「精密でリアルな背景に対して、人物の絵柄をシンプルに描く絶妙のバランスです。生活感が漂う風景を取り入れる手法も参考にしています」
実は、イベントの1カ月半ほど前、筆者はZONさんと打ち合わせも兼ねて初顔合わせしていた。そのとき、彼女の父親が筆者とは同年代であることを知った。
親子ほど年の離れた人間が言うのもなんだが、筆者とZONさんに共通しているのは、散歩好きなところ。食べることも好きだけど、歩くことも、もっと好きなのだ。意気投合して、その日、筆者は池袋を案内して彼女と一緒に歩いた。
「日本に来てから散歩が好きになり、京都や大阪のいろいろな街を歩き、その土地の料理をよく食べていました。大阪の風俗街周辺は家賃が安いせいか、中国人の料理店が多いことにも気づきました」(ZONさん)
それは東京でも同じである。もちろん、彼女はそれに気づいていており、『ニーハオ、おいしい中国日和。』にも、彼女と同郷のカラオケパブで働く年上の女性たちと出会うシーンがある。
だが、出稼ぎと割り切って来日している夜の女性たちとは違い、日本に暮らすZONさんと同世代の高学歴の若い人たちは、いま何を考えているのだろうか。ZONさんは次のように語った。
「京都精華大学の大学院には、中国だけでなく、韓国や台湾、インドネシアなどさまざまな外国人留学生が在籍していました。ただ彼らの大半は、日本で漫画家としてデビューして生計を立てることは、収入面の不安定さからビザの取得や更新が難しく、困難な道と諦め、帰国するケースが多いのです。
日本で社会人となった中国出身の友人たちとよく一緒に食事をしますが、たいてい在留資格や永住、帰化に関する情報交換の場となっています」
『ニーハオ、おいしい中国日和。』のなかで印象に残ったシーンはいくつもあるが、そのうちの2つを挙げると、第一話の入管の描写である。作中で主人公は「みんな日本に住む理由はなんだろう…」と心の中でつぶやいている。
ZONさんは、留学時代の京都では在留カード更新の会場は混んでいなかったが、東京の区役所での転入手続きでは2時間から3時間は並んだことに驚いたと話していた。一般の日本人が知るよしのない、創作の背景を物語るエピソードでもある。
印象に残ったもう1つのシーンは、第六話の帰省中の成都で「ここはもう私の知っている場所じゃないのかも…」と主人公が感じているシーンだ。いかに中国社会の変化のスピードが速いか。それを「移民」として出国した自分はどう受けとめればいいのだろうか……。だが、これは彼女に限らず、中国から海外に渡った人たちに共通の実感だろう。
筆者は常日頃からガチ中華の活動を通じて、多くの人に、中国の若い人たちが、いま何を考え、悩み、どんなことに興味あるのか、知ってもらいたいとも考えていた。その意味でも、ZONさんはとても貴重な存在である。
イベントでも話したが、ZONさんが描いた世界が、今日の日本に生まれた時代的、歴史的、社会的、国際的背景を解説したのが、筆者の近刊『ガチ中華移民 日本で増殖する「本場中華料理」の謎』(太田出版)である。できれば、彼女の作品と合わせて読んでいただきたい。
彼女は日本でやりたいことがたくさんあるそうで、これからが楽しみだ。今後の連載では、ガチ中華に限らずベトナム料理など他国の食文化も取り入れたいと話していた。
ZONさんの新しさは、移民たちが自らの胸中を作品として語り始めたことにある。そこで何が語られるのか、これからも耳を傾けたいと思う。


