年間の死者数は増え続け、多死社会という言葉はすでに耳慣れたものになった。けれども、身近な人の死に立ち会った経験を、私たちはどれだけ持っているだろうか。
死者の数が増える社会と、死を経験しない個人。これらが同時に進むとき、その空白はどこに現れるのか。浄土真宗本願寺派の築地本願寺が、18歳から79歳の男女1236人を対象に実施した調査が、その実態を浮かび上がらせた。
死者数が増える時代に薄れる死との接点
核家族化と単身世帯の増加が進み、看取りの場が病院へ移るなかで、死と向き合う機会や時間、経験はあまりないと答えた人は全体の40.8%にのぼる。18歳から29歳では約2割が、墓がない、あるいはどこにあるかを知らないと回答しており、先祖や死者とのつながりそのものが細くなっていることがうかがえる。
この逆説を、調査主体である築地本願寺は「疎死社会」と名づけた。死が遠ざけられれば、理解も心の消化も進まないまま、恐怖と不安だけが手元に残ることになるだろう。
自分の死を受け入れる力と年代の開き
自分の死をどう捉えるかは、年代ではっきり分かれた。70代では約6割が、いつか訪れるものとして受け入れるべきと答えたのに対し、18歳から39歳の男性では約25%にとどまる。
故人に思いを馳せるときの感情も同様で、若年層ではさみしい、つらい、落ち込むといった言葉が相対的に多く、60代以上では懐かしい、ありがたいが上位に並ぶ。喪失の痛みが感謝や追憶へと変わっていくのは、年齢を重ねたからというより、死に接する経験を重ねた結果のようだ。
死と向き合う経験が育てるレジリエンス
経験の差は、日常の不安への構え方にも表れる。漠然とした不安を感じる、悪いニュースを見て不安になると答えた人は全体の4割強で、昨年より約5ポイント増えた。
そのなかで死と向き合う機会があると答えた層は、不安に対して自分で原因を特定し具体的に対処すると答えた割合が、そうでない層より8.7ポイント高い。一方、そうした機会に乏しい層では、趣味や仕事にのめり込んで考えないようにする、距離を置くといった逃避的な対処が目立つ。
自由回答は、その先を示している。身近な人の死をきっかけに今を大切に生きようと思った、後悔しないよう行動するようになったという声が多く寄せられた。死は、残された時間をどう使うかという問いを連れてくる。
その問いに触れずにいる分だけ、不安をやり過ごす術も、生をとらえ直す手がかりも乏しいままなのかもしれない。私たちは本当に、死から目を背けることで安心を得られているのだろうか。
【調査概要】
調査対象:全国18〜79歳の男女1236人
調査期間:2026年1月30日〜2月1日
調査方法:インターネット調査



