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教育

2026.08.07 17:34

新たな所得説明責任テスト:「害をなすな」が害をなすとき

stock.adobe.com

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所得説明責任テスト:あなたの専攻を危機にさらすのか?

昨年、「Big Beautiful Bill」にひっそりと盛り込まれる形で、米国の高等教育と社会全体に重大な影響を及ぼす新法が成立した。今月初め、米教育省は最終規則を公表し、これは2027年7月1日に施行される。

それは「所得説明責任テスト」と呼ばれる。仕組みは一見単純だ。大学全体ではなく、特定の学位プログラム、つまり1つの専攻の卒業生の平均所得が、高卒のみの同年齢層の平均所得を上回らない場合、そのプログラムの将来の学生は連邦学生ローンを利用できなくなる。

来年1月から、教育省は米国内のすべての大学における、すべての学位プログラムの全卒業生の平均所得を算出するため、膨大なデータセットの収集を開始する。

これは仮定の話ではない。現実に進行していることだ。しかも、ほとんど誰もこの問題を語っていない。

所得説明責任テストは実際にどう機能するのか

仕組みはこうだ。ある特定の大学の英文学科を想像してほしい。卒業生の平均年収は$60,000(約947万円)だが、その州の高卒者の平均年収は$65,000(約1030万円)だとする。この法律の下では、その大学で将来、英文学を専攻する学生は連邦ローンを利用できなくなる。民間ローンが事実上存在しないなか、この大学で英文学を学ぶことは、自己資金で支払える人だけに許されたぜいたくになる。学科は縮小し、やがて閉鎖を余儀なくされる。

学問分野全体に及ぶ見えにくい影響

この法律が大きな見出しになってこなかった理由の1つは、当局が影響を受ける学術プログラムは「わずか5.1%」だと主張しているからである。しかし、5%というのは決して小さな数字ではない。しかも当然ながら、政府は時間の経過とともに算定方法を調整し、その数字を瞬時に拡大することもできる。

そして現時点でも、不合格になると見込まれているプログラムは深刻な問いを投げかけている。例えば、全米の宗教学プログラムの53%がこのテストに不合格になると予想されている。考えてみてほしい。宗教学プログラムの半数以上が閉鎖の危機に瀕しているのだ。教育の質や需要が理由ではなく、単に社会にとって経済的価値がないとみなされたという理由だけで。そもそも、人が宗教を学ぶ理由はお金を稼ぐことなのだろうか。

同じ問いは、不合格率が高いと見込まれる他のプログラムにも当てはまる。政府自身のデータによると、音楽プログラムの14%、芸術プログラムの15%、演劇プログラムの16%、教員養成プログラムの29%が不合格になるという。

学生たちが教師の道を選ぶのは、高給を期待しているからだろうか。さらに言えば、連邦政府は教育のような公共奉仕を思いとどまらせるのではなく、促進すべきではないのか。

「害をなすな」という比喩が成り立たない理由

この法律が広範な反対に直面してこなかったのは、常識的な安全装置として位置づけられてきたからだ。議員たちはこれを、医師の指針となるヒポクラテスの誓いになぞらえて、「Do No Harm(害をなすな)」条項とさえ呼んだ。その論理はわかりやすい。医師の仕事は治療することだ。成功することも失敗することもあるが、医療を求めた結果として患者がより悪い状態に置かれるべきではないという普遍的な確信がある。少なくとも、医師は害をなしてはならない。

所得説明責任テストは、同じ論理が高等教育にも当てはまると主張する。大学に進学した学生は、まったく進学しなかった場合より悪い状態に置かれるべきではない、というわけだ。一見すると、この類推はほとんど成り立つように見える。だが、よく見れば、その誤りは明らかである。大学教育の目的は、人を経済的に豊かにすることだけではないからだ。

「害をなすな」の原則が成り立つためには、測定される害が、提供される便益と対応していなければならない。医療において便益は身体的健康の改善である。したがって、「身体的健康が悪化すること」が関連する害となる。カテゴリーは一致している。だが所得説明責任テストでは、測定される害、すなわち学生が経済的に悪い状態に置かれることが、高等教育が実際に提供する便益と一致していない。

大学生にとっての「害」を金銭面で測ることは、医療患者にとっての「害」を金銭面で測るのと同じくらい不合理である。医師に対し、治療したすべての患者が自宅で過ごしていた場合よりも経済的に豊かになることを保証せよ、と求める場面を想像してほしい。この規則は、優れた医師であることと何の関係もないだけでなく、現実とも何の関係もない。患者はお金を稼ぐために医師を訪ねるのではない。健康になるために訪ねるのである。

高等教育は本来、何のために存在するのか

同じように、学生は大学に通う。とりわけ私が率いるようなリベラルアーツ・カレッジに通うのは、単にお金を稼ぐためではない。それが約束であったことは一度もない。大学ははるかに多くのものを提供する。思想の世界への導入、知的生活、数千年と大陸をまたぐ偉大な対話への参加、そして総称して「リベラルアーツとサイエンス」と呼ばれる、終わりなき真理の探究である。

リベラルアーツとサイエンスを学ぶことは、直接的に所得を生み出すものではない。それでも何世紀にもわたり、リベラルアーツは学生が市民となり、社会の一員として生きるための準備に不可欠なものだと理解されてきた。なぜか。それは、即座の利益を生まないとしても、私たちの文明全体が依って立つ基盤を形づくるからである。2000年以上前、キケロは、自由な社会を維持するために必要な包括的知識と道徳的形成をリベラルアーツがもたらすと記した。

問われているもの:基盤、根、そして社会の未来

これこそが、大学のあるべき姿だ。基盤であり、根である。目に見えない構造。私たちの世界のすべてを形づくる不可視の力だ。

所得説明責任テストの問題は、その適用のあり方にとどまらない。その精神にこそある。これは教育という考え方そのものに根本的に反している。何年も後、基盤にひびが入り、根が引き抜かれたとき、痛烈な皮肉が明らかになるだろう。それはすべて「害をなすな」の名の下に行われたのだ、と。

だからこそ、今この瞬間は応答を求めている。リベラルアーツ・カレッジは立ち上がり、教育の目的そのものを守らなければならない。そして社会は、教育とは市民を形成し、知恵を育み、共通善を強化するためのものであり、単に経済的リターンを生み出すためのものではないことを思い出さなければならない。それを忘れるなら、私たちがもたらす害は、この法律が防ぐと主張するいかなるものよりもはるかに大きくなる。

forbes.com 原文

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