食&酒

2026.07.30 14:15

韓国のジャージャー麺が生まれた仁川中華街と旧日本租界を歩いて考えたこと

仁川中華街のレストラン「共和春」で食べた特製チャジャンミョンは肉だけではなく、海鮮もたっぷり入った豪華版だった

アメリカによる小麦粉の援助が

では、なぜ韓国でこのようなローカライズが起きたのか。それを解説してくれるのが、仁川中華街にある前述のチャジャンミョン博物館である。

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こちらは元の共和春の建物で、仁川市中区が買い取り、補修・復元してチャジャンミョン博物館として2012年に開館
こちらは元の共和春の建物で、仁川市中区が買い取り、補修・復元してチャジャンミョン博物館として2012年に開館

「共和春」が元あった場所は、現在の店からは坂道を下った先にあり、もともとは仁川にやって来た華僑の大半の出身地である山東省の港町、煙台周辺の商人たちの同郷親睦組合である山東会館が前身で、宿泊施設でもあった。

そこで飲食店を始めたのは1900年代のことだったが、辛亥革命で清朝が倒れ、中華民国が建国された1912年に「共和国の春」という意味を込めて現在の名称「共和春」となった。

博物館の展示は6つのコーナーに分かれていて、まず仁川の開港とともに始まった華僑の来訪とチャジャンミョンの誕生の歴史、1930年代の同店の繁盛ぶりを知ることができる。

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チャジャンミョン博物館の展示のメインテーマは、開港期から現代に至るまでのチャジャンミョンの国民食化の歴史といっていい
チャジャンミョン博物館の展示のメインテーマは、開港期から現代に至るまでのチャジャンミョンの国民食化の歴史といっていい

そして、朝鮮戦争(1950年~1953年)後の韓国の逼迫した食糧事情とアメリカによる小麦粉の援助、韓国政府が国民にパンや麺食を推奨した「混粉食奨励運動」、その後「漢江の奇跡」と呼ばれた経済成長によって外食が普及していくなか、韓国で国民食となっていくプロセスが数々の展示を通じて解説されている。

チャジャンミョン博物館では、1960年代以降の経済発展にともないチャジャンミョンが国民食となっていく時代をユーモラスな蠟人形の展示とともに、春醤を最初に発売した龍華食品の獅子マークの製品箱、価格の推移グラフや1970年代以降のインスタント麺のパッケージデザインの変遷などを通じてノスタルジックに回顧している
チャジャンミョン博物館では、1960年代以降の経済発展にともないチャジャンミョンが国民食となっていく時代をユーモラスな蠟人形の展示とともに、春醤を最初に発売した永華食品の獅子ブランドの製品箱、価格の推移グラフや1970年代以降のインスタント麺のパッケージデザインの変遷などを通じてノスタルジックに回顧している

日本の戦後も同様にアメリカからの小麦粉の援助があり、それがラーメンの普及と発展をもたらしたことを思うと、感慨深いものがある。

筆者は韓国滞在中に、駅ビルのフードコートや延禧洞と呼ばれるソウルの高級住宅街のレストランなど、場所を変えてチャジャンミョンを食べ比べたが、豚肉やタマネギ、ネギ、ニンニク、ショウガなどを細かく刻んで油で炒め、黒くて甘い春醤ソースを黄色い中華麺の上にかけて食べるこの料理は、韓国の食文化に日常的に溶け込んでいることがよくわかった。

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文・写真=中村正人

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