「日本は、今でも長期的な信頼が競争優位になる数少ない国のひとつです」
こう語るのは、1200人以上のバイリンガルメンバーが在籍するコミュニティを運営する「TeamFirst」創業者・CEOで、東京都の国際金融フェローを務めるピーター・ザイン・ヴィトゲンシュタインだ。
ドイツで生まれ育ち、オーストリア、アルゼンチン、インド、香港、トルコ、イギリス、アメリカで暮らしてきた彼が、なぜ東京で起業し、グローバル市場における可能性を見出したのか。
今年のForbes JAPAN「30 UNDER 30」で、アドバイザリーボードとして受賞者選出に関わったザインに、現在に至るまでの道のり、日本の可能性、そして、日本で実現したい未来について聞いた。
きっかけは、東京でのひと夏
私が東京を初めて訪れたのは20代前半のこと。きっかけは、ブエノスアイレスで知り合ったドイツ人の友人、クリストファー・アックスの誘いでした。彼は後にビアレストラン「シュマッツ」創業者のひとりとなります。
当時の私は、マドリードのIEビジネススクール卒業後、ロンドンの投資ファンドに就職。世界的企業が驚異的なスピードで成長する姿を目の当たりにするなかで、クリストファーが「日本で成功できれば、どこでもやっていける」と語ったことに惹かれての来日でした。
そして夏の東京で、シュマッツのフードトラックの挑戦を間近で体感しました。40度近い猛暑のなか、クリストファーともうひとりの創業者、マーク・リュッテンの自宅に居候をして、エアコンの室外機やソーセージ用の冷蔵庫に挟まれて眠るという、冒険のような時間を過ごしました。
私はその後一度ロンドンに戻り、2年間ファイナンスの仕事を続けました。その間に彼らは赤坂に1号店をオープン。そして2016年、私は日本に戻り、シュマッツに正式にジョインしました。資金調達や事業拡大、採用などの面でチームをサポートし、のちにパートナーに昇格しました。
日本で働くのは初めてのことだったので、ビジネスマナーについて100ページほどの専門書を読み込みました。席次やエレベーターでの上座・下座など、一見すると不思議に思えるものもありますが、背景にある歴史や文化を理解すると、どれも驚くほど合理的。当時読んだ内容はまとめて資料にして、現在一緒に働くメンバーや来日するクライアントにも共有しています。
今思えば、幼少期からの経験や父の教えが、私の「とことん調べる」という姿勢につながっているのかもしれません。私は、ドイツのラインラント地方の小さな村で7人兄弟の末っ子として育ちました。15歳になる頃には、兄や姉たちは皆家を離れていたため、子どもの頃から60代、70代の大人たちと長く時間を過ごしました。
父の教えは、「退屈を感じたら質問しなさい」というもの。東京での生活は退屈とは無縁でしたが、言葉の壁や文化の違いには不安を抱きながらも、「そこには問う価値がある」と考えて向き合ってきました。



