未来に関するデータを持っている者は誰もいない。それは、自称未来学者や、仕事やスキル、キャリア、さらには人類全体に何が起こるかについて、細かな統計や事実を際限なく提供する急増中の「専門家らしき人々」も含めて同様だ。しかし、未来を懸念すべき明白な理由は存在する。
第一に、過去5年間だけで経験した変化の量(その変化の源が何であるかは言うまでもない)から判断すると、組織やリーダーはいまだに現在に適応し、調整することに苦慮している。また、未来に執着することは、往々にして現在に向き合わないための格好の戦略となるが、漸進的であれ指数関数的であれ、さらなる変化が待ち受けていると考えるのが妥当だろう。したがって、これを無視するのは無謀であり、「これまで通り」の戦略を採用するのは狂気の沙汰と言えるかもしれない。組織やリーダーを、嵐の真っ只中にいる船に例えることができる。彼らはさらに暗い地平線を見つめ、先がまだ長いことを自覚している。あるいは、鉄道に例えるなら、トンネルの先に見える光は、こちらに向かって走ってくる列車のライトかもしれないのだ。
第二に、不確実性こそがおそらく唯一の確実性であるとき(正直に言えば、私はそのことにすら確信を持っていない)、創造性、好奇心、適応力、創意工夫といった人間のスキルは最も力を発揮し、競争優位や差別化要因として浮上する。あらゆる組織とリーダーは同じ情報にアクセスでき、AIはその情報を洞察へと変換する能力を民主化し、かなりの程度コモディティ化した。だが、AIが答えられないことはなお存在する。そこには、AIがどのように展開していくのか、それにどう備えるのが最善なのか、さらには未来についてのより広く深い洞察が含まれる。同様に、未来について賭けを行い、とりわけ自らの具体的な前提に基づいて行動し、その賭けを現実化する振る舞いへと移す余地には大きなばらつきがある。それは、嵐の中を航行する自分なりの道筋を追求すること、あるいは頂上へ至る道(少なくともトンネルの外へ出る道)を見いだすことに等しいかもしれない。戦略、イノベーション、変革、そしてあらゆる大きな経営上の必須課題は、結果が分からないからこそ意味を持つ。現在の行動と将来の成果の因果関係が分かっているなら、それらは存在することも、意味を持つこともない。
第三に、たとえ未来が不確実であっても、私たちが未来に対して抱く暗黙の前提(さらなる変化、さらなる複雑化、過去とは異なる状況、ボラティリティの向上、安定性の低下など)は、独断的ではなく戦略的な方法でリソースを配分するのに十分である。なぜなら、私たちの未来のモデルは常に過去に基づいており、一見「前例のない」ように見えることも、過去の経験や出来事、データから説明できることが多いからだ。言うまでもなく、何かを戦略的に計画したり備えたりする方法はこれ以外にない。未来が「未知の未知」で構成されている、あるいは過去に起きたどんなこととも根本的に異なり、過去や現在のいかなるモデルでも捉えられないと仮定してしまえば、無行動や行き当たりばったりの行動につながるだけだからだ。ちなみに、誇張されたユートピア的(すべての人に豊かな繁栄がもたらされる)またはディストピア的(人型ロボットが支配する)な未来像も同様であり、そのようなビジョンはあらゆる計画を無意味にしてしまう。
未来に関して広く共有されている暗黙の(時には明白な)前提の中で、最も重要なのは、小さなチームから大企業、さらには社会に至るまで、人間の集団活動を調整する能力である「リーダーシップ・タレント(才能)」が、将来さらに重要性を増していくという考え方だ。なぜ、この前提はこれほどまでに明白なのだろうか。利害関係が大きく、課題が複雑化し、集団としての適応力をマスターするのが困難なときほど、高度で熟練したオーケストレーション、方向付け、そして動員の必要性が高まるからだ。これには、高い水準のリーダーシップ・タレント、そして何よりも「ポテンシャル(潜在能力)」が求められる。タレントが並外れたパフォーマンスを発揮する能力であるとすれば、ポテンシャルは将来、より高いレベルのタレントを開花させる確率を指す。私たちは過去や現在のパフォーマンスを検証することで、その人のタレントを観察し定量化できるが、ポテンシャルとは、その人が将来新しい形でタレントを発揮する可能性に対して私たちがかける「賭け」なのである。
世界が単純で、パフォーマンスをあげるのが容易なときには、リーダーシップの重要性は比較的低い。つまり、不十分あるいは未熟なリーダーシップ・スキルしか持たない人物であっても、許容できる結果を出すことができ、チームや組織はリーダーの行動とは比較的無関係に良好な成果を収めることができる。しかし、世界が複雑になり、パフォーマンスをあげるのが難しくなると、リーダーシップはチームの有効性を左右する不可欠な源泉となり、チーム間のパフォーマンスの格差が広がるだけでなく、それがリーダーのタレントに強く依存するようになる。さらに、世界が変化し続け、私たちが直面する課題の本質が拡大・進化し続けるとき(今日の問題を解決する能力が、明日の問題を解決する能力とは無関係になることを意味する)、極めて重要な課題はリーダーシップ自体を進化させること、あるいは、直面する課題に合わせて成長・進化できるポテンシャルを持った人材に賭けることなのだ。
AIを単なるツールやその関連ツールの集合体としてではなく、現代を決定づけるリーダーシップの課題であり、人類が今後数年、あるいは数十年かけて克服すべき可能性の高い挑戦(それが混乱への対処、生産性の向上、果たされない約束、価値実現に向けた組織再編、戦略的なビジネス上の優位性や差別化、あるいは経済バブルへの対応を意味するにせよ)として捉えるなら、一つの確かな事実がある。人類進化の過去のどの局面とも同様に、集団的な人間の活動を組織化する能力、そして現在においては人間とAIのインターフェースや、人間がAIによっていかに増幅されるかを調整する能力にも、有能なリーダーシップが必要とされるということだ。つまり、優れたリーダーシップのもとにあるグループ、チーム、組織、国家は、そうでないものよりも優れた成果を収めることが期待される。課題の大きさ(リスクと機会の両面において)を考慮すると、適切なリーダーを確保し、彼らを将来にわたって通用する存在にすることは、組織や国家にとって戦略的な最優先事項とみなされるべきである。
上の図が示すように、リーダーシップに関してAIがすべてを変えるわけではない。それでも、将来リーダーを有効に機能させ、チームが人間とAIの時代を乗り切るうえで重要になりそうな特徴の一部には、確かに影響を与える。第一に、何十年にもわたり、一般に人的資本の時代として知られる時代において、リーダーシップの選抜と育成は主にハードスキル、専門知識、知的資本(何を知っているか。多くの場合、正式な資格や専門性によって示される)に焦点を当ててきた。しかし、リーダーシップ人材のそうした側面は、AIによって大きく揺さぶられている。AIはすでに、人間とのIQをめぐる戦いに勝利しているからだ。実際、消費者向けの初歩的なLLMや生成AIプラットフォームでさえ、ほとんど、あるいはすべての人間よりも、大半の物事についてはるかに多くを知っている。これにより、専門性の意味そのものが変わった。問いに対する答えを知っていることから、適切な問いを立てること、そしてAIが提供する答えを精査または編集できるだけの知識を持つことへと移行したのである。そこには、無関係なものを無視する能力や、初心者よりもAIをうまく使う能力も含まれる。
これに関連して、何十年もの間、組織は将来のリーダーシップのパフォーマンスを予測する最善の指標は「過去の実績」であると想定してきた。そのため、手堅い人材や将来確実に結果を出してくれる人物を求める際、実績や経験を重視し、過去をコピー&ペーストすることこそが未来への最善の処方箋であると考えてきた。しかし、未来が過去と似て非なるものになればなるほど、将来のパフォーマンスの指標としての過去の実績は無関係なものになっていく。AIはすでにほとんどの仕事や役割に影響を与えており、私たちが以前と同じ職務や公式の役職にとどまっていたとしても、その役割において実際にどのように価値を付加するかは劇的に変化している。なぜなら、より価値の高い人間活動に時間とスキルを割くために、一部のタスクをAI、AIエージェント、自動化技術にアウトソーシングしているからだ。AIが今後どの程度のスピードで、どこまで、どの方向に発展し続けるかは予測できないが、過去との隔たりが広がり続けると想定するのは論理的である。したがって、これまでに何をしてきたか(実績)でリーダーを採用することは、これから何ができるか(可能性)で採用することよりも有用ではなくなるだろう。また、彼らが今後行うべきことは、過去に行ってきたこととは似ても似つかないものになる可能性が高い。
かつてはリーダーシップのニッチで特殊な一類型とみなされていた「変革型リーダーシップ」(変化を推進し、組織にイノベーションのウイルスを感染させるために雇われた、型破りなはみ出し者を連想させるような決まり文句)は、今やリーダーシップの基盤となる能力となっている。変革の推進や変化の主導こそが現在のリーダーの根本的な任務であるため、DNAに何らかの変革の基盤を持っていない、あるいは少なくとも変革のマインドセットを身につける能力がない人物は、リーダーとみなされるべきではない。同様に、変革型リーダーシップはもはや特定の役職や公式な肩書きではなく、チーム、事業、または部門に責任を持つあらゆる人物にとって、リーダーシップの中心的な活動なのだ。
重要なのは、私たちが未来そのものも、リーダーが将来身につける必要のあるハードスキルも予測できないとしても、リーダーシップのポテンシャル、すなわち将来有効に機能するために必要なリーダーシップスキルと才能を育てる能力は、主にAIが置き換えたり自動化したりしにくい能力や資質を中心に成り立つと考えられることだ。これらは、フォロワーがリーダーに最も求める資質そのものでもある。少なくとも、彼らはそれをAIから得ることも、AIに外注することもできないからである。上の図が示すように、そこには次のものが含まれる。EQ、すなわちリーダーが人間らしく、人道的なレベルで他者とつながることを可能にする対人・対自分のスキルの幅(AIはそれをうまく装うことはできるが、本当に置き換えることはできない)。好奇心と判断力、すなわち自分が知らないことを理解し、それを気にかける知的謙虚さ、そして認知的な降伏や知的怠慢が、生産性と効率性への執着(怠慢の婉曲表現)の望ましくない症状となる時代において、学び実験する開かれた姿勢。ビジョン。何も明確ではなく、すべてが不確実に見えるとき、人間はなお意味を求める存在であり、不安や不確かさを和らげる意味の源泉としてリーダーを見るからである。レジリエンス。道のりは険しくなりやすく、挫折はほぼ避けられないため、より強く立ち直り、反脆弱である能力は、リーダーとそのチームにとって極めて重要な生存スキルになる可能性が高い。コーチャビリティ。自分は完成品だと考えるリーダーは、おそらくすでに終わっているからである。そしてアジリティとレンジ。これには、両極端の間を行き来し、あらゆる重要なリーダーシップ課題の根底にある根本的なパラドックスを管理する能力、さらには自分自身の逆説的なリーダーシップ課題を解決し、乗り切る能力が含まれる。
鋭い読者なら、将来のリーダーシップの中心として示されたこれらのソフトスキルが、必ずしも新しいものではないことに気づいたかもしれない。実際、LLMや生成AIプラットフォームの近年のブレークスルーによってAIが主流化する以前から、ソフトスキルの重要性の高まりと、ハードスキルの急速な価値低下が併存する顕著な傾向があった。そこでは、リーダーシップのポテンシャルとは、リーダーシップが進化し、新たな課題に適応し、時間とともにより賢く、少なくともより適応的になることを可能にする基盤的属性に関わるものだった。AIがそうであるのとよく似ている。
一見すると逆説的なのは、テクノロジーが高度になるほど、私たちの最も古い人間的能力の価値が高まるように見えることだ。好奇心、判断力、レジリエンス、他者を鼓舞する能力には、とりわけ未来的なものは何もない。アリストテレスもそれを理解しただろう。孔子も同じである。AIが突然、これらの資質を重要にしたわけではない。むしろAIは、私たちが将来のパフォーマンスを予測する代理指標として知識、資格、経験を過大評価する一方で、これらの資質をどれほど過小評価してきたかを露呈させたのである。多くの点で、AI革命は、リーダーシップが本来何であるべきだったのかを私たちに再発見させている。それは、自分が答えを持っていることを示すことではなく、人々が集団としてより良い答えを発見できる条件をつくることである。
ここには、より広い教訓がある。あらゆる技術革命は、やがて「卓越している」とはどういうことかを変える。機械が特定の活動で人間を上回ると、卓越性は単に別の場所へ移動する。電卓が登場すると、私たちは大きな数字を暗算できる能力をもって人を称賛しなくなった。暗室でフィルムを現像できる能力によって写真家を評価することも、もはやない。同様に、AIが広く利用可能になることで、専門知識そのものは、それを賢明に活用するために必要な判断力ほど希少ではなくなる。人間の優位性の最前線は常に移動してきたのであり、今回だけが違うと考える理由はほとんどない。
だとすれば、リーダーシップの未来は、人工知能に支配される世界に向けて人々を備えさせることよりも、彼ら自身が人工的に知的な存在にならないようにすることにあるのかもしれない。すなわち、絶えず最適化し、予測し、計算し、生産しながら、そもそもそうした最適化を追求する価値を持たせていた好奇心、想像力、道徳的判断を徐々に手放していくような存在にならないようにすることである。テクノロジーは常に、それを使いこなしながら、それに似た存在にはならなかった人々に報いてきた。AIが例外になると考える理由はほとんどない。結局のところ、リーダーにとって決定的な問いは、ますます知的になる機械に歩調を合わせられるかどうかではない。機械がどれほど有能になっても、説明することすら難しく、まして鼓舞することなどできない、明確に人間的な資質を育み続けられるかどうかである。



