「あんなこと、言うべきではなかった」
「もう一度やり直せたらいいのに」
目まぐるしく変化する現代のビジネスの世界で、私たちはあまりにも速いペースで動いている。タスクからタスクへ、会議から会議へと奔走するなかで、かつての「戦うか、逃げるか、すくむか(闘争・逃走・凍結)」という行動パターンに、つい後戻りしてしまいがちだ。
自分が間違っていたと気づいたとき、私たちはどのように立ち直ればよいのか。そして、どうすればそれを効率的に行えるのか。
あるテック企業のシニアリーダー(仮にジョージと呼ぼう)が、今年は予算が横ばいなので、これ以上のリーダーシップ開発プログラムへの投資は難しいと言った。私の爬虫類脳(私はこれを「ワニ」と呼んでいる)は、その言葉が気に入らなかった。気づいたときには、私はこう口にしていた。「本当にそう言い切れますか?」ジョージが間違っていると説得しようとしていたのだ。その瞬間、心の中の静かで小さな声がささやいた。「いや、静かに。あなたは自己防衛的になっている」
続いて、別の思考が浮かんだ。「しまった、自己防衛的になっていたのか? それはまずい」。私の中の「内なる批判者(インナー・クリティック)」が口を挟んできたのだ。
否認への下降スパイラル
このようなパターンに心当たりはないだろうか。何か少しおかしなことをしてしまい、それに気づいた瞬間、内なる批判者が現れて「間違えたこと」を責め立てる。私は自分自身にも、コーチングのクライアントにも、このパターンを何度も見てきた。自分が下手な対応をしてしまったと気づくと、内なる批判者が私たちを激しく非難するのだ。
内なる批判者から身を守るために、私たちはどうするか。「否認」に走るのだ。まず自分が間違っていたことに気づき、次に内なる批判者からそれを責められ、そして最後に自分のしたことを否認してしまう。
自分が自己防衛的になっていることを認められず、私の「ワニ」はさらに押し通すよう促した。ワニはこう言いたがっていた。「ジョージ、この取り組みに投資するかどうかは、優先順位の問題だということは分かっていますよね」。もしそう言っていたら、ジョージとの関係はこじれ、学びの機会も閉ざされていただろう。
この下降スパイラルに注目してほしい。
• 自分が間違っていると気づく。
• 間違った自分を責める。
• 自分の行動を否認する。
• 間違った方向へ進み続ける。
これに代わる選択肢は何だろうか。
「否認」を学びの一段階として捉える
まず理解すべきなのは、この下降スパイラルは人間らしい自然な反応だということだ。私たちは、自分が「無実(悪くない)」でありたいと願うように条件づけられている。親から「壊れたおもちゃはどうしたの?」と聞かれたとき、幼い頃の私たちがどう答えたか思い出してみてほしい。「壊れちゃった!」、つまり「勝手に壊れた。私はやっていない」と言ったはずだ。床に落ちたグラスについても同じで、「テーブルから落としちゃった」ではなく「落ちちゃった」と言う。
私たちが幼い頃に、物事がうまくいかないときの自分の責任を否認することを学ぶのは、親などの主要な養育者からの愛を失いたくないからだ。人間は幼少期、生存を養育者に完全に依存している。乳幼児の脳にとって、愛されることは生存することと同義なのだ。私たちの脳は主に生存のために働いており、無実であることは生存を確保するための核心的な戦略であるため、幼い頃から「自分は悪くない」と思いたがるように訓練されているのである。
この「無実への条件づけ」は、成長してからも続く。自分が何か間違ったことをしたと気づくと、生存脳がすぐに自分の関与を否認し、それによって再び安全だと感じようとする。その結果、否認は人間の本性の一部となる。
しかし、私たちは否認の罠にはまり続ける必要はない。自分の否認に気づき、別の選択をすることができる。特に自分が間違っているときこそ、自分自身に愛と感謝を注ぐのだ。愛こそが、私たちが心の奥底で求めているものだからだ。
「やった!」を選ぶ
仕事やリーダーシップにおいて、自分自身に愛を与えるとは、具体的にどのようなことか。
それは、ごくシンプルな一言、「やった!」だ。
自分が下降スパイラルのどこかにいて、間違えたことを責め、それを否認していると気づいたら、ただ立ち止まって「やった!」と言ってみてほしい。
「やった! 自分が間違っていると気づけた。これで、違う選択ができるぞ」
私はこの後に、自分を整えるために「BEACHプラクティス」と呼ぶ実践を行っている。
• 深呼吸する(Breathe deeply)
• 自分を励ます(Encourage myself)──これは大変なことなのだ!
• 自分の考えや行動をすべて受け入れる(Accept)
• 意図的に選択する(Choose)
• より高い英知(より賢く、統合された視点)から状況に対処する(Handle)
ジョージとの会話のなかで、私は「やった!」を選んだ。自分が自己防衛的になっていることに気づいたのだ。やった! 気づけたことに感謝した。この気づきが、私に新しい選択肢を与えてくれた。もう一度、選び直すことができたのだ。
私は態度を改め、耳を傾けることを選んだ。そしてこう言った。「少し待ってください。私は自己防衛的になっていましたね。今の発言を取り消させてください。代わりにこうお伝えしたいのです。ジョージ、予算の制約について話してくれてありがとうございます。現在の予算を踏まえて、私たちは何を最優先にすべきでしょうか?」
私の緊張がほぐれると、ジョージの緊張もほぐれた。ジョージにとっても、予算が厳しいという悪い知らせを伝えるのはストレスだったのだ。「やった!」がもたらした結果はどうだったか。私たちは最終的に、どのように貢献するのが最善かについて、建設的な話し合いをすることができた。そして、チームメイトとしての絆も深まったのだ。
「やった!」が持つリーダーシップの力
少し視野を広げてみよう。なぜ、立ち止まって「やった!」を選ぶことが、これほど劇的な変化をもたらすのか。
「やった!」を通じて、私たちは自分自身を肯定する。それは、自分はそのままで十分であり、愛されているのだと瞬時に自分に伝える方法だ。この内なる確信が、生存への不安を和らげる。私たちは「大丈夫だ」と実感できるのだ。
ここで、少し立ち止まって考えてみてほしい。ここ数日のあいだで、自分が最善の状態でいられなかった瞬間を思い浮かべてみよう。
• 何が起きたか?
• 自分は何を間違えたか?
• 自分の責任を否認するとき、どのような感じがするか?
• では、今ここで「やった!」と言って、間違えたことに気づけた自分に感謝してみよう。自己受容と励ましを受け入れるのだ。
• 「やった!」モードにいるとき、どのような感覚があるか?
• その状況に対して、これまでと違うアプローチをどのように取ることができるだろうか。
「やった!」を選ぶことは、どんな状況であっても自己受容と自己愛を選択することだ。これにより、私たちは容赦ない批判者による懲罰的な声から解放される。この自由が生まれることで、より明晰に考え、他者とより深くつながり、その瞬間に何が必要かを見極めて行動するための心の余白が生まれる。私たちは、「自分が正しくあらねばならない」という姿勢から、その瞬間が求めていることに「貢献する」姿勢へとシフトできるのである。



