アメリカによる小麦粉の援助が
では、なぜ韓国でこのようなローカライズが起きたのか。それを解説してくれるのが、仁川中華街にある前述のチャジャンミョン博物館である。
「共和春」が元あった場所は、現在の店からは坂道を下った先にあり、もともとは仁川にやって来た華僑の大半の出身地である山東省の港町、煙台周辺の商人たちの同郷親睦組合である山東会館が前身で、宿泊施設でもあった。
そこで飲食店を始めたのは1900年代のことだったが、辛亥革命で清朝が倒れ、中華民国が建国された1912年に「共和国の春」という意味を込めて現在の名称「共和春」となった。
博物館の展示は6つのコーナーに分かれていて、まず仁川の開港とともに始まった華僑の来訪とチャジャンミョンの誕生の歴史、1930年代の同店の繁盛ぶりを知ることができる。
そして、朝鮮戦争(1950年~1953年)後の韓国の逼迫した食糧事情とアメリカによる小麦粉の援助、韓国政府が国民にパンや麺食を推奨した「混粉食奨励運動」、その後「漢江の奇跡」と呼ばれた経済成長によって外食が普及していくなか、韓国で国民食となっていくプロセスが数々の展示を通じて解説されている。
日本の戦後も同様にアメリカからの小麦粉の援助があり、それがラーメンの普及と発展をもたらしたことを思うと、感慨深いものがある。
筆者は韓国滞在中に、駅ビルのフードコートや延禧洞と呼ばれるソウルの高級住宅街のレストランなど、場所を変えてチャジャンミョンを食べ比べたが、豚肉やタマネギ、ネギ、ニンニク、ショウガなどを細かく刻んで油で炒め、黒くて甘い春醤ソースを黄色い中華麺の上にかけて食べるこの料理は、韓国の食文化に日常的に溶け込んでいることがよくわかった。


