サンティ・ハラミージョは、目指して努力してきたすべてを手にしていた。2021年、彼は自身が共同創業した従業員エンゲージメント企業「エンプリファイ(Emplify)」を5000万ドル(約79億6000万円)の買収で売却した。そして、取引成立の興奮(アドレナリン)が引いたとき、彼は鏡の中の自分と向き合うことになった。
「私は多くの仲間とともに、立派なオークの大木を育て上げました」と彼は筆者に語った。「しかし、自分の人生という庭を見渡したとき、そこがひどく荒廃していることに気づいたのです。他の苗木を犠牲にして、そのオークの木だけに水をやりすぎていたのです」
仕事以外の私生活の部分(人間関係、健康状態、コロンビア人としてのルーツ、幼少期から話してきたスペイン語)は、衰退してしまっていた。意図的にこれらを無視したわけではなかったが、彼は単一の次元でしか成功を追い求めていなかった。起業という文脈において、そうした集中は「卓越性」と見分けがつかない。
このような集中には名前がある。もっとも、ほとんどのリーダーは自分に対してその言葉を使おうとはしない。それは「搾取(extraction)」だ。システム(ビジネス、キャリア、人生)を最大出力中心に方向づけ、第一の目標ではないものすべてを二の次にし、やがて任意のものとし、最終的には目に見えないものにしてしまうことである。
搾取は人格的な欠陥ではない。多くの優秀な人材(ハイパフォーマー)にとって、それは泳ぎ方を学んだ水そのものなのだ。それはがむしゃらに働くことの根底にあるオペレーティングシステムであり、破綻するまでは、少なくともうまく機能する。
搾取が実際に「搾取」するもの
ハラミージョが会社売却後に経験した事実は、決して珍しいことではない。珍しかったのは、彼がそれを自ら進んで明確に名付けようとしたことだ。
彼は「CEOという機械のロボット」になっていたと表現した。目覚めているすべての瞬間が最適化されていたため、人生のささやかな喜びを感じられなくなっていたのだ。彼は、身体や感情、そして最終的にはチームからも切り離された「宙に浮く脳」のように感じていた。チームのメンバーは、ハラミージョが隠そうとしていても、彼のミッションに対する信念が形骸化していることを見抜いていた。
人を引きつけ、周囲に伝播する、彼のリーダーシップの中核をなしていた情熱は衰えていた。売却後、次のビジネスの立ち上げを支援したいという共同創業者や投資家から複数のオファーがあった。彼はそれらすべてを断った。「仕事上のいかなる追求に対しても、心から関心を持っているとは言えませんでした」と彼は言う。潮は引いてしまっていた。そして、それが再び満ちてくる確信は持てなかった。
これこそが、搾取がそれを主導する人間から「搾取」するものだ。それは徐々に進行し、周囲の明示的・暗黙的なあらゆるインセンティブ構造によって後押しされる。なぜなら、搾取は短期的には成果を生むからだ。しかし、時間が経つにつれてそのツケが回ってくる。薄れていく人間関係、失われる好奇心、そして書類上はすべてを手に入れているはずの人生から消え去ってしまった「生きている実感」となって、その代償を支払うことになる。
「搾取は人格的な欠陥ではない。それは、多くの優秀な人材が泳ぎ方を学んだ水そのものなのだ」
内側からそれに名前を与えた創業者
「ウェルス・カタリスト(Wealth Catalyst)」の共同創業者であり、トップ100に入る投資ポッドキャスト「ゲッティング・リッチ・トゥギャザー(Getting Rich Together)」のホストでもあるシャマ・ブンテンは、まさにこのモデルに基づいて最初のビジネスを立ち上げ、そのことを率直に語ってくれた。
「私はこれほど搾取的にならない方法を学ぶ必要がありました」と彼女は筆者に語った。創業当初の彼女の運営論理は、搾取を通じた価値創造だった。すなわち、出力を最大化し、自らをエンジンとして位置づけ、あらゆる人間関係を取引上の有用性のために最適化することだ。「まさに価値の創造と搾取に終始しており、再生可能なエコシステムではありませんでした」と彼女は言う。
また、彼女は自分自身に対して非常に懲罰的でもあった。この特徴は、性別に関係なく、搾取的な枠組みの中で動いているリーダーに共通するものだと現在の彼女は考えている。過剰なパフォーマンスが基準となり、人間関係は道具化され、成功はアウトプットで測定され、それに応じて死守される。
「何年もの間、私は間違った結果に向けて最適化を行っていました。それに気づいたときには、すでに代償を支払っていたのです」と彼女は語った。
変わったのは彼女の野心ではなく、その構造(アーキテクチャ)だった。ウェルス・カタリスト(女性投資家や資本配分者のためのサミットやサロン、会員限定コミュニティを構築するプラットフォーム)は、まったく逆の前提に基づいて設立された。それは、孤立して繁栄する個人はおらず、共有された成功は個人の達成には不可能な方法で複利的に成長し、コミュニティそのものが資産であり、搾取のための道具ではないという前提だ。
「犠牲」と「枯渇」の違い
ハラミージョは、リーダーシップに関する議論でもっと取り上げられるべき区別を提示している。それは「戦略的な犠牲」と、規律を装った「枯渇」の違いだ。
彼はアスリートのトレーニングを例に挙げる。エンデュランス(持久力)スポーツにおいて、回復はオプション(任意)ではない。適応が起こるのはまさにその時間であるため、回復はパフォーマンス戦略の中核なのだ。筋肉を回復させる時間を与えなければ、トレーニングの刺激だけでは何も生まれない。
回復を怠るリーダーは、そうでないリーダーよりもタフなわけではない。彼らは負債を積み上げているだけであり、その負債は、本人ではなくシステムが選んだタイミングで、利息を伴って回収されることになる。
「大きくて有意義な道のりのほとんどは、長い時間がかかります」と彼は言う。「それはスプリントというよりも、フルマラソンに近いものです。そして、回復はトレーニングメニューと同じくらい重要なのです」。彼は何年もの間、回復を軽視し、いわゆるゴールライン(買収)に向けて無理を重ね、それ以外のすべてを「後回し」にしてきた。夢に描いた取引を成立させた後に訪れた虚無感によって、それを無視することはできなくなった。
彼は現在、AIカルチャートランスフォーメーション企業「プラグマティコ(Pragmatico)」の創業者であり共同CEOを務めている。彼が現在行っている仕事(組織がAI主導の未来に向けて人材を備えるのを支援すること)は、設計段階から「再生可能」となっている。彼と共同CEOは、社内外における会社運営という膨大な任務を分担している。彼らのチームは、他者からアウトプットを搾取するのではなく、他者の能力を高めることに取り組んでいる。それは、外に与える価値を持つために、十分な時間をかけてエネルギーを内側に向けることを学ぶことから始まったという。
シフトが実際にもたらすもの
ブンテンもハラミージョも、自らの進化を「野心の放棄」とは表現していない。彼らが否定したのは、「意欲と持続可能性」という誤った二項対立であり、それは搾取的思考の核心的な特徴である。その代替案は、望むものを減らすことではない。違った方法でそれを手に入れることだ。
彼ら二人が現在実践している「再生型リーダーシップ」には、いくつかの構造的な共通点がある。リーダー自身のウェルビーイングを後回しにすべき贅沢品としてではなく、持続的なパフォーマンスの「前提条件」として扱うこと。人間関係を取引のためのインフラではなく、真の「資産」として投資すること。そして、成功の基準を、一人のリーダーが燃え尽きる前に最大の価値を搾取する能力に置くのではなく、自己維持できるシステム(チーム、コミュニティ、カルチャー)に見出すことだ。
向き合うべき問いは、「一生懸命働いているか」ではない。あなたのその懸命な努力が、周囲のエコシステムや、その中心にいる自分自身に「実際に何をもたらしているか」ということだ。
ハラミージョは、自身が大切にしているハワード・サーマンの問いで締めくくる。「何があなたを生き生きとさせるのか。そして、それにより深く触れることを妨げているものは何か」
長い間、搾取をエンジンに走り続けてきたリーダーにとって、この問いは、見た目と同様に実感としても素晴らしいと感じられる成功をどのように築くかを理解するための、極めて重要な自己診断となる。



