非ネイティブのアクセントがキャリアの上限を決めてしまうのではないかと不安に思う人にとって、Fortune 50の上級経営陣をざっと見れば安心できる材料がある。ハイデラバードで育ったサティア・ナデラはMicrosoftを率いている。チェンナイで育ったスンダー・ピチャイはAlphabetを率いる。テッサロニキ出身の獣医師だったアルバート・ブーラはPfizerを率い、バルセロナ出身のラモン・ラグアルタは2018年からPepsiCoを率いている。彼らの話し方には、いずれも母語の特徴が認められる。だが、誰も一般的な米国式の話し方に寄せる必要を感じているようには見えない。
さらに心強い材料がある。会計学者のレオナルド・バルセロスとキャスリン・カドゥスは、統制実験で、投資経験のある参加者に、CEOを演じる俳優による模擬決算説明会を聞かせた。俳優は標準的な米国英語、または非ネイティブのアクセントで話した。悪いニュースが伝えられたとき、アクセントのあるCEOは好意的に際立った。投資家は、第二言語でトップに上り詰めた人物は並外れて勤勉で意志が強いはずだと推測し、そのリーダーと企業の双方により好意的な印象を抱いた。良いニュースの場合、アクセントは意味のある差を生まなかった。
残念ながら、話はそれほど単純ではない。聴衆は多くの場合、無意識のうちにアクセントのある話者を不利に扱う。5367本のTED Talksを分析した研究では、テーマや話者の知名度などの要因を考慮しても、非ネイティブのアクセントを持つ話者は視聴回数や「いいね」が少なかった。
Harvard Business Reviewはこれを「アクセント・ペナルティ」と呼ぶ。139件の実験を通じて、標準的なアクセントの候補者は、非標準的なアクセントの候補者よりも採用に値すると評価された。心理学者は、この背景に「処理流暢性」と呼ばれるものがあると説明する。聞き慣れない話し方を理解するには、より大きな認知的労力が必要になる。聞き手は、自分が感じるその労力を、話者側の欠点だと誤って解釈することがある。ある実験では、シリ・レブアリとボアズ・キイザーが、同じ発言でも外国語なまりで話されると、真実味が低いと評価されることを示した。聞いた内容を処理するために聞き手が追加で要した労力が疑念のように感じられ、その疑念を話者に帰属させたのである。
市場が実際に評価するもの
では、アクセントは強みなのか、ペナルティなのか。最も有用な答えは、アクセントを考慮せず、「平均的な聞き手がこの経営者の話についていけるか」を問うた研究から得られる。Journal of Accounting and Economicsに掲載された研究では、研究者たちが数千件の録音された決算説明会を、まさにその尺度で評価した。その結果、投資家の行動が実態を物語っていた。経営者が明瞭に話した場合、市場はニュースを素早く織り込んだ。一方、流暢さに欠け、理解しにくい話し方だった場合、取引活動は約9%低く、すでに公表されている情報に価格が追いつくまでに時間がかかった。アナリストチームや即時の文字起こしに頼れない個人投資家は、大手機関投資家よりも大きな影響を受けた。
この基準は誰にでも当てはまる。経営者がインド、ギリシャ、スペインのアクセントだとわかる話し方をしながらも、複雑な情報や期待外れの結果を明確かつ正確に聴衆に説明できることがある。一方で、地元テレビのアナウンサーのように聞こえる人でも、口ごもり、注意事項を早口で流し、結論を専門用語の中に埋もれさせることがある。前者にはアクセントがある。後者にはコミュニケーション上の問題がある。本当に重要な基準は、ネイティブらしさではなく理解しやすさであり、多くのネイティブ話者も日々この基準を満たせていない。
言語運用能力に求められること
理解しやすさは1つの基準である。もう1つは言語運用能力だ。ここで「アクセント」という言葉は実際に害をもたらし得る。人は、話し方の音とは関係のない問題に対しても、この言葉をラベルとして使ってしまうからだ。Y Combinator共同創業者のポール・グレアムは2013年、CEOに「強い外国語なまり」があるのは悪い兆候だと述べた際、このことを学んだ。批判者たちは、アンディ・グローブ、セルゲイ・ブリン、イーロン・マスクといった名前を挙げて反論した。グレアムは、自らの発言の穴から抜け出すために、説明のためのエッセイを丸ごと1本書く必要があった。
母語ではない言語で人を率いている、あるいはそれを目指しているなら、その言語の母語話者にどれだけ近く聞こえるかは、その言語で何ができるかに比べればはるかに重要度が低い。言語学者のマリー・マンローとトレーシー・ダーウィングは、強いアクセントのある話し方でも完全に理解可能であり得ることをずいぶん前に示している。ただし、リーダーシップという目的においては、言語運用能力は文法や語彙にとどまらない。話を追える程度に明瞭な発音、話の構造を見えにくくしない安定した流暢さ、意図したことを正確に言えるだけの精密な語彙、自分の考え同士の関係を保てる構文が求められる。あなたに向けて言われていることを理解するには慣用表現を十分に使いこなす力が必要であり、不同意、ユーモア、敬意がその場の聴衆にどう受け止められるかを理解する文化的能力も必要になる。
良い知らせは、言語運用能力は伸ばせるということだ。悪い知らせは、学習の機敏さや、目標達成のために継続的な努力を重ねることをその範疇に含めるなら、それには時間がかかるということだ。その過程は苛立たしく、ときには気恥ずかしいものでもあり、自分が「本来の仕事」だと考えていることから注意をそらす必要もある。
言語が職務の一部であるとき
言語が役割の一部である場合、言語運用能力はいっそう重みを持つことがある。3月、ラガーディア空港でリージョナルジェット機が消防車と衝突し、2人のパイロットが死亡した後、Air Canadaの最高経営責任者マイケル・ルソーは4分間の追悼メッセージを録画した。その中に含まれていたフランス語は、bonjourとmerciの2語だけだった。モントリオールを拠点とする国家的機関のトップであり、フランス語圏のケベック出身だった機長を悼む立場にありながら、ルソーは残りを英語で話した。誰も聞き間違えたわけではなく、発音に異議を唱えたわけでもない。失敗は、ケベック最大の都市で20年近く暮らしていながら、悲嘆の瞬間にフランス語圏のカナダ人へ直接語りかけることができなかった点にあった。「私はいまだにフランス語で十分に自分を表現することができない」と彼は認めた。ケベック州議会は92対0で彼の辞任を求め、1週間以内にAir Canadaの取締役会は彼の退任を発表した。
ルソーにとって、これは不意打ちではなかったはずだ。ほぼ5年前、Air Canadaの社長兼CEOに就任して9カ月後、彼は別の大きな言語問題に巻き込まれていた。そのとき彼は、モントリオールのビジネス界に向けて26分間のスピーチを行ったが、フランス語はわずか20秒ほどしか含まれていなかった。その後、ケベックで14年暮らしながらなぜその言語を学ばなかったのかと問われたルソーは、多忙なスケジュールを学習しなかった理由として挙げ、それが許容されてきたことは「モントリオールという都市の寛容さの証し」だと述べた。その答えは悔悟というより慢心に聞こえ、批判の波と数千件の公式な苦情を招いた。ルソーはスピーチの翌日に謝罪し、フランス語を向上させると約束し、「適切なアクセントで」そうしたいと冗談めかして語った。だが、本質的な基準はそこではなかった。人々が気にしていたのは、彼が自分の役割と、自分が仕える人々にとって重要な言語を使いこなせるかどうかだった。言い換えれば、それは彼の職務の一部だった。そして彼が明らかに無視したフィードバックは、曖昧なものではなかった。
誰も伝えないフィードバック
マネジャーが第二言語、場合によっては第三言語でグローバルチームを率いる組織で、私が最もよく目にする力学がある。それは、アクセント・バイアス研究ではほとんど触れられないものだ。同僚が誰かの話し方を理解するために本当に苦労している場合、その本人が最後まで知らされないことが多い。同僚は沈黙し、マネジャーも同じだ。その背景には、この問題を指摘すれば、非ネイティブ話者に偏見を持っていると見なされるのではないかという一般的な恐れがある。
心理学者はそのメカニズムを記録している。この沈黙に関するアクセント特有の証拠は限られているが、隣接する研究はリスクを明らかにしている。研究者のアリッサ・クロフトとトニ・シュマダーは、偏見があるように見えることを心配する評価者が、マイノリティの書き手に対して適切な量の称賛は与える一方、批判的なフィードバックを控えることを見いだした。別の社会心理学者ケント・ハーバーも、同一の課題を評価する教師に同様の成績の上振れが生じることを発見した。沈黙は包摂的に感じられる。だが実際には、他の人なら自由に受け取れる成長のための情報を与えないことで、特定の集団に害を与える。結果として、その集団の人々は建設的な対話ではなく、昇進が止まることによって問題を知ることを強いられる。
だからこそ、診断は双方から行うべきだ。人生の後半で身につけた言語で話しているなら、「エグゼクティブ・プレゼンス」に関する曖昧なフィードバックを待ってはいけない。信頼できる同僚に、どの単語、構文、場面が最も理解に労力を要するのかを尋ね、相手が本当に安心して答えられるようにすることだ。また、アクセントのある話者を評価する立場にあるなら、結論に至る前に自分の聞き方を点検したい。中心的な論点は理解できたか。論理の流れを追えたか。話者はニュアンスを表現し、曖昧な情報に条件をつけて説明できていたか。意味が妨げられていたのか、それとも単に聞き分けるために少し努力が必要だっただけなのか。最後の点は強調に値する。実験研究では、聞き手は驚くほど短い接触の後でも、聞き慣れないアクセントのある話し方に適応できることが示されているからだ。多くの場合、最も包摂的な行動とは、相手にもう1分与えることなのである。
結論
アクセントはなくならない。私たちはグローバル経済の中にいるため、リーダーシップ人材は今後ますます第二言語、第三言語で話す必要に迫られる。アクセントのある話者なら、理解されること、正確であることに努めるべきだ。自分の役割が求める言語運用能力を築くこと。それらは、聞き手が常に公平に基準を適用するとは限らない中でも、自分でコントロールできる基準である。
アクセントのある話者を評価する立場にあるなら、聞く努力が必要であることは、その人の思考の質を示す証拠ではないと忘れてはならない。あなたの判断には、より大きな責任が伴う。昇進や資金提供を左右する立場にいるかもしれないからだ。思いやりと誠実さをもって双方の基準を保てば、アクセントに見える問題の多くは、埋められる言語運用能力のギャップ、打ち破れるフィードバックの壁、あるいは修正できるバイアスだとわかる。アクセントのあるリーダーが目指すべきなのは、ネイティブのように聞こえることではない。誤解されにくく、過小評価されようのない存在になることだ。



