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働き方

2026.08.05 09:57

辞表を出しに行ったら、新会社と資金とオフィスを手にして戻ってきた——あるメンターとの物語

Adobe Stock

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上司のオフィスに辞意を伝えに入った男が、新しい事業と資金、オフィス、そして取締役を得て出てきた、という話を聞いたことがあるだろうか。おそらくないだろう。だが、これは実話だ。26年前、私の身に実際に起きたことである。当時も現実離れした話に思えたが、今振り返るとなおさらだ。そしてそれは、世界に誇るべき一人のメンターのおかげで実現した。彼の存在は、メンターシップこそが多くのビジネスや起業家の成功を支える見えざる力であることを、強く思い出させてくれる。

物語は、私がデューク大学の最上級生だった1998年の秋に始まる。私は学生リーダー(学年代表)の1人として、100万ドル(約1億5700万円)以上の寄付者を対象とした資金調達キャンペーンのディナーに招待された数少ない学生の1人だった。運命に導かれるように、私はハワード・アンダーソンの隣の席になった。彼は当時、テクノロジー市場調査会社ヤンキー・グループ(現在は451リサーチの一部)の創業者兼CEOを務めていた。ディナーを共にしながら会話が弾み、彼は卒業後に何をするつもりなのかと私に尋ねた。IBMの学内面接を受けたばかりだと答えると、彼は「友達がIBMで働くのを止めないなんて、友達じゃない!」と冗談を飛ばした。夜が更けて彼が席を立つとき、彼は名刺を私に渡し、「私のところで働くといい」と言った。

私はヤンキー・グループという企業を知らなかった(もっとも、同社は『Inc.』誌の急成長企業500社ランキングに3年連続で選ばれていたのだが)。ボストンを行き先として考えたことも一度もなかった。しかし、私の直感は、ハワードという人物には何か惹かれるものがあると告げていた。翌朝、私は彼にメールを送った。数週間後に学内で会う約束をしたが、彼はあえて土曜日の朝7時という時間を指定してきた。私はもともと朝型だったので問題はなかった。だが、それが大学生を評価するための彼のテストの一つだったのだと分かっている。週末の朝7時に喜んで会いに来るかどうかを試していたのだ。

それは一種の採用面接だった。極めて短い面接だ。そして、彼から採用の内定を提示されて終わった。給与の詳細や、詳しい職務記述書(ジョブディスクリプション)などは一切なく、ただ営業職であるということだけが告げられた。それにもかかわらず、私たちはその場で固い握手を交わした。その週末はちょうどデューク大学の「ペアレンツ・ウィークエンド(保護者参観日)」で、私の両親が街に来ていた。アパートに戻ると、父から面接の手応えを聞かれたので、「決めてきたよ」と答えた。それを聞いたときの、父の信じられないといった表情は想像に難くないだろう。父はかつてファイアストンの大学リクルーターを務めていたことがあり、私の就職活動を指導するのを楽しみにしていた。しかし、私の就活は実質的に一発で終わってしまった。

大学卒業後の1999年夏、私はヤンキー・グループでの勤務を開始した。新入りの営業担当者にすぎないものの、CEOから直接スカウトされたという強い自覚を持って働いていた。死に物狂いで働き、成功しなければならないという途方もない義務感を感じていた。しかし、そうした状況の裏には、大学時代からずっと抱き続けていたアイデアがあった。そして、ヤンキー・グループに入社してわずか半年後、私は使命感に突き動かされるような天職への思いと、起業への強い衝動を感じるようになった。計画にあったわけではない。そもそも計画らしいものがあったかどうかも怪しい。しかし、私はその道を進まなければならないと決心した。

ハワードが自らスカウトしてくれた仕事を、わずか半年で辞めると伝えることを考えると、私は心から苦悩した。彼を失望させるのではないか、あるいは「握手の約束」を反故にすることになるのではないかという、計り知れない罪悪感に苛まれた。そのため、重苦しい気持ちと緊張を抱えながら、ある朝彼のオフィスに入り、少し話す時間があるかどうか尋ねた。

私は席に着き、緊張で声を詰まらせながら、およそ次のような言葉を絞り出した。「このような機会をいただき、心から感謝しています。ですが、どうしても挑戦しなければならないことがあるのです」。自分の考えていることを手短に説明した。その後、長くて気まずい沈黙が流れた。最悪の懸念が現実になり、彼がひどく失望するか激怒するだろうと思ったその瞬間、彼は興奮した様子でこう叫んだ。「よし! 素晴らしい! やりなさい!」。私は呆然とし、何と言っていいか分からなかった。出口に向かおうと立ち上がると、彼はこう言った。「資金と優秀な取締役、そしてオフィスが必要になるな……。私が3万ドル(約472万円)を出して取締役に入ろう。川の向こうにオフィスも用意してある」。彼は当時、ヤンキー・グループから川を挟んだ、マサチューセッツ工科大学(MIT)があるケンダル・スクエアに、ヤンキーテック・ベンチャーズというインキュベーターを設立したばかりだった。

「よし! 素晴らしい! やりなさい!」

その日、私は仕事を辞めるつもりでオフィスに入り、新会社、資金、取締役、そしてオフィスを得て出てきた。すべては握手と口約束の上に築かれた。ばかげているように聞こえるだろう。

ハワードはその後、会社が買収されるまでの10年間、私の会社の取締役にとどまってくれた。彼はそれ以来、ずっと私のメンターだ。彼は、ヤンキー・グループやヤンキーテック・ベンチャーズの創業者としてだけでなく、米国最大級のベンチャーキャピタルであるバッテリー・ベンチャーズの共同創業者としても、多方面で伝説的なキャリアを築いてきた。何百人もの起業家に投資して育成してきただけでなく、ダートマス大学のタック経営大学院、MITスローン経営大学院、ブラウン大学、フロリダ・アトランティック大学など、さまざまな大学で数十年にわたり教鞭を執ってきた。私は毎年、彼の講義にゲストスピーカーとして登壇している。

かつての投資先起業家、従業員、教え子たちを含め、ハワードの「スーパーメンターシップ」の恩恵を受けた者は、今や何百人、いや、1000人近くに上るのではないだろうか。ハワードは確かに資金的な投資も行ったが、彼の最大の貢献は、常に人的資本、すなわち彼自身の時間と知恵の投資だった。世界には、ハワードのような存在がもっと必要だ。起業、スタートアップ、そしてビジネスにおける成功全般はすべて、スーパーメンターや、私たちを信じてくれる人々によって支えられている。

私は今、ハワードの「恩送り(ペイ・フォワード)」の遺産を受け継ぐ一人となっている。自らの成功や幸運を振り返る読者の多くも、自分が誰かの恩送りの遺産の一部であることに気づくはずだ。建国250周年という節目において、自国に対する貢献を考える方法は数多くある。経済を活性化させ、人材に投資し、起業を促進するという点において、メンターとして導くことほど重要なことはない。

forbes.com 原文

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