彼女たちは、「Scents of Syria (シリアの香り)」と名付けた石鹸を自らベイルートまで運ぶ。そこから先は別の組織の助けを借りて、米国とドバイ、香港へ輸出。組合に参加する女性たちの月収は、150~200ドル (約1万8,500~2万5,000円)程になるという。
首都ダマスカスの近郊にあるジャハーンの自宅の居間で手作業を続ける女性たちの大半は、他の地域から逃れてきた国内避難民だ。ただ、名字を公開しないことを条件に取材に応じたジャハーンの姿はそこにはない。シリア軍に身柄を一時拘束されたという彼女は釈放後、トルコ・イスタンブールに避難している。
ジャハーンが出国した経緯を記者が確認するすべはないが、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)の報告書にも書かれているとおり、政権側は武力を使って女性たちの身柄も拘束している。
ジャハーンによれば、狭い部屋に閉じ込められた数十人の女性の中には高齢者も多い。また、レイプや拷問の被害に遭う女性たちもいる。「家族が金を支払うことができれば、釈放される」のだという。
これまでに難民として米国に入国したシリア難民は約2,000人とされている。その多くが内戦で死亡、または負傷して働けなくなった夫に代わり、家計を担う女性たちだ。
内戦前は結婚式の記念写真を撮影するカメラマンだったというジャハーンは、化学兵器による攻撃の被害者たちに支援物資を届けたり、ダマスカス周辺への避難を希望する人たちの支援を行ったりしていた。
国外からの支援は減り続け、やがて途絶えた。それでも、「多くの女性たちは自分自身の力で生き抜こうとしていた」という。
そうした中で、中世から続く伝統的なかぎ針編みで知られるジョバル出身の女性たちと出会ったことから、ジャハーンは手編みの小袋と共に石鹸を販売することを思いついた。治癒力があるとされる成分を含んだアレッポの石鹸は世界的に有名だが、内戦は多くの石鹸メーカーの事業に壊滅的な影響を与えていた。
組合の事業には、いくつもの障害が立ちはだかった。散発的に発生する停電の中、女性たちは電力が復旧すれば午前2時からでも起き出して、作業にあたった。また、彼女たちには在庫管理の概念がなかったことから、コストもかさんだ。
シリア・ポンドの下落を受け、国外に販路を築くべきだと考えたジャハーンはベイルートへ出向き、製品を売る場所を探し歩いた。その姿を目にとめたジャーナリストのハーラ・ドゥロウビは、組合のためにフェイスブックのページを開設。彼女の親族たちも、組合を支援する活動を始めた。すると、2013年のクリスマス頃には、小袋の売上高は当初の倍近くにまで増えた。
その後、組合はドゥロウビを通じてシカゴを拠点にシリア難民を支援するカラム基金の協力を得ることになる。北米での販売は現在、カラムが手掛けており、製品はドバイの海運大手、アラメックスが無料で米国まで輸送している。カラムがここ1年間に仕入れた約4,500個の製品は、20~30ドル(約2,500~3,700円)でネット販売されている。
ジェハーンは先ごろ、新たにイスタンブールでも協同組合を立ち上げたばかりだ。ラベンダーの匂い袋を作り、販売する。彼女によると、トルコにはシリアと同じ香りがある。アンバーとムスクの「高潔な香り」は、その土地の人たちだけに与えられたものなのだという。