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2026.08.13 17:56

ワークライフバランスを追い求めるのはやめ、「アラインメント(調和)」を求めよ

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私たちは、重大な責任を伴う仕事を愛していると認める専門職が、非難を浴びるような文化的転換点に達している。心臓血管外科医である私は、身をもってそれを感じている。これまでに夕食を逃し、休日を返上し、睡眠を削ってきた。街の大半の人々が深く眠りについている午前3時に、病院へと駆け込んできた。統計的には生存不可能なはずの命を救うため、何時間も尽力してきた。手術室を去った後も長い間、担当した症例の感情的な重荷を抱えたまま帰宅することもあった。

それでもなお、私は自分の仕事を愛している。

今日、専門職の間で最もよく耳にする言葉が「ワークライフバランス」だ。それは現代生活における至高の目標となっている。しかし、正直に言おう。「ワークライフバランス」という言葉は、武器として使われることもある。努力を怠りたい人の盾として使われたり、逆に努力している人を批判するための基準として使われたりする場面を、あまりにも頻繁に目にする。

私たちは、ウェルネストレンドや人工的な境界線を利用して、実際には生きたくない現実を我慢させ、根本的に気に入らない生活を「バランス」させようとする文化を築き上げてしまった。しかし、自分に向いていないキャリアから、瞑想や休暇によって逃れることはできない。

「バランス重視」の考え方がもたらす副次的損害

この言説から私が観察してきた危険性は、個人を身動きできなくさせることだけではない。命を救うという極めて重要なキャリアを持つ人々の、家庭生活にも悪影響を及ぼしかねない点にある。

現代のウェルネス文化は、画一的なアプローチが多いため、重大な影響を伴う分野で働く専門職のニーズを満たせないことが多い。私の経験では、ワークライフバランスに関するアドバイスの多くは、誰もが予定の立ちやすいデスクワークをしており、境界線が明確で、午後5時にパソコンを閉じれば済むという前提に立っている。ソーシャルメディアではよく、「本当にいたければ、時間を作るはずだ」や「死の間際に、もっと働けばよかったと思う人などいない」といった言葉を目にする。しかし、このような視点は、緊急の呼び出しや深夜の執刀が、必要な犠牲ではなく、家族をないがしろにする個人的な選択であるかのように示唆しているように見える。

クリスマスの日に遅く帰宅した同僚のことを覚えている。彼は患者を亡くしたばかりだった。それは、医師の心に一生残り続ける、壊滅的で重い喪失だった。彼が疲れ果て、悲嘆に暮れて玄関をくぐったとき、迎えられたのは慰めではなく、不満だった。なぜもっと家族に意識を向けないのか、なぜここにいなかったのか、と。

外科医を対象とした研究では、仕事と家庭の葛藤が燃え尽き症候群や精神的苦痛と強く関連していることが示されており、過密なスケジュールそのものよりも、それをめぐる葛藤の方が影響が大きい可能性が示唆されている。スケジュールが家族を壊すとは限らない。私が観察し経験してきた限りでは、スケジュールに対する慢性的な不満や誤解こそが、最も深い亀裂を生み出すことが多い。

パネルディスカッションでの質問:女性に対するダブルスタンダードを解体する

この文化的な歪みは、女性に対してどのように適用されるかを見ると、全く異なる軸上でさらに浮き彫りになる。

パネルディスカッション、特に医療分野の女性に焦点を当てたものに登壇するたびに、決まって「ワークライフバランスをどう管理していますか」という質問を受ける。この質問は、耳ざわりの良い嘘を引き出すために使われているように思えることが多く、ほぼ女性だけに向けられる質問でもある。研究でも、女性の医師や外科医は、男性の同僚と同じ職務を担っているにもかかわらず、仕事と家庭の葛藤をより高いレベルで経験していることが一貫して示されている

現実には、女性が選択を期待されているのではなく、選択せざるを得ない状況にある。しかし、命を救う使命への献身は、性別とは無関係だ。認知的な負荷、責任の重さ、そして必要な職業的犠牲は、染色体によって変わるものではない。

「仕事中毒」というレッテルが持つ欺瞞

時間の使い方や、どこに情熱を注ぐかについても、深刻なダブルスタンダードが存在することに気づかされる。日曜日、家族を置いてゴルフ場で8時間を過ごしたり、ファンタジーフットボールのスタメンを追ってテレビ画面をじっと見つめたりしていれば、社会はそれを「健康的な気分転換」や「バランス」と呼ぶ。しかし、専門医が心からそれを愛しているという理由で、複雑な症例の準備をしたり、己の知性を極限まで駆使して手術を行ったりして同じ8時間を過ごすと、家庭を顧みないというレッテルを貼られる恐れがある。職業的使命に投じられた時間よりも、レジャーに捧げられた時間に対して疑問を呈する人の方が少ないようだ。

私が言いたいのは、高い成果を上げるプロフェッショナルが仕事を愛しすぎていることだけが問題なのではない、ということだ。多くの場合、真の問題は、極めて非対称的な人生を、従来の感情的な型に無理やり当てはめようとし続けていることにある。

関係性の再考

この領域でよりバランスの取れた充実感を得るためには、私たちが築く人間関係の構造を直視する必要がある。優れたパートナーシップは妥協の上に成り立つと言われる。これは、高い成果を求めるパートナーが愛する人を後回しにすべきだと言っているのではない。しかし、ウェルネス的な妥協は、あまりにも頻繁に、一方的な「縮小」として作用し、自分の集中力や情熱が失われていくと感じているプロフェッショナルのニーズを満たさないことが多い。

手術室では、基準に妥協することはない。プレッシャーの中で「それなりに良い」で済ませることはない。良好な結果を得るために必要なものを正確に求める。充実感とは、文化的なバランスの基準を満たすために自分を縮小することから得られるものではない。キャリアとパートナーシップが競合するのではなく、互いに高め合えるような人生を、明確な意志を持って構築することから得られるのだ。

ラジカル・アライメント(根本的な調和)

バランスに対する現代の執着は、凡庸さに耐え、罪悪感をコントロールし、妥協された欠乏状態の人生を受け入れるためのツールを個人に押し付けていると、私は考えている。

そのような考えを拒絶することを提案したい。

バランスを求めるという口実のもとでやりたくないことをするのをやめ、一般的な文化の言説に家庭のあり方を決定させるのをやめるべきだ。もし溺れそうになっているのなら、スケジュールを軽くすることを求めるのではなく、自分が今いる場所が本当に適しているのかを自問してみてほしい。

キャリアにおける究極の解放とは、柔軟なスケジュールではなく、自分に対する根本的な誠実さ(ラジカル・ホネスティ)であると私は信じている。自分を突き動かすものを見つけ、それを受け入れる人生を追求する勇気を持ってほしい。

forbes.com 原文

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