習慣2:些細なことを意図的に頭から追い出す
2つ目の習慣は、外から見るとそれほど印象的ではないかもしれない。すべての予定が書き込まれたカレンダーやカウンターの上に置かれたメモ、20分後に行う作業のために設定されたアラームなどだ。これは認知的オフロード(認知負荷の軽減)と呼ばれる。学術誌『Trends in Cognitive Sciences』に2016年に掲載されたレビューでは、物理的またはデジタルのツールを使ってタスクがもたらす精神的負担を減らすことだと説明されている。有能な人はためらうことなくこれを積極的に実践する傾向がある。
認知的オフロードに関する研究はそこに1つの妥協があることを示している。情報が外部に保存されると、頭の中には残りにくくなる傾向がある。人は情報そのものではなく、どこに行けば見つかるかを覚えるようになる。これを能力の低下ととらえれば憂慮すべきことと感じられる。戦略としてとらえれば、それはリソースの再配分だ。ワーキングメモリの容量は驚くほど限られている。買い物リストや歯科の予約といったことでワーキングメモリを使わないようにすれば、複数の事柄を同時に頭に入れておく必要がある問題に取り組むための余地が生まれる。
この妥協には代償が伴う。その境界線がどこにあるかについては研究結果も実にまちまちだ。頭の中に一度も取り込まれなかったことは決して習得されず、いつまでも外部に任せきりにしたスキルは向上しにくい。重要な違いは、オフロードするかどうかではなく、何をオフロードするかだ。事務的な作業なのか、それとも思考そのものをオフロードするのかということだ。
この2つの習慣に共通するもの
どちらの習慣も、心は何を記憶に留めるべきかについて1つの方針を適用している。それは言葉そのものより要点を、目先のタスクより本質的な課題を優先するというものだ。すべての詳細を等しく忠実に記憶し続ける脳は、必ずしも優れた思考につながるわけではない。驚異的な記憶力を持っていたソロモン・シェレシェフスキーに関するアレクサンドル・ルリヤによる有名な事例研究では、シェレシェフスキーは自分が抱える膨大な細部に圧倒され、異なる状況から共通点を見いだすことができなかったとしている。思考の素材はすべてあったが、それを編集することができなかったのだ。
これは逆方向の見方を示している。些細な事柄を覚えていること自体は優れた知性を示す証拠にはならない。また、会議の内容を説明できないことは会議室の場所を覚えているからといって正当化されるわけではない。
ただし、これらすべてよりも重要な注意点が1つある。物忘れが新たに生じている、悪化している、日常生活に支障をきたしているのであれば、それは性格上の特性ではなく医学的な問題であり、知能に関する記事の範ちゅうではなく医師に相談すべき事だ。
そうした場合を除けば、自分が注意散漫だという感覚はたいてい誤って解釈されている。知性とは決して記憶容量の問題ではない。重要なのはフィルターの質であり、優れたフィルターはその設計上、ほとんどのものを排除してしまう。


