中国の習近平は2012年に共産党の最高指導者となり、同国史上最も好調な経済を引き継いだ。当時の中国は、1人当たりの所得、識字率、教育水準、海外渡航者数が、いずれも過去最高水準に達していた。以降14年間、習はこの基盤を土台として着実に国を発展させるべく慎重に振る舞い、この歴史的な成果を危うくするような政策は避けてきた。
一方、ロシアのウラジーミル・プーチンは2000年、ソビエト連邦崩壊に伴う1990年代の深刻な経済混乱から脱却し、急速な回復期に入ろうとしていた時期に大統領に就任した。だが、プーチンは習とは大きく異なる道を歩んだ。ウクライナ侵攻では100万人を超える犠牲者を出し、ロシアの国際的地位に深刻な打撃を与え、世界市場への参加や外国投資、他国との協調への道を断ち切った。
冷戦期の大半において、中国とロシアを同一視することには、ある種の論理的な根拠があった。他の共産主義国と同様、両国には米国との戦略的対立や国内での弾圧、経済運営の失敗といった共通の特徴があった。ソ連、東ドイツ、中国、キューバといった国々はすべてこうした特徴を共有していたため、米国はこれらをまとめて「共産圏」と分類することができた。
巧妙な手段を駆使する中国と強硬な姿勢を崩さないロシア
1970年代初頭、米国が中国に接近したことで、それまでの均質性は崩壊した。毛沢東とリチャード・ニクソンは、ソ連が互いにとって大きな脅威であるとの認識で一致した。もはや統一された共産圏は存在せず、米国は中国と独自の関係を築く機会を得た。この関係はその後50年間にわたり、多くの紆余(うよ)曲折を経てきた。1970年代後半になると、鄧小平が中国を市場経済へと導き、その後約50年にわたる経済成長の幕を開けたことで、残っていた中ソ間の類似点は再び変化することとなった。
今日の中国の留学や海外旅行に対する開放姿勢や、急速な技術革新など、ロシアとの他の相違点も顕著になっている。こうした国内における明確な道筋の違いが、両国の外交政策に明らかに異なる影響を与えている。
中国とロシアの主な共通点は、両国とも西側主導の国際体制への参加を望んでいないことだ。実際、中国もロシアも現在の国際秩序に不信感を抱いており、自国の近隣地域で支配的な地位を確保しようとしている。ロシアはウクライナを支配下に置き、欧州を窮地に追い込もうとしている一方、中国は東アジアでの覇権を狙っているが、両者の手法は大きく異なっている。



