━━当初、単結晶を作るところから、どんどん幅が広がっていったわけですが、それは創業時からイメージされていたんですか。
古川 していないですね。そんなにはっきりとビジネスモデルを持って始めたわけではなくて。たまたま山梨県でいろいろな方にお世話になったのですが、東京エレクトロンの前副社長の風間さんという方が、よく飲みに連れて行ってくださいました。
その方がいつも、「結晶だけやっていたんじゃ大きくならないよ、レーザや装置をやりなさい」と、いつもおっしゃっていて。それがずっと頭に残っていたんです。
ソニーがレーザ事業をやめることになった際に、その事業を買おうと動いたのも、今振り返るとその言葉の影響が大きかったと思います。
私は結晶には興味があったのですが、当時はレーザにそのものにはそれほど興味がなかったんですよ。
ただ、結果として結晶だけではなくデバイスやレーザまで手掛けるようになったことで、事業の可能性は大きく広がりました。
創業当時から今の姿を描いていたわけではありませんが、結果として結晶技術を核にしながら川下へと事業領域を広げてきたことが、現在の成長につながっているのだと思います。
━━最後に、5年後にオキサイドがブレイクスルー企業として振り返られるとしたら、その時、何を実現していたらいいですか、という質問についてです。
古川 世の中にない結晶や光技術を生み出し、それを実際の産業に役立てることを目指してきました。「オキサイドの技術がなければ実現できなかった」と言われるようなことができれば、それが理想ですね。
単に売上や利益が大きく伸びたということではなく、一つの製品や一つの市場で成功するだけでなく、新しい結晶や光技術を生み出し続け、それを事業化し続ける仕組みを確立したいと考えています。創業以来培ってきた研究開発力を次の世代につなぎ、継続的に新しい価値を生み出せる会社になっていることが重要です。
当社のビジョンは「豊かな未来を光の技術で実現する」です。5年後に振り返ったとき、オキサイドが量子コンピュータやAIデータセンターといった次世代社会インフラの発展に確かな貢献を果たし、世界中のお客様から必要とされる企業になっていれば、それが私にとってのブレイクスルーだと思います。
そして何より、プレハブ小屋から始まった会社が、世界に必要とされる光技術を生み出し続けている。そんな会社になっていたら、創業者として本当にうれしいですね。
インタビューを終えて
模倣困難性が極めて高い「単結晶」の製造技術もさることながら、ブレイクスルーの要因は実はここにあるのではないかと思ったのは、経営判断について会議の開き方だった。イスラエルの子会社をどうするか。この難題に対して、「よし、今からやるか」と、経営陣が顔を突き合わせて、会議をスタートさせることが多かったという。社内はフラットで敷居が低く、稟議書があるわけでもない。さまざまなバックグラウンドをもった経営陣が、スピーディーに議論を始める。
稟議を重ねてから動くPDCA型の経営ではなく、不確実な状況の中でまず経営陣が顔を合わせ、議論しながら判断していく「OODAループ」と言われるものに近い。Observe(観察)→Orient(状況判断)→Decide(決断)→Act(行動)を高速に繰り返すもので、PDCAが計画重視でサイクルが長いのに対し、OODAは不確実性の高い状況で「まず動きながら判断していく」意思決定文化と言える。世界がどんな状況になっても、この機敏さこそが、強い企業を築き上げているのではないだろうか。


