人が感じる満足感と、実際に満足すべき要素をどれだけ持っているかとの間には、奇妙な隔たりがある。皮肉なことに、この隔たりは、安定した仕事、真実の人間関係、自ら望んで取り組んでいるプロジェクトなど、客観的な状況が極めて良好であるにもかかわらず、自分の人生を条件付きで語る人々にしばしば見られる。
つまり、自分たちの「人生の口座」に幸福がすでに預けられているのに、それを取り出せていないということだ。
これに対する一般的な解釈は、彼らが感謝を忘れているか、感謝の習慣が必要であるか、あるいは単に不満を感じやすい体質であるというものだ。だが、より正確な説明は、彼らが満足感を得る時期を将来のどこかに設定してしまっている、というものである。それも無意識のうちにだ。それは、「〇〇が起きたら、ようやく実感できる」という、ある一つの静かな思い込みによって生じる。
この思い込みには名前があり、それが失敗に終わる確率が高いことも十分に実証されている。
幸福を先延ばしにしてしまう2つの理由
1つ目の理由は、米ハーバード大学で教鞭を執った心理学者のタル・ベン・シャハーが提唱した「到達の誤謬(ごびゅう)」と呼ばれるものだ。これは、ある目標を達成することで人生がどれほど向上するかという期待と、実際に向上する度合いとの間のギャップを指す。
昇進が決まり、執筆中の本が完成し、口座の目標額を達成する。しかし、驚くほど短い期間のうちに、生活は以前とほぼ同じ感情の温度へと戻ってしまう。幸福度の向上は、現在のベースラインの上に積み重なるのではなく、ベースラインそのものに吸収されてしまうのだ。3月にあれほど大きく感じられた昇給が、8月にはごく当たり前の給与に思えてしまうのは、このためである。
「感情予測」に関する研究が、2つ目の理由を補強している。人々は将来の出来事が自分の感情をどれほど揺さぶるかを過大評価する傾向があるというものだ。ただし、その誤差がどの程度大きいかについては議論が続いており、質問の仕方に起因する部分もあると指摘する研究者もいる。
これが一見するよりも重要である理由は、次の通りだ。「到達の誤謬」は、大きな勝利の後に訪れる、少し気分が落ち込む午後のような、一時的な失望として片付けられがちだ。しかし、それがもたらす真の代償は構造的なものである。
満足感を得るタイミングをすべてゴールライン(終着点)に設定しており、いざゴールに達しても期待通りの見返りがないのであれば、そこに向かって走り続けた何年もの時間もまた、回収されなかったことになる。それは単なる「気分の悪い午後」では済まない。人生の大部分を、幸福を口座から引き出すことなく過ごしてしまったことを意味するのだ。



