「認知負荷」の研究も同じ方向を示している。ワーキングメモリ(作業記憶)の容量は小さく、すぐに飽和してしまう。複雑な問題を抱えている脳は、日常生活を構成する「重要度は低いが頻出する細かな事柄」に割くことのできる容量が自ずと少なくなってしまう。鍵を置いた場所を覚えていないのは、鍵を置いた瞬間に、それを脳に記憶するためのリソースがほとんど残っていなかったからだ。
ただし、物忘れが美徳であると言っているわけではない。この点ははっきりとさせておく必要がある。上の空であることは、必ずしも知性の高さを示す信頼できる指標ではない。その多くはストレス、睡眠不足、ADHD(注意欠如・多動症)、あるいは単に抱え込んでいるものが多すぎることが原因で発生する。ここでの主張はより限定的だ。すなわち、深い没頭がこの特有の副産物を生み出すため、真剣に知的作業に取り組んでいる人に見られる上の空は、欠点というよりも「没頭している兆候」であることが多い、ということだ。
2つの習慣に共通すること
どちらも、目に見えない取引(トレードオフ)が表面化したものだ。注意力は有限であり、ある分野での深さは、別の分野での浅さという代償を払って手に入れられる。会話の筋を決して見失わず、細部を決して落とさず、思考が決して漂わない人は、単にその取引が発生するほど深く何かに入り込んでいないだけなのかもしれない。
これは、こうしたパターンが見られないことが、必ずしも強みになるとは限らないことも意味する。表面的な注意力が完璧であることは、優れた管理システムや整理された思考を持っていることを示す場合もあれば、没頭するほど長く考え抜いているテーマが何もないことを示している場合もある。
本当に実践的なアプローチは、意識の逸脱を美化することでも、それを排除しようとすることでもない。それを人間的な欠点と捉えるのをやめ、「リソースの配分問題」として扱い始めることだ。これは、恥じ入ることで解決するのではなく、外部の「補助ツール」を使って解決すべき問題なのだ。スケジュール帳やリスト、リマインダーが存在するのは、注意力が分散するようにできていないからだ。
さまよい続ける脳は、大抵の場合、稼働している。ただ、鍵を保管しておく別の場所が必要なだけなのだ。


