ラグジュアリーとは当事者の主観ではなく、人々の認知によるものである、と本連載でも繰り返し書いてきました。しかも、どの要素があればラグジュアリーと思われるか、ではなく、全体のコンテクストのなかでそれぞれの要素がどうおかれるとラグジュアリーと思われやすいのか、が焦点になります。確率の問題です。あるいは「ラグジュアリーな経験だった」というフレーズにあるように、しばしば過去形で語られます。
ここで、さきほど紹介した「純粋で軸がぶれていない」という評価に話題を戻すと、コンテクストのあり方に好感を持たれたと解釈して良いと考えました。
主催者の主張したい点はマニフェストに記載しているのですが、それはプロジェクトの意図です。あらゆる側面で難しさに直面している世界で、より心豊かに生き抜くために挑戦すべきことには前面から立ち向かいたい──この点に賛同していただきたいという意思表明です。
このようなマニフェストは、読む人の頭と心にストレートにスッと入り込んでいけるのが目標になります。さらに、プログラムとマニフェストに大幅な乖離があってはいけません。「純粋で軸がぶれていない」と受け取られたのであれば、とりあえず第一段階は理解いただけているのかなとは思います。
他方、まだ開催に及んでいない準備段階で、乖離が少ないと受け止められることにどれだけの意味があるのか、と慎重になります。ある意味、プレッシャーにもなり、自分たちで枠を無意識に狭くおさえてしまうリスクもあります。もちろん、声援はありがたく、自分たちの活動により多角的にみる契機となると考えるのが適切なのでしょう。

例えば、YouMeの基本テーマである「人にとってつくるとは何か?」をひとつとっても、人によって捉え方が違う現実に向き合うことになりました。
料理など日々生活する当事者として「つくる」に関わっているはずなのに、プロフェッショナルの手による「つくる」が念頭にあり、自分は「つくったもの」の鑑賞者であると思ってしまう。このような距離感も、実際に準備に動いてみないと実感しません。
現在、新しいラグジュアリーへの動向のなかで、「経験」や「クラフツマンシップ」、身体がもつ感覚が大切なものとして問い直されています。そして、ラグジュアリー市場においても、モノよりも旅などコトへの重心移動がみられます。それが話題になり、「そうだろうな。工業製品をありがたがる時代じゃない」と当然のように思っていても、人々が自分の手のひらを眺めるには時間が必要なのです。
一方、YouMeで「つくる」はモノだけでなく、頭で考えることも対象にしています。新しいコンセプトをつくることも含むのです。だからといって、身体性が不要と言っているわけではありません。頭だけで考えたこと、人の心の分からないコンセプトの有効性には限界があります。どうしても身体的な経験と一緒につくらならないといけないのです。
前澤さんには、YouMeの話をずいぶんと前からしていますが、新しいラグジュアリーの実践として気づく点があれば教えてください。アドバイスも歓迎です。


