次に考えるのは、「つくる」について私たちは、若い世代にどう訴えかけられるかという課題です。YouMeのマニフェストにも強く共感する一方で、「より心豊かに生き抜くために挑戦すべきことには前面から立ち向かいたい」を、果たしてどれだけ若い世代と共有しているのか、最近不安に思うことがあります。
例えばそれを反映するのは、近年世界の若者を魅了しているガールズグループKATSEYEの『Pinky Up』という曲。「いつか世界は終わる、だから燃え尽きる前に、この手のひらで思いきり派手に生きたい」。そんな一節を持つこの曲を初めて聴いた時、その異様に明るいニヒリズムに、ギョッとしたのを覚えています。
オックスフォード大学の学生新聞Cherwellの記事『Gen Z and Oxford: Nihilism inside the bubble』ではこうした感覚を当事者の視点から描いています。何をしようともそれが圧倒的に不十分であるという恐怖や、年上の描く未来像に無自覚に組み込まれる重圧から、将来を気にかけすぎることはもはや割に合わないという感覚がある、と。似た傾向は他の若者論でも指摘されており、世界の不安定さへの対処法として、ニヒリズムがトレンドとして消費されている面もあるようです。
若い世代に限らず、人々がもつ「つくる」への乖離が、このような「ニヒリズム」や「無力感」から来ることも多いのではないでしょうか。「いっしょに挑戦しよう」「立ち向かおう」という言葉自体がすでにプレッシャーかもしれない。そんな彼らにどう「この手で何かを変えられる」と信じてもらうのか。それを問う必要がありそうです。
ひとつアイデアとして意欲的に提案したいのは、「つくる」と「表現する」の概念を切り離すことです。
きっかけとなったのは、私が友人2人とやっているSnacks for thought というポッドキャストで先日「コミュニケーション」というテーマで収録した時のこと。私は「グラフィック」と「コミュニケーション」では、感覚的に「別のモード」でデザインしているのだということを、友人に説明する過程で初めて気づきました。
例えば、私にとってグラフィックデザインには、クライアントやプロジェクトのメンバーが「共有する部屋」をつくるような感覚があります。部屋のソファの生地やライティングの配置にこだわるように、「部屋の住人」にとっての使い心地の良さを追求してグラフィックの色や形を整えていきます。
一方、私にとってのコミュニケーションデザインは、その部屋に「ドア」や「通路」をつけて、外にいる人もアクセスできる「広場」にしていく作業です。こちらは、そのデザインが人にどう見えるか、どう伝わるかと言ったことに注目して、より戦略的に計画していく必要があります。


