機械は疲れを知らないクレーンである。1回の作業で、博士論文や年次報告書、ハリウッドの脚本で使い切れる量をはるかに上回る素材を差し出してくる。科学者や脚本家と話すたびに、私はこのことを思い出す。彼らは互いに無関係に、ほとんど一字一句同じように、機械が提示するもののうち自分たちが残すのは1〜5%程度だと語るのだ。
この数字は警戒すべきものに聞こえるかもしれない。だが、そうではない。両者が強調するのは、機械の真の価値は生成する素材の量にあったのではないということだ。価値があるのは、そもそもその素材を集める時間を節約できる点である。
私は最近、シカゴでAIと判断に関する講演を行った際、この考えを口に出して検証した。講演の中心に据えたのは、マクマスター大学の生化学者ジョナサン・ストークス博士から直接聞いた話である。同博士の研究室では、新たな抗生物質を探すためにAIを使っている。ほぼ無限に近い化学空間を探索するにあたり、ストークスのチームはモデルに候補分子を生成するよう求めた。返ってきたのは2万4335個だった。そのうち2868個が有望な抗生物質になり得ると予測された。チームはその中から58個を選び、研究室で試験した。同じ化学空間を手作業でスクリーニングし、それだけの数の活性分子にたどり着くには、約1年かかったはずだ。
クエリを実行するだけの時間で、科学者のチームに1年分の実験室での時間が返ってきた。これこそがクレーンの働きであり、皮肉や留保なしに率直に名づけられるべきものだ。人工知能が並外れて得意とするのはこれであり、その限界について誠実に論じるなら、この事実をないものとして扱うべきではない。
規模はそこからさらに大きくなる。ストークスは現在査読中の2つ目のプロジェクトについて、こう説明する。「私たちはAIモデルにオンラインの化学リポジトリから1234万7622個の分子を与え、抗菌性を持ち得る新たな化学物質を特定するよう求めた。モデルの予測の一部を研究室に持ち込み、臨床的に厄介な細菌に対して有望な活性を示す、構造的に新規な化学物質を複数見つけた」。計算に要した時間はおよそ1日だった。1234万個すべてを手作業で試験していれば、約4年かかっただろうと同氏は見積もっている。
クレーンは時間を節約し、人間は判断を下す
そこで、私がシカゴの会場に投げかけた問い、そして読者にも投げかけたい問いはこうだ。ストークスのチームは、取り戻した1年を何に使ったのか。
彼らはその時間を、さらに多くの分子を生成することには使わなかった。すでに手元にある分子を見極めるために使ったのだ。生き残った候補を、試験し、改良し、どの異常値を追う価値があり、どれがノイズなのかを議論するという、より遅く、はるかに人間的な作業にかけた。機械は時間を買い戻した。チームはその時間を、さらなる探索ではなく判断に使ったのである。
ここから先は、科学だけの話ではなくなる。いまやオフィスのあらゆるデスクで、ブラウザの別のタブにチャットボットが開かれているすべてのビジネスパーソンに関わる話だ。
一方、ハリウッドでは
私はハリウッドの脚本家ジョナソン・スチュワートに、AIが1回の作業で生成したもののうち、どれくらいの割合が脚本に残るのかを尋ねた。過去10年の最大級のアニメーション・フランチャイズに携わってきた人物である。彼の答えは、ストークスの答えとほぼ完全に一致していた。1〜5%である。機械に場面を書かせると、20通りのそれなりに整ったバリエーションが返ってくるかもしれない。彼が使うのは、そのうち1つの中の1行、あるいはそれ以外は捨てる草稿の中に埋もれていた構造上のアイデアくらいだ。残りの19は消えていく。
選別(編集、キャスティング、買収、創薬、脚本執筆など)の上に成り立つ職業に就いたことがない人にとって、この数字は「無駄」に見えるかもしれない。だが、実際は逆だ。雑誌の編集者はデスクに届くすべての原稿を掲載するわけではないし、キャスティングディレクターは最初に面接室に入ってきた俳優を採用するわけではない。「検討された数」と「選択された数」の比率は、センス(審美眼)そのものが成果物となるあらゆる分野において、常に過酷なものであった。AIが変えたのはその比率ではない。何カ月にもわたる持ち込み原稿の山やオーディションのプロセスに広がっていたその比率が、いまや可視化され、数値化され、一瞬で示されるようになったことだ。
これが、私が現在、企業の経営幹部チームの中で目にしている、誰も指摘していない本当の危険性につながる。多くのリーダーは、時間を節約するためにAIを使用し、その節約した時間を、より慎重に「選択する」ことではなく、さらに「生成する」ことに費やしているのだ。彼らは同じプロンプトを5通り実行し、5つの戦略デッキ、5つの広告コンセプト、5つの市場参入計画を作成し、その山を「選択肢」と呼ぶ。しかし、選択肢の山は決定ではない。そして、豊富さに酔いしれて過ごす午後は、決断を下すために費やす午後とはまったく異なるものだ。
ストークスのチームは、取り戻した1年を「さらなる探索の時間」としては扱わなかった。彼らはそれを「選別の時間」として扱ったのだ。この違いこそが、本稿の主張のすべてであり、これからの10年における決定的な競争優位性の一つになると私は確信している。AIによって節約された時間を、より研ぎ澄まされた「判断」に再投資する組織は、同じ節約時間を誰も求めていないコンテンツのさらなる量産に再投資する組織を、実行力において圧倒するだろう。
捨てられる95〜99%について、もう1つ言っておく価値がある。私たちが想像するように、それは単に消えてしまうわけではないと思うからだ。ストークスのチームが棄却した分子の一つひとつが、重要な分子を見抜く目を研ぎ澄ませた。スチュワートが捨てる草稿の一つひとつが、残す価値のある一行を見抜く直感を鍛える。廃棄の山は無駄ではない。選ばれた数%に形を与えるネガティブスペースなのだ。残したものだけを見ていては、センスは育たない。残さなかったすべてを十分に厳しく見つめ、それがなぜ不足していたのかを正確に理解することで、センスは育つ。
ストークスはもっと率直に言う。「AIモデルは、単なる提案生成ボックスにすぎない。人間は、専門領域の知識と実体験をもって、それらの提案を受け取る。その大半は素晴らしいものではないが、私たちはそれをもとに、そうでなければ下せなかったかもしれない、より良い判断を下す」
取り戻した時間を何に使っているのか
これは、AIがプロフェッショナルの専門性に対して静かにもたらした最も重要な変化かもしれない。AIは、拒絶するという行為を、仕事の目に見え、測定可能な中心にした。これまでは、誰かが初稿を見る前に起きていた目に見えない部分だった。何十年もの間、判断は紙面の外で行われていた。編集者だけが見る持ち込み原稿の山、科学者だけが知る行き止まり、研究室の外の誰の目にも触れない何年もの試行錯誤である。AIはその隠れた作業を光の下に引きずり出した。いま私たちは、プロフェッショナルが正しいものを残すために、どれほど多くを捨てているのかをリアルタイムで見ることができる。
これは、企業内でAI導入を評価する方法を変えるべきだ。間違った問いは、「チームは今四半期にどれだけ生成したか」である。その数字は常に増え、常に見栄えがよく、実際に良いことが起きたかどうかについてはほとんど何も教えてくれない。正しい問いは、ストークスが述べていたことに近い。あなたのチームは、どれほど徹底して、どれほど速く、選べるようになったのか。答えが「10倍多く生成し、10倍多く出荷している」なら、あなたが作ったのは「灰色の壁」を生み出す高速な機械である。すなわち、無難で、記憶に残らず、平均的な素材をより大量に作る機械だ。答えが「10倍多く生成し、出荷量は同じだが、測定可能なほど良くなっている。取り戻した時間を、どの1%が生き残るに値するか議論することに費やしたからだ」なら、あなたは持続するものを作ったことになる。
クレーンは持ち上げる。その点に異論はない。ストークスも、自身の研究室がそれによってより速く、より良くなったと真っ先に語るだろう。だが、クレーンは建物の目的ではなかった。クレーンは1年分のがれきを片づけ、部屋にいる人々がその時間を、何を建てる価値があるのかを真剣に見極めるために使えるようにしたのだ。節約した時間をさらなる生成に再投資することは、無駄をより速い速度で行っているにすぎない。節約した時間をより見識ある判断に再投資することだけが、抗生物質、完成した脚本、あるいは現実に触れても生き残る戦略へと至る、この物語の唯一の結末である。
最後に、シカゴの会場を後にするときに私が残した問いを、読者にも残したい。あなたのチームは今年、AIのおかげでほぼ間違いなく速くなった。では、取り戻した時間を、具体的に何に使っているのか。



