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2026.08.24 11:00

健康診断を支える酵素の未来――産総研×ナガセダイアグノスティックスが実現した高効率生産

年に1度の健康診断で、当たり前のように受けているコレステロール値の検査。こうした検査をはじめ、医療機関で病気の診断や治療方針の決定に用いられる検査は「臨床検査」と呼ばれ、医療を支える重要な役割を担っている。その臨床検査に使われる酵素「コレステロールエステラーゼ」の安定生産は、診断薬原料メーカーにとって長年の課題だった。ナガセダイアグノスティックス(旧・旭化成ファーマ 診断薬事業部)は、産業技術総合研究所(以下、産総研)との共同研究によって新たな製造技術を確立。その技術を用いた製品はすでに実用化され、臨床検査の現場で使われ始めている。長年の課題を、両者はいかにして乗り越えたのか。


食生活の乱れや運動不足などを背景に増加する生活習慣病。脂質異常症や糖尿病、高血圧を引き起こし、重症化すると脳梗塞や心筋梗塞などのリスクも高まるため、予防と早期発見を目的とした健康診断の重要性は年々増している。

健康診断や医療機関で行われる臨床検査において、コレステロール値を測定する際に用いられる診断薬の原料のひとつが、脂質の一種であるコレステロールエステルを分解する酵素「コレステロールエステラーゼ(以下、CE)」だ。血液中のコレステロールエステルと反応させ、その色素変化を数値化することでコレステロール値を測定する。このCEを1980年代から診断薬原料として供給し続けてきたのが、ナガセダイアグノスティックスである。

ナガセダイアグノスティックス開発営業本部 酵素製品部長 植田祐生(以下、植田)は、CEをめぐる市場の構造をこう語る。
「脂質異常症に関連する臨床検査市場は年々拡大しており、現在では国内外を合わせて数千億円規模に達していると当社では推定しています。診断薬にはさまざまな成分が含まれているため自社製品のみのシェアを算出することは難しいですが、当社が供給するCEもコレステロール測定試薬に欠かせない原料のひとつとして、広く採用されています。外部調査資料では、コレステロール測定を含む臨床検査市場は年率5%前後で成長しているとされており、日本、欧米、東アジアのほか、今後は東南アジア、南米、アフリカでの需要拡大も期待されています」(植田)

ナガセダイアグノスティックス 開発営業本部 酵素製品部長 植田祐生
ナガセダイアグノスティックス 開発営業本部 酵素製品部長 植田祐生

脂質異常症の検査需要が年々増していく一方、課題となっていたのがCEの安定供給だった。ナガセダイアグノスティックスの前身である旭化成ファーマ 診断薬事業部では、2000年代初頭からCEの生産性向上に取り組んできたものの、従来の手法では十分な成果を得られず、増産は長年の課題となっていた。

そんな状況を変えたのが、2016年に始まったNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)のスマート(高性能な)セル(細胞)の実用化を目指す「スマートセルプロジェクト」である。その一環として、以前から共同研究の実績があったナガセダイアグノスティックスに対し、産総研から新たな共同研究の打診があった。

当時、同社に在籍していた酒瀬川信一(以下、酒瀬川。現在は産総研 生命工学領域 バイオものづくり研究センター 総括研究主幹)が示したのは、20年近く取り組みながらも突破口を見出ずにいたCEの増産だった。酒瀬川は、過去に産総研との共同研究を通じてその高い技術力を実感していたからこそ、生命工学だけでなく幅広い研究領域をもつ産総研の力を借りれば、自社だけでは解決できなかった課題も必ず打破できると考え、「スマートセルプロジェクト」に乗り出すことを決意する。

産総研との共同研究で突破口を見い出す

従来、CEの生産性を高める方法としては、遺伝子組み換えを施した大腸菌を用いる方法や、生産菌そのものに変異を起こす突然変異育種法が一般的だった。ナガセダイアグノスティックスでも、2000年代からこうした手法を試してきたが、期待する成果を得られずにいた。そこで、産総研と組んだ研究チームでは、従来の菌にCEをつくらせるのではなく、CEを生み出す菌「バークホルデリア・スタビリス」そのものを、高生産な「スマートセル」へと変えるアプローチを選んだ。 

当時、ナガセダイアグノスティックスでCEの研究テーマ責任者であった小西健司(以下、小西)は、当時をこう振り返る。

「大腸菌を用いる場合、これまで何十年分もの知見や実験ツールが世界中に蓄積されています。しかしバークホルデリア・スタビリスを使った例は報告されていませんでした。何から始めるべきかもわからない状態からの出発でしたが、まず必要だったのは菌の性質を理解することでした。その第1歩となったのが、産総研のゲノム解析技術です。バークホルデリア・スタビリスのゲノム配列を解読できたことで、研究を前に進められました」(小西)

ラボスケールでの培養
ラボスケールでの培養(提供:ナガセダイアグノスティックス)

解析の結果、この菌は3つの環状染色体の中に6,764個の遺伝子をもつことが明らかとなった。この遺伝子情報を基に、CEを高発現させる新規プロモーター(遺伝子の発現を制御する配列)を探索し、バークホルデリア・スタビリスを宿主とする発現システムの構築に成功した。しかし、事業化に耐えるだけの生産効率にはまだ届かず、CEの生産量を大きく引き上げることはできなかった。

それでも両者は歩みを止めなかった。実験結果が出るたびに産総研の研究者と議論を重ね、次の仮説を立てては検証する。その積み重ねが、新たな発想を生み出していく。

「我々だけで研究をしていたら、おそらくいくつかの局面で行き詰まっていたと思います。しかし産総研にはバックグラウンドの異なる研究者がいて、さまざまな視点から次々とアドバイスをもらいました。それが次の実験につながり、自社だけでは思いつかなかった発想にたどり着けました」(小西)

粘り強い検証の末、約4,000株の変異株を作製して生産性を調べる過程で、大きな発見が生まれた。

「4,000以上の変異株の中から30株ほどをランダムに選び、発現ベクター(遺伝子を細胞に導入するための仕組み)を導入したところ、CEの生産量が5倍になる株が見つかりました。最初にその数値を見たときはあまりの驚きに何かの間違いではないかと思ったほどです。その後、実験を担当してくださっていた研究員の方と一緒に再三確認しましたが、結果はやはり同じでした」(小西)

ナガセダイアグノスティックス 開発営業本部 酵素製品部 マネージャー 小西健司
ナガセダイアグノスティックス 開発営業本部 酵素製品部 マネージャー 小西健司

解析を進めた結果、高生産株では本来3本ある染色体のうち、第3染色体が欠損していることが判明。さらに研究を重ね、第3染色体上にCEの生産効率を左右する遺伝子が存在することを突き止める。培養条件なども最適化した結果、21年には目標としていた野生株の30倍以上という生産性を実現した。

量産化という最後の壁を越える

だが、技術が確立してもなお、新たな壁が立ちはだかる。ラボスケールでは問題なく培養できていたものが、実際の製造用の大型タンクで培養すると、途端にうまくいかなくなったのだ。

「原因がわからず、突き止めるのに苦労しました。生産現場のメンバーと何度も相談しながら、条件を一つひとつ見直していく作業を繰り返しました」(小西)

原因は単一ではなく、培養条件の複数の要素が絡み合っていた。研究チームは、生産現場のメンバーとともに要素ごとに切り分けて検証しながら、最適な条件を探っていった。

「研究側と工場側で密にやりとりしながら解決していきました。工場の方々が長年積み重ねられてきた知見をお借りするとともに、研究側の検討結果も現場に反映しながら、なんとか最適な条件にたどり着けました」(小西)

こうして、スマートセルを用いたCEの量産化に成功。23年6月には、新たな製造技術によるCE製品「CEN Ⅱ」が発売され、健康診断や医療機関で行われる臨床検査で使われ始めている。両者が共同で開発した技術は、研究成果にとどまらず、実際の医療を支える製品として社会実装に至った。

「既存のお客さまには、それまでの製法によるCEを長くご使用いただいていました。酵素そのものは同じでも、製法が変わる以上、ある日突然『明日からこれです』と切り替えるわけにはいきません。お客さまに丁寧にご説明し、サンプル評価の状況を見極めながら、ご理解をいただいたうえで慎重に切り替えを進めていきました。切り替え後も、品質や供給面で従来と変わらず安心して使用できるとのお声をいただいています」(植田)

量産化の成果は、複数の面に表れている。ロットサイズの拡大による品質の均一化、そして環境負荷の低減だ。CO2排出量は、電力使用量ベースの試算で、従来比約96%の削減効果があったという。

「スマートセル技術によって、同じ培養液の量からより多くのCEを生産できるようになりました。これにより、従来よりも少ない培養回数・小規模な設備で必要量を生産できるようになり、生産効率は大きく向上しています」(植田)

ナガセダイアグノスティックスの伊豆の国市にある大仁工場の製品用の大型タンク
ナガセダイアグノスティックスの伊豆の国市にある大仁工場の製品用の大型タンク(提供:ナガセダイアグノスティックス)

振り返ると、こうした壁を一つ越えるたびに、産総研という組織の厚みを実感してきたと小西は言う。

「今回、産総研の微生物の専門家やタンパク質の結晶構造の専門家など、私たちにはない専門性を持つ方々から、さまざまなアイデアをいただきました。もし自社だけで抱え込んでいたら、このプロジェクトを成功させるのは難しかったと思います」(小西)

この技術は、ナガセダイアグノスティックスと産総研が特許を出願している。複数の国と地域で審査が進められており、すでに登録に至った国もあるという。

プロジェクトを経て産総研に籍を移した酒瀬川は、企業と研究機関、双方の内側を知る立場から、今回の共同研究をこう振り返る。

「籍を移してあらためて感じるのは、産総研には研究成果を社会に実装するという明確なミッションがあって、多くの研究者がそれを体現しようとしていることです。今回の共同研究で得られた知見――例えば染色体の欠損という発見を他にどう横展開できるかは、今なお取り組み続けていることです。最近では、『バイオものづくり研究センター』を拠点に、微生物や植物を活用した新しいものづくりにも挑戦しています。企業の方々と同じ場所で実証や開発を進められる環境も整っていますので、今後はこうした企業連携をさらに広げていきたいですね」

国立研究開発法人産業技術総合研究所 生命工学領域 バイオものづくり研究センター 統括研究主幹 酒瀬川信一
国立研究開発法人産業技術総合研究所 生命工学領域 バイオものづくり研究センター 総括研究主幹 酒瀬川信一

ひとつの企業だけでは打ち破れなかった数々の壁も、互いの知見をもち寄り、試行錯誤の果てに見出した変化を逃さず共有し合うことで、初めて突破口が開ける。そうして生まれた視点や技術は、やがて組織の壁を乗り越え、社会の課題を解決する確かな力になる。このような共創のかたちがほかの産業領域にも広がっていけば、未来の選択肢はさらに力強く増えていくだろう。

国立研究開発法人産業技術総合研究所
https://www.aist.go.jp/aist_j/business/index.html

産総研25周年スペシャルサイト
https://www.aist.go.jp/sc/25th/

ナガセダイアグノスティックス
https://group.nagase.com/nagasediagnostics/


さかせがわ・しんいち◎国立研究開発法人産業技術総合研究所 生命工学領域 バイオものづくり研究センター 総括研究主幹。1993年、旭化成ファーマ入社。約30年にわたって、医薬品や検査試薬原料の開発・研究に携わり、「NEDOスマートセルプロジェクト」にも関わっていた。2023年に国立研究開発法人産業技術総合研究所に籍を移し、現在は生物プロセス工学について研究している。

うえだ・ゆうき◎ナガセダイアグノスティックス 開発営業本部 酵素製品部長。2011年、旭化成ファーマ入社。21年度から酵素製品部で酵素製品の営業を担当する。産総研との共同研究によって製品化された「CEN Ⅱ」の販売にも注力し、東アジアをはじめとする主要販売先を開拓している。旭化成ファーマの診断薬事業移行に伴い、25年7月よりナガセダイアグノスティックスに転籍。

こにし・けんじ◎ナガセダイアグノスティックス 開発営業本部 酵素製品部 マネージャー。2012年、旭化成ファーマ入社。入社当初から「コレステロールエステラーゼ」高生産化に取り組み、「NEDOスマートセルプロジェクト」の立ち上げ時からスマートセル技術の開発担当者として携わってきた。旭化成ファーマの診断薬事業移行に伴い、25年7月よりナガセダイアグノスティックスに転籍。

Promoted by 国立研究開発法人産業技術総合研究所 / text by Tetsujiro Kawai / photographs by Daichi Saito / edited by Aya Ohtou(CRAING)