こうしたつながりは本当に「つまらない」ものだ。何かを共有するわけではなく、何かが解決するわけでもない。その価値は繰り返しにある。同じ場所で毎週自分の存在を認識してもらうことこそ、実際に帰属しているという感覚をもたらす。だからこそ、別の都市へ引っ越したとき、親しい人間関係がそのまま維持されていても落ち着かない気持ちになることがあるのだ。
習慣3:何かについてあえて下手なままでいる
人生に満足している人の多くは、頻繁にやっているのにあまり上達しないことを1つ持っている。11年間ずっと下手なままのギターかもしれないし、誰にも見せたことのないスケッチブックかもしれない。あるいは、1シーズンにトマトが4個しか実らないガーデニングかもしれない。
動機づけ研究の中でも比較的よく裏づけられている枠組みの1つである自己決定理論では、人は自律性、有能感、関係性の3つの欲求が満たされると良い成果を上げるとされている。ここでいう有能感とは誰かにパフォーマンスを披露することではなく、自分が選んだことにおいて前進しているという実感を持つことを意味する。そして、内発的動機づけに関する研究では、自分がもともと楽しんでいることに外部からの報酬や評価を加えると、その楽しさが薄れてしまう傾向があることが一貫して示されている。
趣味に数字が結び付けられた瞬間、まさにそうしたことが起きる。ランニングはペースタイムを意識するものになり、お菓子作りはSNSに投稿するための「映える」コンテンツ作りになり、絵を描くことはそろそろ作品を売るべき作業へと変わってしまう。
学術誌『British Journal of Health Psychology』に2025年に掲載された研究では、ランナーやダイエット中の人でも同じパターンが確認された。ランニングや食事がアプリに記録すべきものになった途端、楽しさの代わりに羞恥心や燃え尽き感を覚えるようになった。そうなると休息ではなく、仕事になってしまう。何か1つだけでも、上達させる対象から意図的に外しておくことは本質的に退屈なことだが、常に行動を正当化する必要があると感じてしまうことへの真の防御策になる。
3つの習慣の共通点
この3つの習慣は外から見ればどれも価値あるものではなく、「成果」と呼べるものもない。成果というより維持の行為であり、人が語る価値のある人生を築こうとする際、まさにこの維持という部分を省いてしまう。
維持している行為の欠如は特有の形で表れる。旅行やプロジェクト、計画で1年のスケジュールをぎっしり埋めても、「自分には拠り所がない」と感じる。たいてい足りないのはもっと多くの出来事ではない。繰り返し起こる何かだ。
人生に対して求めるものを減らすべき、という話ではない。人生を支えている部分はそもそもおもしろいものである必要などない、ということなのだ。


