経済・社会

2026.07.30 08:29

空軍力を「想定外の任務」で評価する過ち

Adobe Stock

Adobe Stock

悪天候と同じくらい確実に、数カ月おきにどこかのコメンテーターが「空爆だけで戦争に勝つことはできない」と発表する。まるで、それが深遠な戦略的啓示であるかのように。最近の例を挙げれば、「イランにおける米国の重大な過ち」があり、そこでは米国の軍事作戦の有効性を評価するために、この聞き古された主張が使われている。また別の例として、「空軍力は最大の試練に失敗したばかりだ:イラン戦争が証明した戦争の勝ち方」があり、そこでは「地上戦のみが勝敗を決する」と断言している。さらに別の「空軍力は丘を占領できない:空軍力の永続的な限界」では、「勝利」を占領のみを意味するほど極端に狭く定義している。

これらの議論はいずれも、誤った前提から出発し、間違った問いを立てている。

現代の航空戦力に関わる真摯な専門家で、爆撃だけであらゆる軍事的・政治的問題を解決できると主張する者はいない。また、有能な戦略家で、陸・海・空・宇宙・サイバーの能力を相互に独立して単独で用いるべきだと論じる者もいない。現代戦は、どの軍種が優越を主張できるかを決める競争ではない。明確に定義された政治目標を達成するために最も適した軍事能力を、規律をもって適用することなのである。

有意義な問いとは、航空機が考え得るあらゆる形態の勝利を単独でもたらすことができるかどうかではない。軍事および政治の指導者による選択が、政治指導者の定義した目的に適しているかどうかである。この区別が重要なのは、目的が異なれば、求められる軍事的貢献も根本的に異なるからだ。

イラン政府を交代させ、その国に対する責任を引き受けることを意図した作戦であれば、大規模な地上部隊と、はるかに広範な政治プロジェクトが必要になる。航空戦力はイランを占領できず、その都市を治安維持できず、その住民を統治することもできない。海軍力、サイバー能力、宇宙能力も同様である。地上侵攻が成功したとしても、政治指導者が侵攻後の統治と秩序に関する信頼できる計画を持っていなければ、満足のいく結果は保証されない。

米国は2003年のバグダッド陥落後、敵対政府を排除しただけでは、指導者層が求めた安定した政治的成果が得られないという教訓を痛烈に学んだ。このケースでは、陸軍と海兵隊の地上部隊が侵攻したものの、彼らの存在が誰の「勝利」かを決定づけることはできなかった。また、航空宇宙戦力の行使なしに達成された目的を、彼らが果たすこともできなかった。

目的が危険な能力の低減、軍事作戦の妨害、パートナーの防護、敵対者の行動の自由の否定、交渉上のレバレッジの創出である場合、航空宇宙部隊が主要な軍事的負担を担うことになる。それは国家目的を支えるための、軍事力の目的にかなった運用である。

スローガンではなく「目的」が成否を決める

近年のこうした論説は、あらゆる軍事目的を1つの粗雑な基準に押し込めている。すなわち「敵の政府は降伏したか、崩壊したか、あるいは消滅したか」である。そうでなければ、彼らは軍事作戦が失敗したとみなすようだ。

その基準に従えば、完全な征服に至らない事実上すべての武力行使は、定義上、不成功に終わることになる。このような評価尺度は、国家が限定的な目的、すなわち、抑止、拒否、能力減殺、混乱、強要、封じ込め、保護、あるいは時間稼ぎや外交的優位の獲得のために、しばしば軍事力を行使するという事実を無視している。

これらは、劣った目的でも重要度の低い目的でもない。むしろ、選択可能な政治的に最も現実的で、戦略的に責任ある選択肢であることが多い。

地上部隊だけが戦争に「勝てる」という主張は、前提の中に結論を組み込んでいる。勝利を領土の奪取や政府の転覆だけと定義すれば、地上部隊だけがそれを実現できる戦力であるように必然的に見える。しかし、成功を占領と定義したところで、占領が適切な政治目的であることの証明にはならない。

指導者が、領土の奪取と支配、住民の保護、近接戦闘における敵部隊の撃破、あるいは他国の占領と統治を必要な行動方針だと判断した場合、陸上部隊は不可欠である。これらが不可欠な軍事機能であり続けるとしても、すべての軍事作戦の目的ではない。

任務が戦力を決めるべきであり、その逆であってはならない。

歴史からの教訓

大規模な地上部隊の配備が戦略的成功を保証するものではないことは、歴史が明確に示している。陸上戦力至上主義の支持者は、戦争は最終的に「地上で……泥の中で」勝つというT・R・フェーレンバッハの主張を頻繁に引用する。しかし、フェーレンバッハがその教訓を得たのは朝鮮戦争からだった。地上部隊が決定的な政治的成果を収められなかったことを考えれば、これは特に皮肉な例である。戦闘終結から70年以上が経過した今も、1953年の休戦協定が平和条約に至らなかったため、この紛争は公式には未解決のままだ。朝鮮半島が2つの敵対的な国家に分裂し続けている事実は、陸上戦力の限界を浮き彫りにしている。

軍隊は領土を奪取し防衛し、甚大な犠牲を吸収し、何年にもわたり戦闘を継続し得るが、持続可能な政治的解決をもたらすとは限らない。朝鮮戦争の教訓は、地上戦における粘り強さや犠牲を、決定的な戦略的勝利と同一視することへの警鐘であるべきだ。この警告は、ベトナム、アフガニスタン、イラクにおける大規模な地上作戦がもたらした戦略的に不利な結果と併せて考えると、さらに説得力を増す。結論は、地上部隊に価値がないということではない。混乱した政治目的を軍事能力が解決することはできず、不健全な成功理論を補うこともできないということだ。

歴史はまた、航空宇宙戦力が、その能力に適した目的を割り当てられた場合、決定的な戦略的効果を生み出し得ることも示している。

「砂漠の嵐」作戦において、地上作戦が短期間で済んだのは、イラクの軍事体制全体を弱体化させた航空作戦があったからこそだ。多国籍軍の地上部隊が攻撃開始線を越える前に、すでに航空作戦によってイラクの指揮統制は粉砕され、通信は遮断され、増援と補給は妨害され、防空網は解体され、戦域全体のイラク地上部隊の結束力と戦闘能力は失われていた。

クウェート解放を完了するために、多国籍軍の地上部隊が極めて重要であったことは間違いない。しかし彼らが攻撃したのは、組織的な防御を構築できないほどに叩きのめされた敵であった。

アライド・フォース」作戦もまた、示唆に富む例だ。コソボにおいて、NATOによる持続的な圧力が最終的にベオグラードを説得し、米国主導によるセルビアへの侵攻なしに、部隊を撤退させ同盟側の条件を受け入れさせた。この結果は、軍事的圧力、外交的孤立、同盟国の結束、インテリジェンス支援、経済的困窮、そしてさらなるエスカレーションへの見通しが相互に作用して生まれたものだ。適用された軍事的手段の中で、作戦の負担の大半を担ったのは航空宇宙戦力であった。

現地のコソボ解放軍の部隊は、圧力や情報、セルビア側の作戦を困難にする地上での存在感などで貢献したが、彼らがユーゴスラビア軍を破ったわけでも、スロボダン・ミロシェヴィッチを打倒したわけでもない。米国の機甲部隊がベオグラードを奪取したわけでもなく、NATOの掲げた目的を達成するためにセルビアを占領する必要もなかった。

ここでの教訓は、航空戦力が魔法のようなものだとか、常に決定的だということではない。軍事的有効性は、割り当てられた目的との関係においてのみ評価できるということだ。

航空戦力とは「爆撃」にとどまらない

航空宇宙戦力をめぐる議論は、20世紀前半に開発された大量爆撃キャンペーンや都市攻撃、理論といった古いイメージに囚われがちである。さらに悪いことに、航空戦力を単に空からの大砲としか見なさない地上戦の用語である「火力(ファイアーズ)」と言い換えられることもある。

現代の航空宇宙戦力は、そうした戯画化された姿とは似ても似つかない。

現代の航空宇宙作戦は、ステルス機(低観測性航空機)、精密誘導兵器、情報・監視、電子攻撃、機動力、空中給油、宇宙支援、サイバー能力、敵防空網の制圧、防勢対空作戦、地球規模攻撃、そして戦域全体の指揮統制を組み合わせたものである。

最も効果的に発揮されれば、これらの能力は特定の効果を生み出すことで、敵が組織的なシステムとして機能する能力を削ぐことができる。すなわち、通信の無効化、ロジスティクスの妨害、情報アクセスの遮断、防御ネットワークの制圧、重要軍事能力の破壊、部隊の孤立化、そして敵が戦略的目標を達成することの阻止である。

成功は、投下された兵器の数、命中した照準点の数、あるいは加えられた「火力」の集計ではなく、敵対者の行動と能力に強いた変化によって評価されるべきである。

その作戦は敵が特定の能力を行使することを阻止したか。米軍や同盟国に対する脅威を軽減したか。危険な兵器開発プログラムを遅らせるか、あるいは破壊したか。敵の行動の自由を制限したか。敵の目算を狂わせたか。許容可能なコストで政治指導者にさらなる選択肢を提供したか。

真剣な分析が問うべきなのは、こうした問いである。

目的と手段の合致

イランをめぐる議論は、なぜ明確に定義された目的が不可欠であるかを示している。

もし米国の指導者たちが、空爆だけでイラン政府を転覆し、同国を占領し、新しい政治体制を樹立すると約束したならば、批判されて当然だろう。そのような戦略は、政治的目的と軍事的手段のミスマッチを示すことになるからだ。

しかし、与えられた任務がイランの核開発、ミサイル攻撃、および地域的な高圧的行動の能力を減殺することである場合、政府が存続し続けていることをもって作戦の失敗とする評価は不当である。クォーターバックの評価を、相手にタックルする能力で決める者はいない。あるいは、ゴールキーパーをゴールを決める能力で評価する者もいない。それは単に彼らの仕事ではないからだ。

航空作戦は、有効とみなされるために、敵対者とのあらゆる政治的対立を解決する必要はない。脅威を生み出した国家を消滅させなくても、その脅威を低減することはできる。能力を保有していた政府のイデオロギーを変えることなく、その能力を破壊することはできる。外交が成功することを保証せずとも、外交に有利な条件をつくることはできる。

武力は常に政治目的に奉仕するものであり、その目的を自ら定義することはできない。

したがって、米国はイランにおいて何を達成しようとしているのかを決めなければならない。目的は核兵器の取得を阻止することなのか。弾道ミサイル能力を排除することなのか。航行の自由を守ることなのか。地域の同盟国を防衛することなのか。将来の攻撃を抑止することなのか。体制を弱体化させることなのか。それとも転覆することなのか。

それぞれの目的には、異なる要件、リスク、時間軸、成功の尺度が伴う。それらを「戦争に勝つ」という未定義のカテゴリーの下で一括りにすることは、戦略的選択を明確にするどころか曖昧にする。

イランをめぐる議論は、最終的には、国家の指導者たちが求める結果と、それを獲得するために必要な手段、リスク、および作戦設計を結びつけられるかどうかにかかっている。

統合運用は「均等な関与」を求めない

航空戦力は「単独で戦争に勝てない」という理由で批判する論説は、その役割を歪めるだけでなく、統合戦闘(統合運用)の意味に対する根本的な誤解を示している。

統合作戦は、各軍種間の人為的な対称性や、各構成部隊への均等な責任分担を必要としない。また、その取り組みが統合運用であることを証明するためだけに、陸上部隊がすべての作戦で大詰めを務める必要もない。

統合性(ジョイントネス)とは、任務に最も適した能力を、適切な量、適切な場所、そして適切な順序で運用することを意味する。

時には地上部隊が主役となる。時には海軍力がそうなる。他の状況では、航空戦力が主要な負担を担う。サイバーと宇宙の能力は、そのすべてにおいて中核となり得る。最適な組み合わせは、敵対者、地理、政治目的、利用可能な戦力、許容可能なリスク、望ましい最終状態によって変わる。

統合作戦の目的は、軍種の権益を守ることではない。戦略的有効性を最大化することである。

適切な戦力パッケージとは、最小の曝露、犠牲、エスカレーションリスクで必要な結果をもたらすものである。

より重大な戦略的危険

「爆撃だけで戦争に勝つことはできない」と繰り返し宣言することの問題は、その表現が不正確であることだけにとどまらない。その表現が、真剣な検討を既成の結論に置き換えてしまうことにある。

それはまた、「地上部隊による威嚇や投入は必然的に戦略的成功をもたらす」という対抗神話を助長する。イラクとアフガニスタンにおける近年の米国の経験は、その信仰を払拭したはずである。

戦術的な成果を政治的成功に変える生得的な能力を持つ軍事領域など存在しない。航空戦力は敵対的な住民を統治できない。海軍力は首都を占領できない。陸上戦力は政治的正統性を保証できない。宇宙やサイバーの作戦だけで、すべての敵を屈服させることはできない。完全に最適化され統合された統合軍でさえ、一貫性のない戦略を救うことはできないのだ。

より生産的な議論は、求められる政治的結果、その結果の実現可能性、および不釣り合いなコストをかけずにそれを確保する可能性が最も高い外交、経済、情報、および軍事手段の組み合わせについてである。

軍事作戦の設計を規定すべきなのは、軍種の好みではなく、政治目的である。

forbes.com 原文

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事