これは先延ばしと同じではなく、その違いは方向性にある。問題の可視化を行っている人は問題に向かって進んでいる。問いを投げかけ、その境界を探っている。問題の可視化を避けている人は問題から遠ざかっている。部屋の外から見る限り、どちらも手つかずのように見えるが、当事者の内面的な感覚はまったく異なる。
習慣2:本心から「場合による」と言う
2つ目の習慣は態度を明確にしないと受け取られかねず、職場での評価において不利になる場合がある。「突き進むべきか、それとも休むべきか」「正直であることは常に正しいのか」「このアプローチは有効なのか」といった広い問いを投げかけても即座に結論を出そうとはせず、まずどのような状況なのかを尋ねる。
大半の会話ではそれは言い逃れのように受け取られる。心理学研究においては、正確であるだけだ。人間の行動に関する研究では、無条件に成り立つことはほとんどない。効果は状況によって現れたり消えたりする。学術誌『Psychological Science』に2022年に掲載された研究はこの点を鮮明に示している。生徒の成績向上を目的として全国的に実施された「成長マインドセット」に関する短期プログラムが効果を発揮したのは、教師も成長マインドセットを持っていた教室に限られていた。まったく同じ介入でも取り巻く状況が後押しするものかどうかで正反対の結果になったのだ。
これにより奇妙な逆説のようなものが生じる。ある分野を熟知している人ほど、文脈のない問いに答えることをためらうようになる。知識が不足しているからではなく、専門性とは原則だけでなく例外も念頭に置くことだからだ。
知識が少ないと、自信に満ちた普遍的なアドバイスを述べやすい。なぜなら、アドバイスを複雑にするような要素を一切考慮していないためだ。複雑な事柄についての確信は世界の実情を示しているのではなく、その人の頭の中にあるモデルの大きさを示していることが多い。
「場合による」と答える人は通常、「Xの場合にはうまくいき、Yの場合には逆の結果になる」という条件付きの図式を頭の中に持っており、嘘をつかずにそれを短い言葉に圧縮することができない。その条件についてさらに尋ねれば、たいていは単なる結論よりも、はるかに有益な答えが返ってくる。躊躇は決して答えがないことを意味していたのではない。一般的な答えがなかったということだ。単に答えを出せないのとは異なる、真摯な姿勢の表れなのだ。


