生成AIの次なる進化は、「 考 えるAI」から「現実世界で動くAI」への転換だ。あらゆる産業で社会実装が始まるフィジカルAI。AIの黎明期からその最前線に立つ3人が、日本企業が勝てる領域と、AI時代の新たな競争軸を語り合った。
ライフラボ・アンド・コンサルティング 代表取締役 櫛野恭生(写真左。以下、櫛野):2010年代、AIは機械学習・深層学習によって、画像や自然言語、時系列データを「認識・推論する」技術として発展しました。20年代には大規模言語モデル(LLM)によって「生成する」段階へ進み、次の焦点となるのは、AIが現実世界で「実行する」フェーズです。
Prox Industries 小杉雄斗(写真中。以下、小杉):従来のロボットは、決められた動作の繰り返しは得意ですが、多様な環境や個別タスクへの対応には多くのティーチングが必要です。ハーネスやケーブル、袋、布などの柔軟物を扱うことも今なお難しく、多くの現場で完全自動化は実現していません。フィジカルAIでは、視覚だけでなく、触覚・力覚などの多様な情報をAIで統合的に処理することで、人と同じように状況を認識・判断し、最適な制御を目指しています。
櫛野:AIがデジタル空間から物理世界へ進出することで、産業のあり方そのものが変わる可能性があるというわけですよね。
小杉:フィジカルAIは、「マニピュレーション」「ロコモーション」「ナビゲーション」「シミュレーション」の4つの技術で構成されます。なかでも、人の手に相当するマニピュレーションは最も難易度が高い領域です。基盤モデルも、触覚や力覚を扱うセンシング技術も発展途上にあります。
一方で、適切なタスク設計や既存技術との組み合わせ、ロボットフレンドリーな環境整備によって、実用化できる領域は広がっています。私たちもAIソフトウェアを軸に、大手企業と現場実証を進めています。
櫛野:それだけ先進的な技術を扱うとなると、人材や開発体制も従来とは異なる条件が求められそうですね。
小杉:弊社にはロボットだけでなく、自動運転やコンピュータービジョンなど幅広い分野のトップエンジニアが集まっています。AIが物理世界で機能するための知能基盤には、多様な専門性の融合が不可欠です。それが日本の産業競争力の再構築にもつながると考えています。
現場データは日本の切り札になるか
櫛野:生成AIでは、インターネット上の膨大なデータと計算資源をもつ海外企業が先行しました。フィジカルAIでも、現状は米中が大きくリードしています。
一方、日本にはFAや産業ロボットで培われた設備技術や熟練工の知見など、Web上には存在しない現場データがあります。こうした資産は、日本ならではの強みになりえます。
小杉:確かに、その見方はあります。ただ、人間は産業現場だけで学習しているわけではありません。日々の生活を通じて運動や操作、物理法則を身につけています。本質的な課題は、現場データの量だけではありません。人間とロボットの乖離をどう埋めるか、取得データをどう学習させるかといったAIの学習アルゴリズムも、同じく重要な論点であると考えています。
櫛野:まだ世界中が正解を模索している段階ということですね。
小杉:そうです。だからこそ挑戦する価値があります。私たちは「日本から物理知能を実装する」を掲げ、研究開発や実証を進めています。目指しているのはAIモデルの開発だけではありません。シミュレーションから実機制御、技術の内製化までを一貫して支援しています。
櫛野:内製化という考え方も変わってきていますね。
小杉:ええ。すべてを自社で抱えることが内製化ではありません。競争力の源泉となるデータや評価基準、運用ノウハウは自社に残し、進化する基盤技術や専門領域は外部と組み合わせる。その境界設計が重要です。私たちも受託開発にとどまらず、複数産業で再利用できるミドルウェアやプロダクトへ展開し、日本発のフィジカルAI企業として世界を目指しています。
ロボットに必要なのは「身体」だけではない
櫛野:技術的に動かせることと、社会に受け入れられることは別問題です。家庭や街中、職場など、人とロボットがかかわる領域では、最後に問われるのは人とのインターフェースです。フィジカルAIが「身体」を与えるなら、AIエージェントは「人格」や「関係性」を担う存在になるでしょう。
私たちは対話型AIの開発を通じて、人とAIが継続的にかかわる体験設計に取り組んでいます。重視しているのは技術精度だけではありません。どのような言葉や距離感なら安心して使えるのか。声の調子や間の取り方、フィラー(「あの〜」「えっと〜」など)まで含めた設計が重要です。
現在は、健康的な行動を自然に促すゲームアプリ「くおんたいむ」の開発も進めています。AIとの対話を自然な体験へ変え、技術を人の行動変容や事業価値へ翻訳することが、社会実装の最後の一歩だと考えています。
Quants 代表取締役副社長 東万里子(写真右。以下、東):社会実装で重要なのは、技術の高度さではなく、従来の仕組みで取り残されてきた課題を解決することです。
例えば金融では、法人なら決算書、個人なら信用情報など、過去の定量データを基に与信判断が行われてきました。しかし、将来性や実力があっても実績データが十分でないために評価されず、融資や不動産、自動車、割賦リースなどのサービスにアクセスできないケースがあります。
そこで私たちは、定量情報に頼らずに、定性情報のみで与信審査できるAIモデルを提供することで、本来、融通されるべき法人や個人を助けています。目的は審査業務の自動化ではなく、従来評価されにくかった人や企業にも適切な機会を提供することです。
櫛野:AIの導入自体が目的ではなく、社会や顧客の課題をどう解決するか。その視点から生まれたサービスということですね。
東:その通りです。一見異なる事業に見えても、共通しているのは現場の複雑さから目を背けず、顧客の課題を解決していく姿勢です。AIを賢くつくるだけでは、社会は変えられません。
櫛野:フィジカルAIはAIに身体を与え、AIエージェントは人との接点をつくる。そして、その技術を社会価値へ転換して初めて社会実装が実現します。
これから競われるのは、誰が最も大きなモデルをつくるかではありません。誰が現実の課題に向き合い、産業や社会のなかで価値を生み出す仕組みを構築できるか。その競争が始まっています。
小杉:AIは現実世界をどう動かすのか。その答えは、まだ誰ももっていません。だからこそ、この領域には世界を変える余白があります。日本の産業や現場には、その挑戦を支える強みがあります。私たちもフィジカルAIの社会実装を通じて、日本発の価値を世界へ発信していきます。
ライフラボ・アンド・コンサルティング
https://lifelabnc.com
Prox Industries
https://prox-industries.jp/
Quants
https://www.quants-grp.co.jp/
くしの・やすお◎ライフラボ・アンド・コンサルティング代表取締役。外資系戦略コンサルを経て2019年に創業。戦略立案から社会実装まで一貫して支援し、「山田佐藤」「けんけんぱ」「くおんたいむ」などAIプロダクトも開発。STANDARD、Quants等でも要職を歴任後、現在、Prox Industriesに参画。
こすぎ・ゆうと◎Prox Industries CAIO。東京大学大学院修士課程修了。AI人材育成団体「HAIT Lab」代表、ドリームインキュベータ、医療AIスタートアップCTOを経て現職。「日本から物理知能を実装する」を掲げ、フィジカルAIの研究開発を統括する。
ひがし・まりこ◎Quants代表取締役副社長 CTO兼COO。野村総合研究所を経て、データ分析・AI活用を幅広い分野で推進。2019年にQuantsへ参画し、AIプロダクトを立ち上げ、技術・経営・事業を横断して社会実装をリードする。



