生じる。2年近くにわたって、組織で最も重大な役職が空席、あるいは暫定、あるいは長続きしない人物によって占められることになる。これを自ら計画に組み込む取締役会など存在しない。しかし、「言い訳の立つ知名度」を「長期的な適合性」と見誤るたびに、取締役会は知らず知らずのうちにこのシナリオを承認しているのだ。
2つ目の代償は、優れた選考プロセスが本来もたらすはずのものであり、自己防衛的な選考プロセスが捨て去ってしまうもの、すなわち「適合性」である。適合性を見極める能力こそ、自己防衛の心理によって省かれてしまう規律そのものだ。無難な採用は、単に抽象的な意味でリスクがあるだけでなく、厳格な選考プロセスが確実にもたらすはずの定着率や成功率を放棄することになる。
時間がかかり、見慣れていて、言い訳が立つということは、「慎重である」ことと同義ではない。会議室の内側から見ると、そう錯覚してしまうだけなのだ。
どちらの選択肢を選ぼうとしているかを見極めるための戦略
解決策は、リスクをとること自体を目的にして無謀な賭けに出ることではない。「言い訳の立ちやすさ」を「安全性」と見せかけるのをやめることだ。いくつかの実践的なアプローチによって、この違いを浮き彫りにすることができる。
• 候補者の名前を見る前に、職務を定義する。履歴書を1枚も開く前に、組織が実際に必要としているもの(今後2年間の具体的な課題)を選考委員会に書き出させる。決断を評判から切り離すのだ。
• 「無難な選択」という言葉が出てくるたびに、その真意を問う。声に出して問いかけるのだ。「誰にとって無難なのか? 組織にとってか、それとも選考委員会にとってか?」
• 大物候補者でも落選し得るプロセスを構築する。実力に基づいて有名候補者を不採用にできる仕組みが選考プロセスにないのだとすれば、それはもはや選考とは呼べない。単に手順を増やしただけの「出来レースの承認」にすぎない。
エグゼクティブ・サーチにおける本当のリスクは、決して見慣れない候補者ではない。自分が知っている名前に頼ることで、責任を持って支持できる決断を下したと錯覚することだ。筆者が知る最も慎重な取締役会は、単に無難な選択肢を選んだりはしない。「真の安全性とは何か」を定義し、それを探しに行くのだ。



