かつては高齢者がネット社会に取り残されることが懸念されていたが、彼らがソーシャルメディアを全面的に受け入れるようになったことで、デジタルデバイドをめぐる議論は変化した。今、問われているのは、彼らがそこに深くのめり込みすぎたときに何が起きるか、ということだ。
現在、高齢者は世界的にソーシャルメディアにおいて最も急速に成長しているデモグラフィック(属性)の一つである。米国では50歳以上の利用率が急上昇しており、AARPのデータによると、その90%がこうしたプラットフォームを利用しており、高齢者のほぼ半数がFacebookやYouTubeなどのプラットフォームで毎日1時間以上を過ごしている。
同様のパターンは他の国でも見られる。インターネット接続率が非常に高いブラジルでは、ブラジル地理統計院(IBGE)のデータによると、60歳以上のソーシャルメディアユーザーの割合が2019年の44.8%から2024年には69.4%へと急増した。
多くの高齢者がパンデミック時の孤立の中でデジタルなつながりを見出し、そのままログアウトしなくなった。ソーシャルメディアの利用が、ウェルビーイングの向上や社会的支援、コミュニティ意識といった好影響をもたらすことを明らかにした研究は少なくない。
一方で、これまでの研究は主に若いユーザーに焦点を当ててきた。しかし、主要経済国で高齢化が急速に進むなか、議論はソーシャルメディア利用のデメリット、特にそれが「過剰」に行われた場合の影響へと移りつつある。
では、高齢者におけるソーシャルメディアの「異常な利用」とは何を指し、どのような結果をもたらす可能性があるのだろうか。
潜在的なリスク
サイバー心理学の観点からは、問題のあるソーシャルメディア利用は、制御不能かつ過剰な使用を伴う強迫的な行動として特徴づけられる。トルコで高齢者を対象に行われた研究によると、これには例えば「取り残されることへの恐怖(FOMO)」や、さらには「幻覚知覚」(通知が来ていないのにデバイスが振動していると思い込むことなど)が伴う可能性がある。
このような利用パターンは、無限スクロールや即時通知といったプラットフォームの設計によって引き起こされる。また、アルゴリズムの設計により、睡眠不足や座りがちな生活といった悪影響があるにもかかわらず、問題のある利用であっても「報酬」として認識されてしまう。上海の1万5000人以上の退職者を対象とした2025年の研究によると、高齢者のうつ病や不安の増加も、1日6時間以上のソーシャルメディア利用と関連していることが示された。
高齢者にとって、過剰な利用を促すように作られたプラットフォームは、より大きな問題になる可能性がある。なぜなら、前頭前皮質の自然な変化によって、強迫的なチェックに抗うことが難しくなる場合があるからだ。孫とのつながりを保つための行為が、いつの間にかYouTubeの「底なし沼」にはまり込んだり、30分おきにFacebookを更新したりすることに変わりかねない。
さらに、高齢者は人生の脆弱な時期にアルゴリズムによる誘導に直面している可能性がある。この時期には、退職によるアイデンティティの喪失、死別、身体の可動性低下といった健康問題など、人生の大きな出来事が重なることが多い。そのような状況において、「常にだれかとつながっている」という約束は、販売されている商品というよりも、救いのように感じられることがある。
ソーシャルメディア・プラットフォーム内で常にタスクを切り替えることによって引き起こされる「注意の断片化」も問題だ。ゲーム、メッセージ、動画、ニュース、通知の間で注意が分散され、さらに無限スクロールが加わることで、認知的な負荷がかかったり、熟読(ディープ・リーディング)のような脳を保護する習慣が損なわれたりする可能性がある。
オンライン犯罪に対する脆弱性も、高齢のソーシャルメディアユーザーに影響を与える重大な問題だ。彼らは、懸賞や宝くじ、投資詐欺、親族を装った緊急事態の偽連絡など、高齢者をターゲットにした詐欺にさらされやすいためである。
高齢者に影響を与える金融詐欺の数値は、この問題の大きさを如実に物語っている。連邦取引委員会(FTC)のデータによると、米国では2024年だけでも、未報告のケースを含む推定総損失額が高齢者全体で最大815億ドル(約12兆8000億円)に達しており、その大半はソーシャルメディア上で宣伝された投資詐欺によるものだった。
しかし、これらのリスクがあるからといって、高齢者がデジタル環境をナビゲートする能力が著しく欠けているというわけではない。問題は年齢そのものではなく、プラットフォームの設計、ライフステージ、そして利用パターンの相互作用にある。構造的な脆弱性を認識することは、高齢者を「受動的な被害者」として描くことにつながるべきではない。
リスクの中にある主体性
ソーシャルメディアの問題のある利用パターンは、より脆弱な高齢ユーザーに心理的な害を及ぼす可能性があるが、高齢ユーザーとテクノロジーをめぐる「幼児化」された語り口に対抗し、彼ら全員が同じような力学に対して脆弱であると仮定しないことが重要だ。スマートフォンの利用に関する研究はこの「諸刃の剣」を明らかにしており、デバイスへの関与は認知的に保護的な役割を果たす可能性を示唆し、集中的な利用が常に高齢者の脳に害を及ぼすという前提に異議を唱えている。
同研究は、利用の強さ(時間や頻度)だけで害が決まるのではなく、関わり方の質が重要であると指摘している。だからこそ、ソーシャルメディアを能動的かつ目的を持って(例えばコミュニケーションや学習のために)利用することは認知機能をサポートし得る一方で、強迫観念に基づく利用はストレスや幻覚知覚などを引き起こす。
また、誤情報と情報過多を区別することも重要であり、研究ではその両方に対処する高齢者の主体性が強調されている。情報過多は認知と注意の課題(十分なフィルタリングツールがないまま、多すぎる情報が速いスピードで押し寄せること)であるのに対し、誤情報は認識論的な課題であり、だますために意図されたコンテンツである。
通知疲れに悩む高齢者と、誤った健康情報をシェアしてしまった高齢者とでは、必要な支援が異なる。これらを一括りにすることは、どちらの問題にも十分に機能しない、形ばかりのデジタルリテラシー対策を生み出すだけだ。
高齢者とソーシャルメディアをめぐる議論は、しばしば一括りにするアプローチを採用しがちであり、彼らを「だまされやすく、情報に圧倒され、救済を必要とする、アルゴリズムの受動的な被害者」として位置づけがちである。しかし、高齢者を一様に「騙されやすい」と見なすことは、恩着せがましい政策や、見下したようなデジタルリテラシーキャンペーン、そして高齢者と「対話する」のではなく「一方的に言い聞かせる」ようなコミュニケーション戦略を形成する、一種のエイジズム(年齢差別)になりかねない。
高齢者のソーシャルメディア利用に関する議論が進むなか、利用の「意図性」に配慮した設計が今後の方向性の一つとなるかもしれない。プラットフォームや公衆衛生キャンペーンは、高齢のユーザーには監視が必要であると決めつけるのではなく、彼らが例えば「なぜ今スマートフォンを手に取っているのか」といったことに対するメタ認知的な認識を養えるよう支援すべきだ。
また、情報過多の問題と誤情報の問題を区別する戦略をとれば、高齢者が自分で考える能力がないと決めつけることなく、前者の問題にはフィルタリングツールを、後者には批判的思考を促すサポートを提供できる。
そして最後に、研究モデルは高齢者を単に調査や保護の対象として扱うのではなく、彼ら自身のデジタル体験の「共同研究者」として巻き込むべきだ。エイジズム的な仮定に基づいて構築された解決策は、常に的外れなものになるだろう。



