現代という時代の「取り扱い説明書」
Title|『一九八四年』
Author|ジョージ・オーウェル
1949年に刊行された、イギリスの作家ジョージ・オーウェルのディストピアSF小説。全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描き、現代社会にも警鐘を鳴らす。思想、文学、音楽など各分野に影響を与える近代文学の傑作。
ジョージ・オーウェル『一九八四年』は1949年に書かれたディストピアSFの古典だが、私は古典と思ったことは一度もない。ことあるごとに読み返し、その都度これは現代小説だと思う。古びたほうがいい作品なのに、まったく古びる兆しがない。
例えば本作には「二分間憎悪」という儀式が出てくる。架空の全体主義国家オセアニアの市民は毎日、巨大な画面の前に集められ、国家の敵エマニュエル・ゴールドスタインの映像を見せられる。最初はざわつくだけだった群衆が、やがて絶叫し、靴を投げつけ、集団的な憎悪の発作に身を委ねる。主人公ウィンストン・スミスは体制によるガス抜きにすぎないことを自覚しながらも、この儀式の渦中では自分の意志とは無関係に怒りの奔流にのみ込まれてしまう。
この描写を読んで、何かを連想しないだろうか。そう、SNSのタイムラインだ。「レイジベイト」という言葉がある。怒りを誘発するコンテンツを意図的に流通させ、ユーザーのエンゲージメントを稼ぐ手法のことだ。あるいはもはやそれは手法とすら呼べないかもしれない。今日のプラットフォームにおいて、怒りはコンテンツ流通の基本構造そのものになっているからだ。Xのタイムラインでは、自分がフォローしていないアカウントの、しかし反射的に反論したくなるような投稿が自動で選定され流れてくる設計になっている。同様にTikTokのレコメンドは感情の振り幅が大きい動画ほど拡散しやすい設計になっている。私たちは朝起きてスマートフォンを手に取り、誰かの愚かな発言に怒り、それを引用して批判し、その批判がまた別の怒りを呼ぶ。この連鎖は意図されたものだ。プラットフォーム企業にとって、怒りは滞在時間を伸ばし広告収益を最大化する、最も効率的なツールとなっている。オーウェルが描いたのは、怒りという感情がいかに人間の批判的思考を停止させるか、という問題だったが、それは現代においてより複雑に、より根深い問題になっている。
指摘しておくべきは、私たちはこの構造の被害者であると同時に共犯者でもあるという点だ。二分間憎悪は党が市民に強制した。しかしSNS上の憎悪は誰にも強制されていない。私たちは自らの意志でアプリを開き、自らの指でスクロールし、自らの言葉で怒りを増幅し、拡散している。引用リポストとは、個人が自発的に憎悪の中継局になり、発信の当事者になるということだ。PVはさらに加速し、それによってアルゴリズムは私たちの怒りを学習し、より精緻に怒りを誘発するコンテンツを配信するようになる。私たちが怒れば怒るほど、システムは怒りに最適化される。オーウェルのオセアニアでは党が上から監視と感情統制を行ったが、現在の私たちは自発的に、しかも嬉々としてシステムを強化し、精緻化し続けている。
二分間憎悪は、文字通り二分間で終わったが、タイムラインには終わりがない。終わりなき憎悪に溺れ、もうスマホを見るのを止めたいのにスクロールする指を止められないという体験は、今や多くの人にとって日常の一部になっている(ドゥームスクローリングという言葉もある)。私たちはタイムラインの上では憎悪と嗜好を区別できない。いやむしろ、憎悪を嗜好しているとすら言える状況に陥っている。
『一九八四年』は、拷問を受け精神を破壊されたウィンストンが、最終的にビッグ・ブラザーを愛することを宣言して終わるが、今日の私たちは、暴力なしに、快適さと利便性のなかで、あらかじめ、自分のなかに埋め込まれたビッグ・ブラザーを愛している。あなたが今という時代にこの本を読むべき理由は明白だ。これは古典小説であると同時に、あなたが今手にしているスマートフォンの、そして現代という時代そのものの、決して書かれることのない取扱説明書なのだ。
ひぐち・きょうすけ◎1989年生まれ。2017年『構造素子』(早川書房)でデビュー。SFの社会実装をミッションとするAnon Inc.でCSFO(Chief Sci-fi Officer)を務める。2023年より、東京大学大学院客員准教授。近著に『21世紀を動かす思想 加速主義・プルラリティ・SFプロトタイピング』(集英社)、『Executing Init and Fini』(早川書房)など。


