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ヘルスケア

2026.08.09 09:39

ウェルネスだけでは基準が低すぎる。マインドフルネスに欠けているもの

Adobe Stock

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あなたのマインドフルネス実践は逆効果かもしれない。その理由とは

マインドフルネスは、それを機能させていた要素をそぎ落とされてきた。宗教学教授のリズ・ブカーが、何が欠けているのか、そしてウェルネスだけではなぜ基準が低すぎるのかを解説する。 getty 今日、卓越性と有効性を追求するリーダーは皆、何らかの形でマインドフルネスを実践している。仕事前に瞑想をし、深夜便の機内でアプリ「Calm」を使い、研究結果を引用しては、自律神経を整える習慣を身につけるよう同僚に勧める。 それでも多くのリーダーは、気が散り、圧倒され、燃え尽き、奇妙な虚しさを抱えていると口にする。こうした実践は何かしらの効果をもたらしているはずだが、それは必ずしも本当に必要な効果ではない。少なくとも、十分ではない。 ノースイースタン大学の宗教学教授で、『Beyond Wellness』の著者であるリズ・ブカー博士には、その理由についての仮説がある。私たちの多くが実践しているマインドフルネスは、本来それを機能させていたまさにその要素を、慎重に、意図的に、戦略的に取り除かれたものだというのだ。 「セルフケアは、私たちが関わり続ける助けにならないなら意味がない」とブカーは最近の対話で語った。「それが個人と生存のためだけのものなら、十分ではない」

マインドフルネスはいかにパフォーマンス向上の道具になったか

主流のマインドフルネス産業は、主に1人の人物の構想から生まれた。マサチューセッツ工科大学(MIT)の分子生物学者ジョン・カバットジンは1970年代にマインドフルネスストレス低減法(MBSR)を開発し、それは病院、企業、大学へと驚くべき速さで広がった。現在では、世界の700を超える医療センターで提供され、3万人以上がこのプログラムを修了している。 その規模を可能にするため、カバットジンは意図的なトレードオフを行った。彼は有名な言葉として、マインドフルネスは「仏教実践の核心だが、仏教とは何の関係もない」と述べている。仏教の概念を臨床的な言葉に置き換え、共同体、倫理、宇宙観、集団的目的への言及を取り除き、その実践をエビデンスに基づく世俗的な治療法として提示した。それは意図的な抽出であり、商業的には成功した。しかしブカーによれば、その代償は小さくなかった。 差し引かれたものは、彼女が「世界観」と呼ぶものだ。つまり、本来の実践が埋め込まれていた、意味、目的、他者への義務に関する一貫した枠組みである。その枠組みを失えば、マインドフルネスは「マックマインドフルネス」、すなわち変容を装った生産性向上テクニックになってしまう。

欠けているものを示すデータ

成人を対象としたマインドフルネスの研究基盤は、極めて強固である。メタ分析では、不安、うつ、知覚されたストレスの軽減が一貫して示されている。米国心理学会は、マインドフルネス認知療法を、うつ病の再発予防に対するエビデンスに基づく治療法として認めている。これに異論の余地はない。 あまり語られないのは、その全体像の境界部分である。学校でのマインドフルネス訓練を対象に、2万8000人超の子どもが参加した大規模研究「My Resilience in Adolescence(MYRIAD)」プロジェクトでは、その特定の集団において、この実践は標準的な社会情動的カリキュラムに比べて意味のある優位性を示さず、内面を過度に観察しがちな思春期の若者では、不安を高めることさえあった。 また、ブラウン大学の心理学者ウィロビー・ブリットンは、一定数の瞑想実践者が有害な影響を報告していることを明らかにしている。特に、実践量が多い場合や、十分な文脈や指導を欠く場合に顕著だ。どうやらこの実践は、誰にとっても中立的なものではない。それは、ウェルネス産業が認めがちな以上に、マインドフルネスが強力であり、必要条件もより具体的であることを示唆している。 ブカーはこれを、世界観の不一致という観点から捉える。本来の技法は、自己を幻想として理解する仏教的枠組みの中で発展した。その文脈における瞑想の目的は、自己を改善することではなく、その幻想を消し去ることにある。そこに自己最適化を目的として近づくなら、2つの枠組みは衝突へ向かう。彼女によれば、その結果として生じるのは安堵ではなく、方向感覚の喪失になり得る。

97歳の僧侶が語ったこと

翻訳の過程で何が失われたのかを理解するため、ブカーは、マインドフルネスを米国にもたらした初期の提唱者の1人であるバンテ・ヘネポラ・グナラタナが創設した、ウェストバージニア州の農村部にある僧院「バーヴァナー・ソサエティ」で、1週間の沈黙のヴィパッサナー・リトリートに参加した。彼女が訪れた当時、バンテGは97歳だった。 ブカーは彼に、自分の学生たちに持ち帰れるものはないかと尋ねた。彼女の学生の多くは、大学で流行の資格のようにマインドフルネスを副専攻していた。 彼が差し出したのは、たとえ話だった。誰かが水を求めてやって来たら、私はこう言う、と彼は語った。場所を1つ選び、100フィート掘りなさい。だが、そこを離れて10フィートずつの穴を10個掘っても、水は決して見つからない。 「いくつもの実践に手を出しすぎると、自分の実践を混乱させる」と彼はブカーに語った。「場所を1つ選び、掘りなさい」 15のウェルネスアプリ、3つの生産性システム、そしてうず高く積み上がった朝の習慣を管理しているリーダーにとって、これは耳の痛い、しかし極めて重要な教訓であり、心に刻めば劇的な変化をもたらす可能性がある。

ほとんどのリーダーが見落としている次元

『Beyond Wellness』におけるブカーのより深い主張は、真の問題は私たちが選択する技法ではなく、その目的であるという点だ。私たちの多くは、ストレス管理、生産性の向上、パフォーマンスの維持といった、個人の自己最適化のためにウェルネスを実践している。しかし、ブカーが調査したほぼすべての瞑想や精神修養の伝統において、ウェルビーイングは根本的に「他者との関係性」において捉えられている。自分が主役ではないのだ。 仏教において、マインドフルネスは、倫理的行動、他者への寛容さと並ぶ、3本足の椅子の1本の足にすぎない。出家の伝統において、それはコミュニティでの実践と切り離せないものだ。現代の世俗的なマインドフルネスが多くの実践者にとって空虚に感じられるのは、まさに他の2本の足が取り除かれてしまっているからである。 これは、私が接するリーダーたちに一貫して見られる傾向と一致する。「成功しているように見えても、実感が伴わない」と訴えるリーダーほど、ウェルビーイングの実践が自己の内面にのみ向いており、リーダーシップの「私(ME)」の次元だけに焦点を当て、「私たち(WE)」や「世界(WORLD)」の次元を統合できていない。ストレス管理それ自体を目的にすることは、人生の戦略とは言えない。 「真のウェルビーイングとは、もっと大きなものに関わるものだ」とブカーは私に語った。「ウェルネスだけを目指すのは、目標が低すぎる」

実践における意味

ブカーは、リーダーが仏教やその他の宗教に改宗すべきだとか、マインドフルネスが役に立たないとか、世界中の瞑想の伝統をフィットネススタジオや職場にそのまま取り入れるべきだと言っているわけではない。彼女の示す枠組みは、それらの選択肢のどれよりも有用であり、誠実なものである。 それぞれの実践に対する彼女のアプローチは、3つのステップからなる問いかけである。まず、その実践から何が削ぎ落とされたのかを明らかにし、次に、その文脈を回復させることが個人として実践を深め、あるいは変革させるかを評価する。そして、おそらく最も重要なこととして、それを人生にどう適用するかを意識的に選択することだ。 一部のリーダーにとって、それは特定の実践を一切行わないという選択を意味するかもしれない。自己の解消に向けた悟りとして捉えられるマインドフルネスは、キャリアの最適化として捉えられるマインドフルネスとはまったく異なる提案であり、誰もが前者を望むわけではないからだ。 別のリーダーにとっては、最も一貫してそぎ落とされてきた要素を戻すことを意味するかもしれない。すなわち、共同体である。必ずしも瞑想コミュニティである必要はない。個人のパフォーマンスよりも満足度の高い何かへ向けられた、何らかの共有された実践である。 ここでも、バンテGの「掘る」という比喩は有用な指針になる。問うべきは、どのウェルネス実践をしているかではない。そのどれかにおいて、本物に届くほど深く掘っているかどうかである。

forbes.com 原文

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