グローブス:BMWが精密工学で知られていることは、言うまでもありません。ですから私たちは作品を、エンジニアリングをたたえるものにしたいと考えました。ただ、それは私たちがずっと関心を持ってきた考えでもあります。
作品には鑑賞する人たちが体験する面と、私たちが体験する面があります。それは例えて言うなら、何かを切り離す、木の根を見るようなことです。私たちが「儚いエンジニアリング」を行うとき、鑑賞する人たちはデジタルの領域、つまりコードとハードウェアから切り離された何かを得ます。物理的な領域に入るのです。それはその後、存在しない状態のものになります。この2つの状態の間にあるのは、何なのでしょう?
作品の周りを歩いてみると、そこで現象が起きていて、その後ろ側に行ってみると、呼吸している機械があります。私はそこから、「これら2つの間を行き来しているものは、何なのだろう?」と考えさせられます。それは、生命とは何かを定義しようとするようでもあります。生命は、種の中に保存された情報です。いわば、これから木や子どもになる、休眠中のものです。
鑑賞者がそこからいなくなったら、何が起きるでしょうか?物理学には、「物質が消失するのに情報は無形であるため失われない」という「情報のパラドックス」があります。物理的なものがはじけた後、情報には何が起きるのでしょうか?私はその点に、関心を持っています。
──見えない力を有形のものに変えるインスタレーション作品を多く制作されています。テクノロジーは、未来においてどのような役割を担うべきなのでしょう?
グローブス:テクノロジーの量は、否応なく増えていきます。止めらない行進のようなものです。後戻りすることはありません。ですから、テクノロジーが常にそばにあるのだとすれば、私たちは自分たちにとっての世界の体験をより豊かにするために、テクノロジーをいかに取り入れていくかについて、考えるべきです。考えないのではなく。
テクノロジーは多くの場合、私たちの生活に強引に入り込みます。そして、私たちの世界の体験の質を低下させることもあります。美術館に行ってスクリーンを見るのは、たとえそれが技術的に進んだことだとしても、美術館に行くという体験としては、個人的には評価を下げたいことかもしれません。
私たちは常に、テクノロジーをいかに想像力に富んだ、独創的な形で統合可能なものに変えられるか、ということを考えるべきです──どのようにして、それを私たちの体験を豊かなものにするために活用できるか、ということについてです。
テクノロジーには、私たちの世界の捉え方をより幅広いものに変える潜在力があります。見えない世界を可視化することができます。ただ目に見え、聴こえるというだけの鈍い感覚ではなく、鋭い感覚にすることができます。


