実際の「リターン」が見込みを大幅に上回っていたことは、先ほど紹介した数字によく表れている。三谷が続ける。
「スタジアムだけではなく、その周辺でさまざまな事業を展開していく。スタジアムと周辺は『城と城下町』の関係なんです、と説明したとき、『なるほど、そういうことね』と、役員たちの理解が進みました」
エスコンフィールドが「城」で、その城を中心とするFビレッジという約32ヘクタールの広大な「城下町」には、現在、マンションやグランピング施設や農業学習施設、認定こども園などが建ち並んでいる。つまりボールパーク事業はFビレッジ一帯の「街化」を目指しており、その開発は発展の途上にある。
FSEの出資比率は、球団と日本ハム本社がそれぞれ約33%、電通と民間都市開発推進機構がそれぞれ約16%。ボールパーク事業は今や日本ハムグループの事業の柱のひとつに成長した。前沢は言う。
「札幌ドーム時代の初期は、球団の資産は20億~30億円規模でした。それが今では750億円になっています。『広告宣伝費』だった球団が、今では日本ハムグループ内の10%くらいの資産をもつ事業体になりました。ただ我々は、今後どうやって価値を上げていくかを重視して、初年度から毎年数億円単位の投資を続けています。ひとつはチームへの投資、ふたつ目は球場のハードとソフトへの投資、3つ目は社員への還元です」
それらの投資が資産価値を高める好循環を生んでいるが、時計の針を戻すと、開業初年度からしっかり利益を出すため、前沢は各部署に高い目標を課していた。
「これまでの売り上げの天井が2階建てくらいだとしたら、7階建てくらいまで上げてくれという数字を、半ば強制的に渡したんです。もうそれでやるしかないと。チェックもしっかり行いました」
だからこそ、メディアなどに躍った「開業特需」という言葉に前沢は憤りを覚えたという。
「開業特需みたいなことをみんな言い出すんで、ふざけんなよ、と。僕は必ず少しずつ成長していくものだと思っていましたから」
1年目の段階から、すでに2年目を見据えていた。
「1年間やってみてから2年目を迎えるのでは絶対に遅い。1年目に解決できる課題はすべて解決して、2年目を迎える。それが重要だと思っていました」
理念とコンセプトを高く掲げて語るだけでは終わらない。前沢は三谷らと共に現場に下り、自らオペレーションの指揮を執った。
駐車場全体を見渡せる場所に立ち、駐車場の管理担当者と一緒に車の流れを確認しながら、無線で人員の配置や誘導を直接指示したこともあった。客から寄せられる意見にすべて目を通し、飲食店の混雑する時間帯を可視化したり、SNSに投稿された「薬を飲むのに水がない」という一言からウォーターサーバーを設置したり、実施した改善は優に100を超えるという。
「こういう施設をつくるのは初めてですから、自分たちのルールが絶対だという自信はない。逆に、お客様の正しい指摘は多々あって、スポンジのように吸収できた。『知らない者』の強みだったと思います」


