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リーダーシップ

2026.08.05 09:09

組織と国家を蝕む「リーダーシップに関する3つの神話」

Adobe Stock

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「厄介なのは、何も知らないことではない。そうではないと確信していることを、実は知っていると思い込んでいることだ」というマーク・トウェインの有名な言葉がある。誤った確信がもたらす危険性を説いたこの言葉にふさわしく、実際にトウェインがそう語ったという証拠はほとんどない。しかし、その主張の本質は変わらない。私たちの決断やこの世界そのものを最も強く形作っている信念の多くは、欠陥のある見解や魔法のような思考、誤解に基づいているのだ。

これはリーダーシップにおいて特に顕著である。リーダーシップは、組織や制度を通じて世界に大きな影響を与える要因であるにもかかわらず、その人選は、事実ではなく、誤った、あるいは真実からかけ離れた素人理論や暗黙の仮定に基づいて行われることが多い。その結果、組織におけるリーダーの選定や育成、評価の方法が損なわれ、企業だけでなく国家全体の舵取りを誰が担うべきかという選択に悪影響を及ぼしている。

簡単に言えば、私たちが考え、信じていることが、何に注目し、どれほどの努力を注ぎ、フィードバックをどう解釈し、どのリスクを取り、あるいは避けるかを決定づけている。その意味で、信念というものは、客観的な根拠に乏しくても自己充足的な予言になり得る。これこそが、リーダーシップに関する神話が強力な理由である。それらは直感的で、何度も繰り返され、データではなく逸話やストーリーテリングによって補強されるからだ。

危険なのは無知ではなく、見当違いの確信である。リーダーシップに関する誤った前提が「常識」として固まると、それは静かに昇進の決定、後継者計画、育成投資を形作り、組織を最適とは言えない選択に縛り付けてしまう。エビデンスに基づく経営が重視される時代にあって、リーダーシップは民間伝承が科学を凌駕し、認識が現実に勝ってしまう最後の領域の一つであり続けている。

以下に、組織の有効性に深く影響を与え、阻害しているリーダーシップに関する3つの神話を紐解く。

1. カリスマ性の神話

リーダー選考において、実質(中身)を軽視し、外見やスタイルを過大評価する傾向ほど有害なものはない。特に、自信過剰で自己主張が強く、カリスマ性のある人物に惹かれる傾向がそうだ。カリスマ性自体は、良くも悪くもない。能力や誠実さ、判断力と組み合わされば、影響力を増幅させ、価値ある目標に向かって人々を動かすことができる。しかし、それが無能さ、倫理観の欠如、あるいは衝動性と結びつくと、積極的に破壊的な力を持ち、誤った決断を加速させ、リーダーを是正的なフィードバックから遮断してしまう。つまり、リーダーが知的で誠実であれば、カリスマ性があることはポジティブな影響を増幅するため、周囲にとって好ましい。しかし、無能で腐敗している場合、最善のシナリオはそのリーダーにカリスマ性が全くないことだ。そうすれば人々は無視することができ、周囲に悪影響を及ぼさずに済むからである。

より深い問題は、実際の能力を観察するのが難しく、評価に時間がかかり、政治的に測定しにくい環境において、「自信」が便利な代替指標になってしまうことだ。カリスマ性は情報の空白を埋める。面接や提案、議論、重要なプレゼンテーションにおいて、私たちは流暢さを洞察力と、確信を専門知識と、そして自信を能力と混同しがちである。堂々と語り、大胆に簡略化し、信念を投影する者が報われる一方で、慎重に言葉を選び、条件を付け、不確実性を認める者は、たとえ知識が豊富であっても不利な扱いを受ける。

さらに悪いことに、このバイアスは拡大する傾向がある。採用決定、リーダーシップパイプライン、投資家向け説明会、メディア露出、さらには有権者が限られた情報の中で候補者の能力を推し量らなければならない選挙にまで影響を及ぼす。こうした文脈において、カリスマ性が選ばれるのは、それが業績を予測するからではなく、認知度やリーダーらしさの印象を予測するからだ。その結果、実際に優れたリーダーシップを発揮する人よりも、リーダーのように見える人が体系的に有利になってしまう。皮肉なことに、カリスマ性は、それが最も不当であるときにこそ最も説得力を持つ。能力の有無が明らかになる頃には、中身のない自信を実質と見誤ったことによる代償はすでに支払われている。

2. 直感の神話

自信やカリスマ性をリーダーシップの信頼できるシグナルとみなす傾向だけでも十分に深刻だが、私たちはさらに「直感」への揺るぎない信頼によって問題をこじらせている。カリスマ性や自信過剰、スタイルがリーダーシップの代表的な目印だとすれば、直感はそれを見つけ出すための最も一般的な手段である。私たちは自らの直感を信じ、誰に「存在感」があるか、誰が「リーダーらしい」か、誰に「ついていきたい」かを判断する。しかし、そうした印象が具体的に何に基づいているのかを立ち止まって問い直すことは滅多にない。

しかし、数十年にわたる行動科学の研究は、直感が最も信頼できるのは、フィードバックが即座に得られ、環境が安定しており、パターンが繰り返される領域に限られることを示している。リーダーの選考はその真逆だ。結果が出るまでに時間がかかり、文脈による影響が大きく、初期の判断が正しかったかどうかの明確なフィードバックはほとんど得られない。このような条件下では、直感は洞察をもたらすのではなく、バイアスを忠実に再現するにすぎない。有効性よりも親しみやすさを、能力よりも自信を、判断力よりも社会的な世渡りの上手さを優先してしまうのだ。

効果的なリーダーシップ評価は、自らの直感を称賛することではなく、まず疑うことから始めなければならない。これは、意思決定をデータや構造化された評価、観察可能な成果に立脚させることを意味し、リーダーシップの業績をどのように定義し測定するかという点から始めるべきだ。明確な基準がなければ直感が入り込み、主観的な印象が専門知識を装うことになる。

これは、AIの進歩を含む技術的な解決策が万能薬にならない理由でもある。偏った過去の実績データや主観的な評価に基づいてアルゴリズムを訓練すれば、直感を大規模に自動化するだけに終わる。その結果、よりスマートなリーダー選考が実現するのではなく、誰が人気があるか、誰が上司にうまく取り入るか、誰が最も政治的であるかを、より速く予測するだけになる。つまり、人間の直感を合成された直感に置き換え、まやかしを大規模に自動化しているにすぎない。

不都合な真実に、直感が最も説得力を持つのは、その結果に対する説明責任が最も薄いときだという点がある。組織がリーダーシップを、個人の魅力ではなく測定可能なインパクトによって定義しない限り、人間の判断も機械学習も、自信を能力と勘違いし続けるだろう。

3. 過去の実績という神話

「過去の成功こそが、将来のリーダーシップの有効性を予測する最良の指標である」という信念ほど、深く根付いているリーダーシップの前提は他にない。昇進の決定において、過去の優れた業績は日常的に報われるが、その業績が根本的に異なる役割で達成されたものである場合でも同様だ。この論理は、ローレンス・J・ピーターが提唱した有名な「ピーターの法則」を裏付けている。すなわち、人々は無能化するレベルまで昇進する。それは才能がないからではなく、彼らを成功に導いたスキルが、新しい役割では通用しなくなるからである。

問題は、リーダーへの昇進が、ほぼ常に非連続的な変化を伴う点にある。一介の担当者からマネージャーへ、あるいは技術の専門家から組織全体のリーダーへの移行は、タスクの実行からピープルマネジメントへ、専門深化から視野の拡大へ、そして個人の業績から集団の成果への転換を要求する。しかし、職務の複雑さや抽象度が増すにつれて、異なる職務間における業績の相関関係は急激に低下することが、一貫したエビデンスによって示されている。ある職務で成功を約束した要因が、次の職務では無関係、あるいは逆効果にさえなることが多いのだ。

さらに悪いことに、過去の実績がリーダーシップの才能をありのままに示すシグナルであることは滅多にない。前述の神話と同様、実績は往々にして政治や目立ちやすさ、見せ方に汚染されている。自信に満ち、カリスマ性があり、直感的に魅力的な人物は、客観的な貢献度に関係なく、高い評価を受け、挑戦的な機会を与えられ、強力な後援を得る傾向がある。時間が経つにつれて、これは自己強固的なループを生み出す。成功しているように見える人々はさらに有利な条件を蓄積し、書類上、いっそう有能であるかのように見えていく。

メタ分析を用いた研究もこの懐疑論を支持している。過去の職務パフォーマンスと将来のリーダーシップの有効性との間には、特に職務の範囲や文脈が異なる場合、わずかな相関しか認められない。対照的に、認知能力や学習・自己調整に関連するパーソナリティ特性の構造化アセスメント、およびリーダーシップポテンシャルの測定は、将来の成功を予測する上で、単なる過去の実績よりも優れた成果を収める傾向がある。要するに、その人が「何をしてきたか」は、新しい要求の下で「何を成し遂げそうか」を示すシグナルとしては弱いことが多い。

皮肉なことに、組織は不確実性が最も高いときにこそ、過去の実績に頼ろうとする。曖昧なリーダー選考に直面した意思決定者は、見慣れた指標や安心感を与える実績に逃げ込み、後ろ向きのエビデンスを前向きの洞察と勘違いしてしまう。その結果、誤った理由で組織的に人々を昇進させ、彼らが最初から成功するように設計されていない職務で苦戦すると、その当人を非難するシステムが出来上がる。過去の実績は重要だが、ポテンシャルの代替としては不十分であり、未来が過去と異なる場合にはほとんど意味をなさない。担当者からマネージャーやリーダーの職務へ移行する際には、まさにそのような未来の変化が起こる。組織がこれら二つを混同すると、リーダーの選考を誤るだけでなく、構造的にリーダーシップの失敗を作り出すことになる。

より広い視点で見れば、過去の実績という神話は組織を過去に縛り付ける。定義上、それは昨日の条件下で、昨日のマニュアルを使い、昨日の文脈で成功した人々を報いるものだからだ。リーダー選考は、未来への予測ではなく、クローニング(複製)の作業と化す。次に何が起こるかを乗り越えられる人物を探すのではなく、かつて機能したモデルの模倣者を探すことになるのだ。しかし、リーダーシップはコピー&ペーストではない。ある環境で活躍したからといって、技術、市場、期待、および権力の力学が変化したときにどのようにパフォーマンスを発揮するかは、ほとんどわからない。

この後ろ向きのバイアスは、破壊的な変化が起きている時代において特に危険である。まさに組織が、学び、適応し、自らを再定義できるリーダーを必要としている局面だ。しかし、多くの企業は、ポテンシャルや好奇心、成長力を評価する代わりに、見慣れた履歴書、わかりやすいキャリアパス、安心感を与える過去の実績に頼ってしまう。その結果、断絶が必要な局面で、過去の連続性が選択されることになる。

オスカー・ワイルドはかつて、「女性はそのありのままの姿で愛され、男性はこれからなるであろう姿で愛される」と皮肉った。残念ながら、組織はリーダーに対してその逆を行う。彼らが「何になれるか」ではなく、これまで「何であったか」によって昇進させるのだ。不確実性と変化に定義される世界において、リーダーシップとは本質的に未来に関するものである。そして未来が仕事そのものであるとき、過去の実績よりもポテンシャルが重要な意味を持つ。

マーク・トウェインの(偽の)言葉に立ち返る価値はある。組織を苦境に陥れるのは、リーダーシップに関する知識の不足ではなく、正しいと感じられ、滅多に疑われることのない考えに対する、見当違いの確信である。カリスマ性、直感、過去の実績はすべて、複雑で不確実な世界において安心感を与えるショートカット(近道)を提供する。曖昧さを減らし、意思決定を速め、もっともらしいストーリーを与えてくれる。そして同時に、誰が権力を握るかに対して、体系的なバイアスをかけ続ける。

これらの神話を総合すると、なぜリーダーシップの失敗がこれほど永続的で、予測可能なのかが理解できる。組織は、リーダーらしく見え、感覚的に正しく、過去に成功した人々を報い続ける。たとえそれらのシグナルが、新たなプレッシャーやさらなる複雑さ、あるいは倫理的な試練の下でどのようにパフォーマンスを発揮するかをほとんど物語っていなくても、である。その結果、最適とは言えないリーダーシップが生まれるだけでなく、誤った特性を持つ人々を繰り返し選び出し、いざ結果が出なかったときには驚いて見せたり、不運などのせいにして他者を責めたりするシステムが稼働し続ける。

代替案は、過激なものでも不可解なものでもない。民間伝承を証拠(エビデンス)に、直感をデータに、そして後ろ向きの代替指標を未来志向のポテンシャル指標に置き換えることだ。リーダーシップとは、その人がこれまで誰であったか、あるいは今日どれほど自信たっぷりにその役割を果たしているかではない。状況が変化したときに、誰が学び、適応し、賢明な意思決定を下せるか。そして、単に変化に適応するだけでなく、主体的に変化を形成し創造できるか、すなわち、前向きな変化の真の推進者となれるかどうかなのだ。

結局のところ、リーダーシップにおける最大のリスクは、一度の過ちを犯すことではない。証拠が否定しているにもかかわらず、正しいと感じられることを信じ続けること、あるいは証拠や現実——考えないようにしたところで消え去るわけではないもの——から目を背け続けることなのである。

forbes.com 原文

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