数年前、私がクリエイターであり事業主にもなると誰かに言われたなら、事業主の部分については威厳あるうなずきで受け入れただろう。一方、クリエイターの部分については、私が軽度ながら意味のある頭部外傷を負った証拠として扱ったに違いない。
それでも、私はそこにいた。
ヴァンヴで。かつてマルゴ王妃の別荘だった場所で。VivaTech Parisの開幕を待ちながら、私のMacBookはひっそりと、まるで私設情報機関のように振る舞っていた。
外では、フランスが腹立たしいほど見事にフランスらしさを発揮していた。バラ園。クロワッサン。英国なら人事部に通報されそうな時間帯に現れるワイン。古い石壁。陽光。リネンを買い、チーズについて一家言持とうかと一瞬考えさせるような通り。
だが室内に、ロマンスはなかった。
そこにいたのはエージェントだった。
正確には、AIエージェントだ。あるエージェントは出展企業を調査し、別のエージェントは創業者のプロフィールを作成していた。さらに別のエージェントは、私が質問すべき内容や注目すべき企業、そして以前から知っていたふりをすべき人々をまとめていた。数分おきに、Telegram(テレグラム)が通知音を鳴らす。
名前。企業名。有用な切り口。未来からの小さな電子的ささやき。
古きフランスに身を置きながら、見えない機械たちが新しいフランスに備えて私を準備しているというのは、奇妙な感覚だった。片手は歴史の中に、もう片手はキーボードの上にある。背後にはマルゴ王妃。目の前には、咳払いをする人工知能。
少なくとも、エミリー、パリへ行くではなかった。
あるいは、そうだったのかもしれない。ただし、ベレー帽は少なく、ロボットは多く、ブランディングの下にはるかに大きな実存的危機が潜んでいた。
VivaTechは巨大だった。複数階にわたり、スタートアップ、グローバル企業、ロボティクス、AIプラットフォーム、ホログラム、デジタルヒューマン、3Dプリントされた顔、投資家、創業者、政策立案者、そしてジェフ・ベゾスやモディ首相といった人物による基調講演が並んでいた。驚くべき規模だった。私は常にカンファレンスに出向いているが、VivaTechは本当に圧巻だった。
最初、誰もが口にするのは「AIがいたるところにある」ということだった。
だがそれは今や、パリにはパンがあると言うのと同じくらい洞察に欠ける。
もちろんAIはいたるところにあった。AIはピッチ資料、顧客サービスツール、人事プラットフォーム、マーケティング資料、受信箱、会議メモに入り込み、おそらくどこかの冷蔵庫ではオーツミルクに「ピボット(路線変更)が必要だ」と告げているのだろう。今ではどの企業もAI搭載をうたっているように見える。実際にそうである企業もある。明らかに普通の製品の横にチャットボットを貼り付け、調達担当者がふらりと近づいてくるまで「イノベーション」と叫んでいるだけの企業もある。
だが本質はもっと大きかった。
AIはもはや製品のようには感じられなかった。天候のように感じられた。
空気中にあるもの。理解しているかどうかにかかわらず、誰もが吸い込んでいるものだ。
これが重要なのは、企業がいまだにAIをソフトウェアのように扱っているからである。ライセンスを購入する。研修メールを送る。ウェビナーを開く。変革を宣言する。そして月々の請求額以外は何も変わっていないことに驚いてみせるのだ。
しかしAIはインフラになりつつある。仕事、調査、意思決定、顧客体験、業務運営、創造性、医療、金融、物流、そして権力そのものの下にあるレイヤーになりつつある。
つまり、問いはもはや「どのAIツールを使うべきか」ではない。よりよい問いは「当社組織のどの部分が、いまや自社で所有していない知能に依存しているのか」である。
これは、ブースから手を振るロボットほど華やかではない。だが、はるかに重要だ。
なぜなら依存は、よい照明と趣味のよいロゴで提示されると、進歩とまったく同じに見えるからである。
2つ目の教訓は、私が建物に入る前にすでに訪れていた。
私のAIエージェントは、すでに私の準備の仕方を変えていた。彼らは私に取って代わったわけではない。私を拡張したのだ。喧騒が始まる前に、その騒音の中を進むための文脈、質問、パターン、地図を与えてくれた。
だからこそ、「AIは仕事を奪うのか」という議論はあまりに小さく感じられる。時には、そうなるだろう。
だが、AIが仕事を代替する前に、AIは仕事を再設計する。リサーチが変わり、会議が変わり、営業が変わる。文章が変わり、戦略が変わり、準備が変わる。考えることと実行することの距離が縮まる。突然、好奇心と適切なシステムを持つ1人の人間が、小さな調査部門をポケットに入れているかのような状態で、大規模イベントに足を踏み入れられるようになる。
このことは企業を不安にさせるはずだ。
従業員がAIを使うからではない。従業員の一部が、会社よりもうまくAIを使う可能性があるからだ。
ほとんどの組織にAIの問題があるわけではない。行動の問題がある。判断の問題がある。「Copilot(コパイロット)を購入したのに、なぜか文化は以前とまったく同じ退屈なままだ」という問題である。
企業を変革するのはツールではなく、行動である。
そして、最も不都合な教訓がある。センスはいまなお重要だ。おそらく、これまで以上に重要である。
誰もがコンテンツを生成し、プロトタイプを作り、画像を制作し、文書を要約し、ワークフローを自動化し、洗練された見かけの無意味なものを産業規模の速度で生み出せるようになると、生産すること自体は印象的ではなくなる。
判断こそが価値になる。
VivaTechでは、しばらくすると「AI搭載」という言葉がぼやけ始めた。
AI駆動。AI対応。AI強化。小さな帽子をかぶったAI。
最終的に問われるのは、誰がAIを持っているかではない。誰もがAIを持っている。問われるのは、誰にセンスがあるかだ。何を作る価値があるのかを誰が知っているのか。何を自動化すべきではないのかを誰が知っているのか。実質と見せ物を誰が見分けられるのか。よりよい問いを誰が投げかけられるのか。
AIは数秒で100のアイデアを与えてくれる。しかし、そのうちどれに人生を費やす価値があるのかは教えてくれない。
それは依然として、私たちの問題である。
そして、おそらくそれこそが本当の実存的危機なのだ。機械が知能を持つようになっていることではない。機械の知能によって、そもそも私たちがいかに思慮深くなかったかが明らかになるかもしれないことだ。
AIは凡庸な思考を速くする。曖昧な戦略を大声にする。悪い判断を拡張可能にする。センスのない企業は、モデルにアクセスできるからといって先見性ある企業になるわけではない。効率よく忘れ去られる存在になるだけだ。
VivaTechが私に本当に示したのは、そのことだった。
AIは目新しさからインフラへ移行している。ツールから行動へ。アクセスから判断へ。
パリは何世紀にもわたり、過去を抗しがたい魅力に見せてきた。VivaTechでは、未来にも同じことをしようとしていた。
エミリーにはロマンスがあった。私にはロボット、創業者、そしてAIの実存的危機があった。
だが未来には、おそらくその両方が必要なのだ。機械の速度と、何に向かって加速する価値があるのかを見極める人間の感覚である。
一方の世界は石で築かれている。もう一方はシリコンで築かれている。
成功するには、その両方を理解できるだけの賢さが必要である。



