35年にわたり株式投資を続けてきて、ある奇妙なことに気づいた。自身が投資している企業の製品をほとんど買わないということだった。ほとんど食事をしないレストラン株を保有していたり、買い物をしない小売業者、あるいは自分では一度も利用したことのないサービス企業の株を持っていたりする。
長年、これは自分の市場へのアプローチにおける単なる奇妙なクセにすぎないと思っていた。しかし今では、この距離感がむしろ役立っていると考えている。
フェラーリは、特に際立った例だ。私はその製品について、ほぼあらゆる点を称賛できるが、それがそのまま株を保有したいという気持ちにつながるわけではない。フェラーリのエンジニアリングは卓越しており、そのブランドは模倣が難しく、消費財の世界でこれほど希少性を巧みに管理している企業はほとんどない。誰かがフェラーリの鍵を私に手渡したなら、その会社が魅力的なものをつくっていると納得するのに説得は要らない。
しかし、そのいずれも、現在の価格でフェラーリ株が魅力的かどうかを教えてはくれない。消費者は目の前にある製品を評価する。投資家は、それをつくる企業に対して他のすべての人々が何を期待しているのかを評価しなければならない。
最近のフェラーリ株の動きは、なぜそれが重要なのかを示している。好調な決算と見通しを受けて株価が急騰したとき、同社の製造品質が突然向上したわけではない。同様に、数カ月前に株価が大きく下落したとき、車の品質が悪化したわけでもない。
変わったのは、市場の将来に対する見方と、投資家がそれに対して支払う用意のある金額だった。それは、その車を所有したいかどうかという問いよりも、はるかに感情に左右されにくい問題だ。
株式投資で重要なのは好みではなく「期待」
顧客はフェラーリを見て、それが魅力的かどうかを即座に判断できる。投資家は、より複雑なアプローチを取らなければならない。その魅力はどの程度すでにバリュエーションに織り込まれているのか。どれほどの価格決定力が想定されているのか。マージンは例外的な水準をどれだけ維持できるのか。将来の成長は、今日の株価にどの程度すでに取り込まれているのか。
フェラーリは増益を報告し、堅調な受注残を維持し、極めて高価な高度にパーソナライズされた車を売り続けることができる。それでもなお市場の期待がそれを上回っていれば、株主を失望させることになる。これは矛盾ではない。市場とはそういうものだ。
私は以前、なぜ優れた企業がひどい投資対象になり得るのかについて書いた。フェラーリは、その議論にとりわけ当てはまる例である。なぜなら、同社が例外的な企業であることについて多くの説得を必要とする人はほとんどいないからだ。難しい部分は、それを受け入れた後に始まる。
企業が利益を20%伸ばしても、投資家が30%分の対価を支払っていれば、投資としては悪い結果になり得る。逆に、それほど評価されていない企業でも、期待が十分に低くなり、事業が懸念されていたよりわずかに良いだけで、優れたリターンを生むことがある。
だからこそ私は、自分がその製品を消費するかどうかを特に気にしてこなかった。それよりも、企業が実際に提供しているものと、株価がその企業に提供すると想定しているものとの間のギャップを、はるかに重視している。
米外食大手Dine Brands Globalへの投資は、この原則を再確認させてくれた。投資仮説は、同社傘下のファミリーレストラン「Applebee's」や「IHOP」で食事を好むかどうかに基づくものではなかった。重要だったのは、客数が改善し得るか、フランチャイジーが許容できるリターンを得られるか、経営陣のインセンティブが一致しているか、資本配分が変わり得るかだった。私個人のレストラン選好はほとんど関係がなかった。
ナイキも同様だ。私はそのブランドを称賛し、文化的な強さを理解できるが、それでもバリュエーションが高すぎて、業績回復が投資家を驚かせる余地がほとんどないと判断することはある。靴について正しくても、株について正しいとは限らない。
親しみは株式投資をより難しくする
「自分の知っているものを買え」という古い投資の原則がある。その論理は理解できる。
顧客はアナリストより先に物事を見ていることがある。レストランが混み始めていること、小売企業が存在感を失いつつあること、新製品が勢いを得つつあることに、そうしたトレンドが報告利益に十分表れるよりずっと前に気づくかもしれない。問題が始まるのは、製品を「知っている」ことが「愛している」ことに変わるときだ。
親しみは、誤った確信を生み出すことがある。毎日同じ製品を使っていると、自分がすでに信じていることを裏づける証拠に目が向きやすくなる。その製品が自分にとってうまく機能しているため、弱点を大目に見てしまう。企業は次第に将来キャッシュフローの集合体には見えなくなり、自分のアイデンティティの一部になり始める。
テスラは、私の記憶にある限り、ほぼどの企業よりもこの行動を生み出してきた可能性が高い。この車を愛する人々は、その株の擁護者になり得る。逆にイーロン・マスクを嫌う人々は、そのために株も魅力的ではないと結論づけるという、逆の過ちを犯す。どちらも、将来キャッシュフローの価値を教えてはくれない。
フェラーリは、同じ問題の別の形を生み出す。感情的な愛着が製品に組み込まれている。希少性、伝統、排他性は顧客が対価を支払っているものの一部であり、これらの特性は卓越した経済性の創出に寄与してきた。しかし、ブランドへの称賛は、株価がほぼどのようなバリュエーションでも正当化されるという思い込みに容易に滑り込む。



