ジャーナリズムからVCに転向した「キツネ」
たとえば、セコイア・キャピタルのマイケル・モリッツを見てみよう。ティールのような人物とは異なり、厳密な意味では彼には会社を起業した経験はないモリッツは1976年にイギリスのウェールズからデトロイトに渡り、自動車業界を担当するタイム誌の記者として働きはじめた(ベイエリアの絶景が眼のまえに広がるサンフランシスコの自宅を訪れたとき、モリッツは私が被っていたデトロイト・タイガースの野球帽にすぐに気づいてくれた)。やがて彼はロサンゼルスへと移り住み、その後さらにカリフォルニアを北上した。サンフランシスコにたどり着いたモリッツはすぐさま、シリコンバレーとその若い起業家たちに魅了された。「わたしが生まれ育った場所では、会社を起ち上げる人なんていませんでした。それも19歳か20歳で起業するなんて考えられなかった。あるとしても、せいぜい窓拭きの会社とかだけでね」
モリッツはシリコンバレーに関する記事を書く傍ら、草創期のアップルとスティーブ・ジョブズについて描いた著書『スティーブ・ジョブズの王国――アップルはいかにして世界を変えたか』(青木榮一訳、プレジデント社、2010年)を出版した(公式の伝記となる予定だったが、気性の激しいジョブズは途中でモリッツとの連絡を絶った)。記者としての取材を通して主要なVC企業と関係を築いた彼は、みずからもこの業界に参入することを決めた。「そこで5社に応募してみましたが、4社からはすげなく断わられました。『いいかい、きみは歴史専攻で、テクノロジーについて無知もいいところじゃないか。コンピューターや工学の学位も持っていないし、ヒューレット・パッカードで働いた経験もない。きみはジャーナリストだ。この会社にきみのやることなんて何もないよ』という具合で散々でした」と彼は言った。
しかし、1社だけはちがった。セコイア・キャピタルの創業者ドン・バレンタインはモリッツに賭けてみることにした。それは正しい賭けだった。その後モリッツはつぎつぎと投資を成功させ、フォーブス誌のミダスリストで2度も第1位に輝いた。「ドンは数年前に亡くなったよ。きみがインタビューしていたら、彼はわたしについてこう評しただろうね。『マイクはとても良い聞き手で、質問の仕方がうまかった』とね」。いい質問をすること――それこそが、モリッツが報道記者とVCのあいだに見いだした共通点だった。さらに「限られた情報で首尾よく仕事をこなす」という共通点もあったが、それもキツネの特徴となる。「いわゆる、なんでも屋の記者でした。だから、何も知らない分野に落下傘的にあちこち送り込まれて、数日以内にそれなりに専門家っぽい記事を書かなきゃいけなかった。ベンチャー投資も似たようなものさ。わたしは仕事柄むかしから、不完全な情報で何かを決めることにあまり抵抗がない質たちでね。それが結果的に大きな強みになったと思う」


