どの組織も、いずれ扱いの難しい社員に直面する。彼らは並外れて有能で、生産性が高く、長年にわたる組織内の知見を持っているかもしれない。だが、そうした強みにもかかわらず、その振る舞いが周囲の人々を継続的に損なうことがある。否定的な空気を広げ、対立を生み、期待される行動を無視し、同僚に敬意を欠いた態度を取る。しかし、こうした人々が組織文化にとって最大の脅威であることはまれだ。本当の脅威は、リーダーが沈黙することである。
マネジャーが有害な行動に対処しないとき、意図せずして周囲に強いメッセージを送っている。その人物に十分な価値があれば、問題ある行動は容認される、というメッセージだ。たった1人の扱いにくい社員が、組織全体を損なう可能性がある。
沈黙は決して中立ではない
多くのリーダーは、対立を避けることが最も安全な選択肢だと思い込む。時間がたてば性格は改善すると期待し、問題は限定的だと考え、あるいは技術的に優れた社員を失うことを恐れる。
しかし、行動しないこともまた、1つの行動である。
不適切な行動が放置される日々が続くほど、リーダーはその行動を強化していることになる。当の社員は、結果責任を問われないという確信を深める一方、同僚たちはプロフェッショナリズムに意味があるのかと疑問を抱くようになる。
やがて社員は、何も変わらないと考えて懸念を報告しなくなる。声を上げても無意味だと感じ、アイデアを自発的に出すことをやめる。静かに意欲を失う人もいる。別の機会を探し始める人もいる。1人の有害な社員を入れ替えるコストは、不健全な環境で働くことに疲れた複数の優秀な社員を失うコストより、はるかに小さいことが多い。
マネジメントの沈黙に潜む隠れた代償
リーダーの沈黙は、組織に長く残る影響をもたらす。組織ではしばしば、次のようなことが起こる。
• リーダーへの信頼の低下
• 従業員エンゲージメントの低下
• 優秀な人材の離職増加
• チーム間の協力関係の悪化
• 従業員からの苦情や対人トラブルの増加
• 組織変革への抵抗の強まり
組織文化が1人の個人によって悪化することはまれだ。悪化するのは、リーダーが一貫して何を許しているかを人々が見ているからである。従業員は、リーダーが何を言うかよりも、何を容認するかによってリーダーを評価する。
説明責任は敬意の表れである
説明責任について最も大きな誤解の1つは、それが懲罰的なものだという考え方だ。効果的な説明責任は、実際には人への投資である。リーダーが適時にフィードバックを与え、明確な期待値を定め、早い段階で懸念に対処すれば、小さな問題が大きな問題になる前に、社員に改善の機会を与えることになる。
コーチングに前向きに反応する社員もいる。正式な是正措置が必要な社員もいる。最終的に組織に合わないことが明らかになる人もいる。いずれの結果も、損害を与える行動を放置し続けるより健全である。説明責任は、組織の成果だけでなく、仕事においてプロフェッショナリズムを示す社員も守る。
敬意が譲れない文化をつくる
有害な行動が根付くのを防ぐことに成功しているリーダーには、いくつかの共通した実践がある。
第1に、成果への期待と同じくらい明確に、行動への期待を定めている。社員は、結果そのものと同じくらい、その結果をどのように達成するかが重要であることを理解している。
第2に、懸念にすぐ対処する。難しい対話は、数カ月分の不満が積み重なってから行うよりも、最初の出来事の直後に行う方がはるかに容易である。
第3に、単発の出来事ではなく、パターンを記録する。客観的な観察は、関係者全員にとって明確さと公平性を生む。
第4に、コーチングは個別に行い、原則は公に徹底する。個別の事案を公開の議論にすることなく、敬意ある行動が組織全体で期待されていることを社員が理解しているべきである。
最後に、リーダーは自らにも説明責任を課す。勤続年数、専門性、組織内での影響力にかかわらず、期待が全員に等しく適用されているかどうかを、チームは注意深く見ている。
基準を定めるのはリーダーである
強い職場文化は、リーダーがチームを守る勇気を一貫して示すときに築かれる。社員は、難しい対話を受け入れることができる。建設的なフィードバックも受け入れられる。自分が同意できない意思決定でさえ受け入れられることがある。だが、有害な行動が抑制されずに続くなかで、リーダーが沈黙し続ける様子を見ることは受け入れがたい。
文化は、日々のリーダーシップ上の意思決定によって形づくられる。
避けられた会話、退けられた苦情、見過ごされた行動の1つ1つが、社員が経験する文化の一部になる。リーダーが定期的に自問すべき問いはシンプルだ。
「もし自組織のすべてのマネジャーが、不適切な行動に対して自分とまったく同じように対応したなら、私たちはどのような文化をつくることになるのか」
この問いへの答えは、沈黙が平穏を守っているのか、それとも壊しているのかを示すことが多い。



