1790年1月、アメリカ合衆国代議院(下院)は、就任したばかりの初代財務長官に単純な質問をした。「アメリカは自国で何をつくるべきだろうか」と。アレグサンダー・ハミルトンが答えを出すまでには、2年近くかかった。
カリブ海のネビス島出身の孤児から身を起こした移民であるハミルトンは、当時まだ36歳。その文才を生かしてキングス・カレッジ(現在のコロンビア大学)に進み、初代合衆国大統領ジョージ・ワシントンの側近にまで上り詰めていた。1791年12月5日、彼が合衆国議会に提出した「製造業に関する報告書」は、彼のいわゆる四大報告書のなかで最も長いものである。そして、議会にほとんど顧慮されなかった報告書でもあった。
ハミルトンは、必要なものを自国でつくれない国は真の意味で国家とは言えないと論じた。「一国の独立と安全は、製造業の繁栄と密接に結びついているように思われる」と彼は報告書に記している。
アメリカ初の工場となる水力式紡績工場がロードアイランド州に開設されるのは、まだ少し先のことだった。したがって、ハミルトンは工場自体に思い入れがあったわけではない。彼が考えていたのはむしろ、国家としての供給能力だった。当時のアメリカは、マスケット銃や羊毛、火薬などを、ついこの間まで戦っていた当の相手、イギリス帝国から購入しなければならない状態にあった。ハミルトンは、新生の共和国アメリカが「軍需品をはじめ、必需品に関して外国に依存しない」国になることを望んでいた。
再び脚光を浴びるハミルトン
時はくだって2026年1月、ダボス会議に出席したジェイミソン・グリア合衆国通商代表は、ドナルド・トランプ政権の通商政策の思想的な父祖にハミルトンを位置づけた。
ハミルトンが生みの親である財務長官職の79代目を務めるスコット・ベッセントも、同じ見解を示している。ベッセントはウォールストリート・ジャーナル紙に寄せた論説で、国家と経済の安全保障は「次の世紀を決定づける産業を構築し、発明し、資金面で支え、拡大していく能力から始まる」と説き、そうした産業として半導体や人工知能(AI)、量子コンピューティング、先端製造業、造船、重要鉱物、医薬品を挙げた。



