とはいえ、こうした概念への関心の高まりが、実務に反映されるとは限らない。優先順位が低いリスクには、当然ながらリソースも割り当てられにくい。特に問題なのは、発生可能性が低いと見なされたリスクが、十分なストレステストを経ないまま放置されやすいことである。その結果、事態が動き出して初めて、企業は自社の対応力の限界に気づくことになる。
地政学リスクは、いつ、どの形で顕在化するかを事前に特定できない。だからこそ起こりうる複数の展開をあらかじめ描いておく「シナリオ思考」が必要になる。それが不十分だと、いざというときにどこで判断の軸を切り替えるべきかが分からなくなる。
確かに、未来を予測することはできない。しかし、「予測できないから考えても意味がない」と結論づけるのも誤りである。企業に求められるのは予測の正しさではなく、それが外れたときにも機能する判断の準備である。それは、ビジネスプランの前提が崩れたときの「壊れ方」を、あらかじめ設計しておくことである。あえて「あり得なさそうなシナリオ」も準備し、対応を検討しておく必要があるのは、そのためだ。
「トレンド」と「転換点」、2軸で地政学を経営ツールに
では、企業は何から着手すればよいのだろうか。まず自社が向き合うリスクを、構造トレンドへの対応と転換点への対応に分けてとらえることから始めたい。
1. 構造トレンドには「このままで勝てるのか」を問う
構造トレンドへの対応は、危機が起きたときの初動対応の問題ではない。むしろ重要なのは、現状維持そのものが将来の競争優位の喪失につながりうるという点である。
米中対立の長期化、経済安全保障の強化、世界の分断、技術や資源の囲い込みが進む中で、企業が問うべきなのは「今のやり方をどう守るか」だけではない。このままの市場配分、投資配分、拠点配置、調達構造で本当に勝ち続けられるのかである。
具体的には、次のような論点が経営会議に上がるべきだ。
・今の市場配分や投資配分は、分断する世界でもなお合理的か
・単一国、単一地域への依存は、競争力の源泉なのか脆弱性なのか
・技術、物流、データ、規制のどこに将来のボトルネックがあるか
・輸出規制や経済安全保障の強化がさらに進むことを前提に、どの事業を伸ばし、どの事業を見直すべきか
・今の拠点配置、提携先、顧客構成は、5年後も維持すべき前提なのか
ここで必要なのは、事業継続計画(BCP)ではなく戦略転換の議論である。構造トレンドに対して企業が備えるべきなのは、危機時の耐久力だけではない。どの前提を捨て、どの前提を作り替えるのかという意思決定なのである。
2. 転換点には「どこで切り替えるか」を決めておく
一方、転換点への対応については、予測の正しさを競うのではなく、前提条件が崩れたときにどこで判断を切り替えるかを準備しておく必要がある。ロングテールリスクやブラックスワンは多くの場合、まさにこうした転換点という形で企業を襲う。そこで有効になるのが、次の5つの取り組みである。
(1)シナリオ分析を行う
例えば「台湾有事が起きるか」を議論するのではなく、それが起きた場合、自社にどのような影響が及ぶかを、経路ごとに分解して考える。
・半導体供給停止
・対中制裁強化
・中国市場へのアクセス制限
・海上輸送の遅延
トリガーとなる事象から、自社への影響までの道筋を具体的に描くことが目的である。ここで欠かせないのは、「起こりやすいシナリオ」だけでなく、発生確率は低くても影響が大きい「起こりにくいシナリオ」もあわせて洗い出しておくことだ。


