自分自身の失脚を願う者を満足させるほどのダメージを、自分自身で十分に与えられるのだとしたら、わざわざ敵など必要だろうか?
心理学者たちは何十年もの間、人間の最良の状態と最悪の状態を観察してきたが、その発見の多くはお世辞にも素晴らしいとは言えないものだった。私たちは、自分が足踏みしているように感じさせる仕事や習慣、アイデンティティにしがみつくために、外部の助けを驚くほど必要としない。さらに悪いことに、存在しない敵を作り出し、影で動く陰謀のパターンを見出そうとする本能のせいで、最も明白な説明を見過ごしてしまうことがある。自分を抑えつけている手は、実は自分自身のものだとしたらどうだろうか?
この週末、周囲の雑音が静まり、鼓動が落ち着くひとときに、少し内面を見つめ直してみてほしい。あなたは、極めてありがちで痛々しいこれら3つの方法のいずれかで、自らのキャリアを台無しにしているかもしれない。
罠1:英雄的な「殉教者」を演じ続けている
ヒーローを嫌う人がいるだろうか? さらに言えば、ヒーローだと思われたくない人などいるだろうか?
バリー・ストウによるコミットメントのエスカレーションに関する研究は、人は自ら選んだ行動に対して、特に個人的な責任を感じている場合、いかに容易にリソースを投入し続けてしまうかを示している。思わしくない結果を方向転換のシグナルと捉える代わりに、最初から自分が正しかったことを証明するための挑戦として捉えてしまうことが多いのだ。
仕事において、その衝動は特に魅力的な仮面をかぶることがある。私たちは、英雄的な「殉教者」になってしまうのだ。
これは、トラブルが発生するたびに剣と盾を手に取るリーダーのことだ。厄介なクライアントを引き受け、真夜中にプレゼンテーション資料を書き直し、自らの手でプロジェクトを強引にゴールまで引っ張っていく。その原動力は、並外れた労働倫理とスタミナを生み出すこともある。しかし同時に、他の誰かに委ねるべきだった仕事にこだわり、自滅してしまうリーダーをも生み出してしまう。
ここでの自己破壊は、良質な本能から生じている。私たちは重要な仕事をこなすことで自らの重要性を保ち、長い間、実際にその仕事をこなすのに最適な人物であり続けるかもしれない。しかし、ある程度高い地位に登ると、その真実は通用しなくなる。リーダーシップは、自分が英雄であることから、英雄に満ちた組織をつくることへと移行するのだ。
面白いように現れる兆候に注意してほしい。すべての危機は、最終的に自分が介入することで解決していないだろうか? もしチームがあなたの介入なしに勝てないのであれば、あなたは自分が「不可欠な存在」になったわけではない。単に周囲を自分に依存させているだけなのだ。
次に仕事を救い出したい衝動に駆られたときは、自分のコーチングによって、代わりに誰がその仕事の主導権を握れるかを考えてみてほしい。他の誰かに剣を持たせるのだ。リーダーの仕事は、自分がヒーローであり続けることではなく、ヒーローを生み出すことへと変化していく。
罠2:「専門家」の罠に陥っている
私たちの多くは、自分の専門分野に熟達していくことで、キャリアの階段を一段ずつ上っていく。より多くの知識を持ち、問題をより迅速に解決し、他の誰かが見逃したことを見つけ出す。専門性は報われるため、私たちは次第に「答えを持っている人間」としてのアイデンティティを築き上げていく。
それはキャリアの前半では見事に機能する。しかし、リーダーシップが求められる後半に入ると、それが危険なものとなる。
キャロル・ドゥエックによるしなやかマインドセットと硬直マインドセットに関する研究は、有用な説明を与えてくれる。硬直マインドセットは能力を「証明し、保護すべき不変の資質」として扱うのに対し、しなやかマインドセットは学習、戦略、フィードバックを通じて成長する余地を残す。
専門家の罠は、「私は多くのことを知っている」という自負が、「この場で自分が最も知識のある人間でなければならない」という固執に変化したときに始まる。
質問されることが挑戦のように感じられ始める。意見の相違は無礼に感じられる。不確実性を認めることは、自分をここまで連れてきてくれた最大の武器を手放すように思えてしまう。過信はこれと表裏一体であり、自分が今いる段からの景色こそが、階段全体の景色であると信じ込ませてしまう。
やがてリーダーは真っ先に話し、早急に訂正を加え、意思決定をマイクロマネジメントし、好奇心よりも同調するほうが安全だと学習した部下ばかりを周囲に置くようになる。組織は最上位の専門家以上に賢くならない。つまり、そこにいる人々の総体よりもはるかに愚かになるということだ。
真の成長には痛みが伴い、高く登れば登るほどその痛みは大きくなる。「専門家」としてのイメージから脱却することは、その場で最も印象的な人物になることではなく、最も探究心が強く、他者に権限を与える人物になることを意味する。
1つの答えを出す代わりに、3つの問いを投げかけてみてほしい。私は何を見落としているのか。誰がこれを違った視点で見ているのか。私が間違っているとしたら、何が真実でなければならないのか。
専門知識は、より良い問いをもたらすためのものであるべきであり、あなたを問いを超越した場所に置くものではない。
罠3:自分が得るべき価値に「上限」を設けている
ゲイ・ヘンドリックスは、著書『The Big Leap(さあ、飛躍しよう)』の中で、成功や幸福、機会が自分の「普通」とするレベルを超えたときに、自らそれを破壊してしまう傾向を「アッパーリミット問題(上限の問題)」と名付けて説明している。
これを正式な心理学理論として受け入れるかどうかにかかわらず、有用な鏡となる。私たちは、ヒーロー、専門家、そして不屈の労働者としての自らの役割を掛け合わせ、「自分の苦労はこれに見合う成果を得るべきだ」という個人的なストーリーを作り上げる。そして気づかないうちに、そのストーリーは予測であることをやめ、自らの限界(天井)となってしまうのだ。
部門全体を率いる能力があるにもかかわらず、わずか1段上の昇進を求めてしまう。会社を生まれ変わらせるような大口案件を競い合えるはずなのに、前回の予算規模と同等のクライアントに提案してしまう。大志(ムーンショット)を掲げていると言いながら、慎重に屋根の上を狙っているのだ。
問題は、抽象的な意味での野心の欠如であることはめったにない。多くの人は壮大な夢を抱く。自己破壊は、その夢が行動を要求するほど身近に迫ってきたときに現れるのだ。
そのとき、かつての限界が「慎重さ」や「謙虚さ」を装って現れる。「まだ準備ができていない」「自分のような人間があの仕事に就けるはずがない」「現状に感謝すべきだ」「もう1年、自分の実力を証明しよう」といった考えだ。これらはすべて真実かもしれないし、謙虚さは今もなお美徳だが、だからといって自分を小さく見せる役割を担う必要はない。
目の前にある次の重要なステップを見つめ、それが「絶好の機会」に合わせた規模になっているか、それとも「自分が得るべきだと思っている現状の価値」に合わせた規模になっているかを自問してみてほしい。この2つは、往々にしてかけ離れているものだ。
解毒剤は「手放すこと」
自己破壊を行っている最中、それが自己破壊であると感じることはめったにない。むしろ責任感や熟達、あるいは現実主義のように感じられる。だからこそ、それは見事に作用してしまうのだ。
その解毒剤は、リーダーシップとは自分自身だけでなく、他者を変えることでもあると認識することから始まる。他の誰かをヒーローにしよう。専門家であるという安全性を手放し、再び学び手となる居心地の悪さを受け入れるのだ。その下でさらに10年を過ごしてしまう前に、自らの天井を引き上げよう。
成長とは、常に何か新しいものを獲得することを求める。しかし、さらに困難なのは、かつて自分を有用にしてくれた仕事、かつて自分に安心感を与えてくれたアイデンティティ、そしてかつて失望を防いでくれた限界をも手放すことを求める点だ。
あなたの敵はまだ外にいるかもしれない。だが、彼らの仕事をあなたが代わりにやってあげる必要はどこにもないのだ。



