誰もが読み違えている、4つ目の陣営
最後に残る4つ目は、「普通の技術」とでも呼ぶべき立場だ。AIはいま語られているほど急には効かない、という力の問いへの答えを、バブル論と共有している。そのため、ひとまとめにAI懐疑論として分類されてきた。だが結末の問いへの答えは正反対で、中身はまったく別のものだ。アルヴィンド・ナラヤナンとサヤシュ・カプールの論考「普通の技術としてのAI」は、AIは電力やインターネットがそうであったのと同じ意味で世の中を変える技術だと論じる。変化の速さを決めるのは発明ではなく普及のほうだ、というわけだ。そのうえで、実用に耐えるエージェントの実現を阻む壁として「能力と信頼性のギャップ」(capability-reliability gap。性能そのものは高いのに、業務を任せられるだけの安定性が伴わない状態)を挙げている。
ダロン・アセモグルは、この夏、陣営を移った。彼は、控えめな試算によって政策当局に「まだ待てる」という余地を与えてきた経済学者である。その彼が7月、200人を超える研究者とともに、ホワイトカラー職が大きく揺らぐと警告する書簡に署名した。署名者のうち16人はノーベル賞受賞者だ。この転向によって得をするような持ち高を、彼は抱えていない。だからこそ、その転向は、どの創業者が語る見通しよりも重い。
資金を配分する側が読み取るべきこと
AIに何ができるかという問題と、投資が報われるかという問題は別である。フィナンシャル・タイムズの集計によれば、ハイパースケーラー(大規模なデータセンターを運営する巨大IT企業)4社はAIインフラに7250億ドル(約114兆5000億円)を投じる見通しで、その結果、4社合計のフリーキャッシュフローは10年ぶりの低水準に向かっている。
アモデイ、ヒントン、ベンジオは、AIがまもなく到来して雇用市場を破壊すると考えている。シトリーニ・リサーチは、同じ筋書きを2028年を舞台にしたフィクションとして語る。アセモグルは長年、そんなことは起きないと言い続けたうえで、7月、限られた情報をもとに考えを変えた。フアン、アンドリーセン、ハサビス、ウッド、フィンクも、AIが到来することには同意する。ただし彼らは、AIが誰もをより豊かに、より生産的にすると見ている。いまの巨額投資を支えているのは、この信念だ。つまり、声の大きい2つの陣営は、実のところ戦ってなどいない。AIが世の中を変えるという力の問いでは一致していて、割れているのは結末の問い、つまりその金が誰の手に渡るのかという点だけである。
AIにそこまでの力はないと答える懐疑派も、一枚岩ではない。バーリは会計が間違っていると言い、ガーリーは売上が循環していると主張し、ジトロンはOpenAIには支払い能力がないと言い、ダリオは価格が高すぎると言う。MITのプロジェクトNANDAは、企業が実際に使おうとした途端にソフトウェアが機能しなくなると指摘する。「同じ陣営」に括られてはいても、彼らの見立ては大きく異なる。
4つ目の「普通の技術」派は、しばしば読み違えられる。ナラヤナン、ブリニョルフソン、マクローリーが言っているのは、AIは本物であり、ただ広まるのが遅いだけだ、ということだ。これは、AIを誇大宣伝だと切って捨てるのとは違う。
有益な問いは、誰が正しいかではない。その主張を信じたとき、誰に金が入るのか。ここまで見てきた4つの席は、どれも必ず誰かに金をもたらす。警告のように聞こえる席も、例外ではない。


