AIの台頭により、企業経営を取り巻く環境は目まぐるしく変化している。
既存業務を効率化するための技術としてAIを捉えるのか。それとも、事業、組織、人材、データのあり方そのものを見直す契機と捉えるのか。いま経営者には、これまでの延長線上にはない判断が求められている。
Forbes JAPANが主催し、IBMが協賛する、文化体験×AIラウンドテーブルシリーズ「GO Next. | Leaders’ Board -羅針-」第2回で行われた対話を、抜粋してお届けする。
淡路島の静寂の中で己と向き合い、AI変革の視座を高める

日本の標準時の基準となる「東経135度子午線」が通る淡路島。この地にある「禅坊 靖寧」は、大自然に囲まれ、日常から離れて禅体験や宿泊ができる施設だ。
梅雨が明けたばかりの7月9日。「禅坊 靖寧」に、金融、製造、不動産、建設、メディア、広告など、多様な産業の経営層が集った。いずれも、経営、IT、デジタル、AI変革を担うCxO・役員クラスのリーダーたちである。
Forbes JAPANとIBMが共催するクローズドな対話形式の双方向プログラム、「GO Next. | Leaders’ Board -羅針-」。第2回のテーマは「Stillness and Perspective(静寂と視座)」だ。
変化のスピードが激しいAI時代、リーダーたちは常に決断を求められている。どのような道筋でこれからの企業、社会、時代をリードしていくのか。その答えを見つけるためには、ときに静寂の中で自分自身と向き合い、視座を高めることも必要だ。「禅坊 靖寧」は、そんなリトリートに相応しい場所として選ばれた。
正午、参加者たちは館内を巡った後、禅坊料理を囲み、交流を深めた。地元の旬の食材を中心に、動物性の食材や小麦粉、油を使わずに仕立てられた料理は、心と身体を整える時間を演出した。
「禅坊 靖寧」は、建築界最高栄誉といわれる「プリツカー賞」を受賞した坂茂氏設計による建築物だ。施設の中でもひときわ目を引くのは、日本杉を組み合わせて作られた全長100mのウッドデッキ。食事の後、参加者はここで瞑想体験を行い、鳥の声と風の音だけが響く静寂の中で、自己と向き合った。

「AI×自社」がどのような存在なのか、トップがビジョンを示す

引き続きウッドデッキで行われたトークセッションでは、メルカリ執行役員 CISOの市原尚久が登壇。Forbes JAPAN Web編集長の谷本有香が、「AI時代に日本企業が競争優位性を確立するために必要なこと」について聞いた。市原は、NTTデータとLINEにおいて情報セキュリティ分野の最前線で活躍。現在はメルカリでグループ全体のセキュリティとプライバシー戦略を統括している。
セッション冒頭、市原がAIを活用して変われる企業の条件として挙げたのは、「リスクを取る決断力」だった。AIネイティブ企業になるためには、セキュリティのルールやガバナンスに関する議論が欠かせない。ただし、それはAI活用にブレーキをかけるためではなく、前進させるための仕組みであるべきだという。
「経営層がAI導入の障害になるのではなく、現場が安全にAIを使えるように支援することが大切です。イネーブルメントファーストで、管理職と共創していく姿勢が必要になります」(市原)
さらに市原は、AIが自社の事業や業務にどのような価値をもたらすのかを、現場に伝えることの重要性について指摘。特にテクノロジーに詳しくない企業では、ビジョンを共有し、管理部門と事業部門が協力して推進する体制づくりが成功のカギになると述べた。
ここで谷本は、AI活用をめぐる日本企業の可能性と危うさについて問いを投げかけた。
「AIは、日本企業が大きく飛躍するチャンスになり得る一方で、データ活用などの判断に慎重になりすぎると、企業が横並びになり、競争力を失ってしまう懸念もあります」(谷本)
これに対して市原は、日本企業がAI活用を進めるうえでの課題として、「組織」と「テクノロジー」の2つを提示した。組織面では、グループ会社が多い企業ほどガバナンスが複雑になり、変革が進みにくくなる。テクノロジー面では、古いIT環境・技術が残っていることで、ガバナンスの複雑化・高コスト化が障壁となるという。
では、そうした障壁を乗り越え、AI変革を前に進めるために何が必要なのか。市原が強調したのは、トップがビジョンを示すことの重要性だ。AIによって仕事を奪われるのではないかという不安も生まれる中で、企業は従業員に対して、AI時代に自社がどのような姿を目指すのかを言語化する必要がある。
「What to do、つまり何をするかを追求する時代は終わりに近づいていて、『自分がどうあるべきか』に落ち着くのだと思います。5年後には、ほとんどの企業がAIを使う時代になっているはずです。そのときの企業の姿を言語化し、従業員にメッセージとして伝えることが大事です」(市原)
市原は、AI時代に日本企業が競争優位性を確立するためには、「AI×自社」がどのような存在なのか、トップがビジョンを示し、業務プロセスや組織体制を可視化すべきだと繰り返し訴え、セッションを締めた。
“AI全振り”で本当に良いのか?いま見つめるべき経営課題が明らかに

トークセッション後、参加者はグループに分かれ、AI変革をめぐる自社の課題について議論するワークショップを実施した。参加者は「7つの決断チェックシート」を用いて、AIを前提に既存業務をどこまで見直せているのか、本業をどう再定義するのか、人材や組織をどう変えるのか、データ共有や標準化、部門横断、外部との共創をどこまで進められているのかといった観点から、自社の現在地を整理したうえで議論をスタートさせた。

あるグループでは、「AIをどう使うか」以前に、「そもそもどこまで使うべきか」が論点となった。すべての業務をAIに置き換える必要があるのか。AIに振り切ることは、本当に差別化につながるのか。議論を通じて、「全社が同じことをすれば、AI活用そのものは差別化にならない」という認識が共有された。
また、ある企業からは、「AI導入のインパクトは1%程度」という具体的な数字も挙がった。一方で、オンラインを中心に事業を展開する企業からは「AIに市場そのものを奪われるかもしれない」という危機感が示され、フィジカルな現場を持つ企業からは「人手不足をAIで補える」という期待も語られた。AIの捉え方は、業種や事業特性によって大きく異なる。
その中で共通していたのは、「必然性がある領域ではAI活用が進んでいく」という見方だ。さらに、各社が「AIに置き換えられないもの」として挙げたのは、いずれも自社のコアコンピタンスに関わる領域だった。
議論は「組織と人材のあり方」へと向かい、AIによる効率化をどう伝えるかという課題も浮かび上がった。業務を減らすことは、必ずしも人を減らすことと同じではない。
しかし、効率化が進めば、現場には「自分たちの仕事も減らされるのではないか」という不安が生まれる。だからこそ、削減した業務時間を何に振り分け、人にどのような役割を期待するのかを、経営リーダーが丁寧に示す必要がある。変革を前に進めるには、施策の中身だけでなく、それをどう語るかも重要になる。
さらにAI時代には、「人材育成のために、部門を越えて知見が交わる環境をつくる必要がある」という意見も挙がった。AIが定型的な業務を担うようになるほど、人間には、複数の領域を横断しながら課題を捉え直し、新しい発想を生み出す力が求められるからだ。
ひとつの専門領域に閉じない人材をどう育てるのか。「複数の役割を担える人材が増えれば、その中から次の経営を担う人材が生まれる可能性もある」という参加者の言葉からは、従来の組織体制にとらわれない、柔軟な人材育成の発想が求められていることがうかがえた。

何を捨てて、何を残すのか。その判断の柱となるのはビジョン
ワークショップの後、日本IBM 執行役員兼技術理事 技術戦略本部統括の藤田一郎から、IBM自身が「Client Zero」として取り組んできたDX・AI実装のプロセスが紹介された。藤田によれば、IBMはAIとハイブリッドクラウドを軸に自社変革を進め、2025年末までに45億ドル、約7,000億円規模の価値創出につなげてきたという。
藤田は、IBMの歩みを振り返りながら、1964年のメインフレーム、1993年のオープン化とインターネット、そして2023年以降のハイブリッドクラウドとAIという、約30年ごとに訪れるイノベーションの波について語った。1993年に大きな赤字を経験したIBMは、その後も時代の変化に合わせて事業を大胆に転換してきた。現在もまた、AIとハイブリッドクラウドを軸に、自らの企業変革を進めている。
その成果を支えているのは、単に高度なAIツールを導入したことではない。藤田が強調したのは、AIを入れる前に、AIが生きる組織デザインを整えることの重要性だった。データ、業務、組織、文化、IT基盤を一体で見直し、AIを実装できる状態をつくる。その地道な取り組みこそが、AI時代の変革を考える日本企業にとっても、大きな示唆となるはずだ。

最後に、参加者から感想が語られた。ある参加者は「禅とAIという、なかなかない組み合わせの中で、最初にリラックスしてから議論に入れたのが良かった。苦労を重ねながら、ここまで変革を進めてきたIBMの事例はとても参考になった」と振り返った。別の参加者からも、「さまざまな立場からAIと向き合う方々と話すことで、視野が広がった」といった声が聞かれた。
今回のラウンドテーブルを通じて見えてきたのは、本格的なAI時代を前に、企業のトップが自社のビジョンを示すことの重要性だ。AIをどう捉えるかは、業種や企業によって大きく異なる。だからこそ、業務や事業の何を捨て、何を残すのか。その判断を下すためには、市原が語ったように、「AI×自社」がどのような存在なのかを見極め、言語化し、組織に伝えていく必要があるのではないだろうか。
静寂の中で自分自身と向き合い、多様なリーダーとの対話を通じて視座を広げる。禅坊 靖寧で交わされた議論は、AI時代に企業が次の一歩を踏み出す上で、確かなビジョンを持ち、示すことの重要性を改めて浮かび上がらせる時間となった。
日本IBMが描くAIの成長戦略
https://www.ibm.com/jp-ja/campaign/ibm-and-ai-strategy



